ドイツは批判されるべきなのか

 最近、ゼレンスキーは、支援を思うようにしてくれない国に対して、批判する姿勢を強めている。その最大のターゲットがドイツだ。私の目からみると、ドイツは、これまでの姿勢をかなり変えて、ロシアとの対決を厭わず、ウクライナを支援する姿勢を見せているように思われるが、ゼレンスキーには不十分に見えるのだろうか。
 しかし、これまでの流れを、少し前に遡って考えてみれば、現在の状況だけでドイツを批判することには、大きな疑問が残る。
 ドイツが批判されている背景には、ロシアとの経済的結びつきを強めていたことがある。ドイツはエネルギーの半分近くをロシアに依存する状態になっていたために、ロシアに対する経済制裁を、他国に比較すると不徹底になっている。更に、ウクライナのNATO加盟に反対したということも、もうひとつの大きな理由と言われている。このことによって、ドイツを批判するひとたちは、ネットでも散見される。なぜ、ロシアなどと友好的になったのか、というわけだ。確かに、現在のロシア、プーチンの所業をみれば、批判したくなる気持ちもわかるが、しかし、大局的にみれば、ドイツのとった政策を適切なものと評価することも可能である。ドイツを一方的に批判するのではなく、もう少し歴史をふり返っておくことも必要なのではないかと思う。

 
 ソ連が崩壊して冷戦が終了し、少なくとも経済的にも政治的にも、ロシアは、西側の体制に近くなった。経済は資本主義のようなものになったし、(少なくとも社会主義ではなくなった)政治的にも、選挙がまがりなりにも行われるようになった。そこは、現在の中国とは異なる。そして、ワルシャワ条約機構を廃止して、西側と軍事的に対決する姿勢をとりやめた。
 これに対して、西欧は、旧東欧をEUにも、また、NATOにも少しずつ迎え入れていった。当初はプーチンも、NATOへの加盟を考えたことがあったと言われている。笹川平和財団の主任研究員、畔蒜泰助氏は、プーチンが、「ロシアはいつNATOにはいれるのか」と、クリントンに尋ねたことがあると指摘している。
 つまり、エリツィンも、プーチンも当初は、西欧の体制にロシアも組み込まれることを、決して拒否していたわけではない。ということは逆に、ロシアを排除していったのは、NATO側だということになる。もちろん、NATO加盟は無理なのだということを自覚して以降のプーチンの政治が、明らかに独裁色を強め、ロシア系住民を守ると称して、他国に軍事介入することを繰り返したために、NATOの側の対ロシア姿勢が、強硬になったことは事実であり、それは仕方ないことだろう。そういう流れからみれば、ロシアだけではなく、ウクライナとベラルーシのNATO加盟に関しては、NATO側が積極的ではなく、たとえ、ウクライナが加盟を望んでも、NATO内部から否定する国が現れても不自然ではなかった。現在でこそ、ウクライナは一枚岩のようになってロシアと対抗しているが、以前は、ロシア派と西欧派が政治的対立を深めており、更に、汚職などの経済的・政治的不敗が顕著であったことは、世界的に周知のことだった。少なくとも、ロシア派と西欧派が綱引き状態であれば、NATOとしては加盟を躊躇するのは当然だったといえる。
 
 ではロシアとの経済協力を進めたことはどうだったのだろうか。もちろん、経済協力そのものは、当然友好関係を築くことにもなるし、批判されることではない。エネルギー政策に関して、あまりに大きくロシアに依存してしまったことは、一般論として後悔するようなことだったと思うが、それでも、ロシアのウクライナ侵攻がなければ、問題となることではなかったはずである。もっとも、ウクライナの側からすれば、ドイツとロシアの協力関係の具体的施策が、それまでウクライナ経由だったパイプライン以外に、独自のノルド2というパイプラインを建設することだったことが、自分たちの権益を侵されることになったという不満があったろう。しかし、これとても、ウクライナが、自国を通るパイプラインから、不当に抜き取っているという疑惑があったことも事実であり、ウクライナを通らないラインを設置したいと、ドイツが望んだとしても、不合理とはいえない。
 
 そして、ロシアを敵視して、追い込んでいった欧米の政策が正しかったのかということも、冷静に検討しておく必要がある。冷戦体制の有力な理論家であり、政治家であったジョージ・ケナンが、ソ連崩壊後のNATO拡大政策を批判していたことは、有名な話だ。旧東欧までNATOを拡大すると、ロシアを刺激して、軍事的緊張を高めるという理由で、NATOの東欧への拡大に反対していた。ケナンの「予言」が正しかったのだ。もし、東欧に拡大しない道か、あるいは拡大しても、ロシアの加盟も許容することになれば、現在の戦争状態は起きなかった可能性が大きいのである。ロシアがNATO加盟にも前向きだったのだとすれば、それを否定されたことが、後の独裁的姿勢を強めた原因になっている可能性もある。クリントンが、ロシアが民主主義を徹底し、公正な選挙を実施して、それにみんなが従う、あなたも、正々堂々と選挙で闘い、敗れたら政権を引く、ということがきちんと行われるようになれば、ロシアの加盟も歓迎する、とでも発言し、それを虚言でなく、実行する姿勢を見せれば、ロシアは違う姿をとっていた可能性は高い。逆にいえば、ロシアを仮想敵国として追い詰めていったから、プーチンは独裁的な姿勢を強化せざるをえなかったともいえるのである。
 もちろん、だからといって、独裁性を強化したり、反対派を殺傷したり、他国に侵略することは、絶対に認められないことであるから、現在のロシアとプーチンを擁護する要素は皆無だが、こうなってしまった歴史を認識しておくことは、日本の対応を謝らないためにも、必要なことである。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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