小室圭氏が不合格、それよりも重大なことは

 ニューヨークで新婚生活を楽しんでいる小室圭氏が、2月に受験したニューヨーク州の司法試験に不合格になったことが、一斉にメディアによって報道された。宮内庁とニューヨーク領事館との協定なのか、圧力なのか、小室夫妻の私生活について報道しないことになっていたようだが、この試験結果だけは、例外なのだろうか。あるいは、だれでも確認できるウェブ上での発表なので、どうせネットのひとたちに知れ渡るからというので、報道したのか、むしろそこに興味をもったほどだ。というのは、ネット上では、2月の受験のこともかなり多くのyoutuberによって取り上げられていたが、大手メディアは一切報道していなかった。せいぜい憶測記事だけだったのだから、今回は、NHKまでニュースで取り上げたのは、不思議な現象だった。

 結果については、まったくの予想通りだ。そもそも、彼のこれまでの人生の歩みをみれば、ただの一度も厳しい学力の競争試験に勝ち抜いた経験がなく、すべてが「推薦」やコネで進学や就職を確保してきたのだし、しかも、そこで優秀な成績を収めたわけでもない。英語が堪能といっても、かなり学力の高い大学生でも、法律学を学ばずに、法律の専門書をきちんと読めるわけではなく、まして、法律に関する高度な試験に的確に回答することなど、まず無理であることを考えれば、法律の基礎をしっかり学ぶJDコースの一年生を経験していない彼には、所詮司法試験に合格することなど、ほど遠いことだったのである。だから、本人にとっても、想定内だったと思われる。冷静に考えれば、わかることだ。
 
 ネットでは、既にいろいろな意見が書き込まれているが、彼らがどういう方向をとろうと、それは当人の自由であり、真子氏がケネディ氏とのコネを使って、メトロポリタン美術館に、正式に就職できるなら、それはそれで他人が口をはさむことではないだろう。そもそも就職などは、日本においても、かなりコネ採用が多いのだし、今更それを非難しても仕方ない。
 ただ、多くの人が批判しているように、日本の税金を使って、彼らの生活を支えることについては、非難が殺到するだろうし、「政府として」説明しなければならないといえる。税金を使わないで済むようになるならば、メトロポリタン美術館は、真子氏を採用してほしいと思うくらいだ。日本人の観光客や利用客が増えることを期待しての採用は、十分にありうることだろう。変に帰国すれば、また女性宮家の議論が錯綜して、まさかとは思うが、結婚した女性皇族も、本人の意志によって、宮家の当主になりうるなどということになれば、一問着起きるから、本人の期待通り、外国暮らしをしてもらったほうが、日本の皇室のためにもなるはずである。
 
 皇室関連では、小室夫妻問題よりは、やはり、悠仁親王のほうが、大きな疑問を依然として払拭されていない。筑附では、かなり大がかりな外部からの侵入を防ぐ工事がなされ、校内にはいるためには、すべて身分証明の厳重なチェックがなされるようになったのだそうだ。「自由な筑附」は完全に過去のものになったといえる。もちろん、そうなることは、自明だったわけだが。おそらく、筑附にとって、これは「名誉なこと」などでは決してなく、これまでの評価を著しく毀損するものになるに違いない。そして、魅力が低下すれば、入学希望者も減る。実際に、今年は、受験者数も減り、合格したのに辞退した人が過去最多だったそうだ。併願校に流れたということだろう。詳細はわからないが、以前は、併願校に合格した場合でも、筑附に入学した場合が、その併願校に進学するということは、明らかに、筑附の評価の低下が明確になったということだ。1960年代までの筑附は、文字通り都内屈指の名門校だったが、いろいろな理由で、進学校としての地位を低下させてきたが、それに拍車をかける事態だろう。
 しかし、それは筑附としての自己責任だろうが、問題は、莫大な工事費用がどこから捻出されたのか、そして、その工事費用と親王の特別入学の関係にある。もちろん、警備関連の工事だけならば、宮内庁関連の予算が廻されたのかも知れないが、教育施設の改善もかなり行われたと報道されている。そして、私が調べた限りでは、筑波大学の予算には、その関係は計上されていない。週刊誌が報道しているように、秋篠宮家が関係している「寄付」によるものだとしたら、そして、これも週刊誌で報道されているように、本来とても進学できるだけの成績をとっていないので、筑附側が入学を断ったのに、「寄付」を根拠に、入学を迫られたということが事実であるとすれば、これは、明らかな贈収賄が成立すると思わざるをえないのである。まさか、皇族が捜査の対象になることはないとしても、筑附側には、捜査をしてもらわねばならないのではないだろうか。3,4年前から筑附進学は決まっていたという報道が正しいとすれば、工事が事前に行われた理由も納得できる。そうであれば、費用については、きちんと国民に明らかにすべきであろう。国立(独立法人だが、国税によって維持されていることに違いはない。)の教育機関なのだから、それを要求することは不当ではない。
 ごく明朗に、ものごとを進めれば、「特別」なことが起きても、国民は疑問を抱かないが、作文問題にしろ、進学問題にしろ、秘密裏にことが進んでいるから、不信感が生じるのである。正当に説明できないことをやっているから、隠すのが、一般的なやり方だ。そして、様々なことを徹底的に隠蔽する体質の一家が、日本の象徴という存在になることは、日本という国家が、全体として「隠蔽体質」の国家になっていくということだ。それは民主主義の危機そのものだ。ここが一番の問題である。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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