連日、ウクライナ情勢ばかりニュース(CNNとBBC)を見ている。youtubeに出されている「解説」なども気になる。いくつか考えるところを記しておきたい。
まず、豊島晋作氏の、「ロシア軍は弱いのか」という解説番組があった。https://www.youtube.com/watch?v=SZe64eOnPT4&t=928s
ウクライナに侵攻したら、プーチンならずとも、かなり早期にキエフが陥落するのではないかと思われていたが、ウクライナの抵抗が激しく、いまだにキエフを包囲しているだけだ。それで、ロシア軍は弱いのかという問いに答えている。ここでは、ロシア軍の意外に旧式の武器を使っていて、対抗するアメリカの高度な情報機器の援助を受けたウクライナ軍に手こずっていることが解説されている。確かにそうなのだろう。いまだに制空権すらとれていない状況なのだから、世界2位の軍事力というのは、軍事費ではなそうだが、近代的な整備という点では遅れていることが暴露されてしまったというわけだ。しかし、「近代的ではないので、ピンポイント爆撃ができず、民間施設を破壊してしまっている」という見解には疑問だ。民間施設を爆撃しているのは、意図的であって、ピンポイント爆撃ができないからではないと考えざるをえない。相手の街を徹底的に破壊し、民間人を殺害することをいささかも躊躇しないのが、プーチンである。そのことは、チェチェン紛争の処理で証明されている。だから、ピンポイントが可能でも、住宅を爆撃させているだろう。「子ども」と大きく書かれた建物を爆撃したのも、けっして間違ったからではないだろう。
子どもの死者が相当数になっている。ここで思い出すのは、私が学生だった頃は、ベトナム戦争が激しく闘われていた時期だが、ベトナム側の政策したフィルムに、ベトナム人の女性が出てきて「アメリカ軍は、ベトナムの子どもをたくさん殺している。しかし、ベトナム軍は、アメリカの兵隊を殺しているが、アメリカの子どもは一人も殺していない。これが、この戦争の意味するものなのだ」と語っていたことが忘れられない。ウクライナ戦争も、ウクライナの子どもが多数、ロシアの攻撃で亡くなっているが、ロシアの子どもは、一人も攻撃されていない。どんなにロシアが、ウクライナのナチスを排除するためだなどといっても、この戦争の本質は、ロシアの不当なウクライナへの侵略である。それにしても、21世紀になって、核大国ロシアが、軍事的に弱いがために、これほど残虐なことをするとは。
停戦協議が進んでいる。停戦するかどうか、また、どんな条件を了承するかは、ウクライナ人が決めることであるが、現在放映されている、テレビなどでの「停戦交渉の進展」には、疑問を感じている。もちろん、停戦が行われることはいいことだが、現在停戦できるような状況になっているとは思えないのである。
例えば、フィナンシャル・タイムズの記事によって、停戦の条件が整いつつあるかのようなニュースやyoutubeでの解説がいくつかみられたが、この記事がそれほど楽観的な見通しを書いているわけではない。
プーチンの資質と、放映されるプーチンの言動をみても、プーチンが途中で意志を曲げるとも思えないからである。そして、プーチンの要求をウクライナが受け入れることができるとも思えない。
プーチンがどこまで望んでいるかは、誰にもわからないが、私は、最低でも、ウクライナのNATO非加盟の言質、独立宣言した2自治共和国の承認、現在占領した地域のロシア帰属か、自治共和国化を絶対条件とするのではないかと思う。ウクライナ全体を支配する傀儡政権の樹立は無理だと思っているだろう。せめて、ウクライナを東西に分割して、東ウクライナをロシアの同盟国として、NATOに対する緩衝地域にすることを望んでいるという説もあるが、可能なら確かに望むだろう。
しかし、ウクライナが受け入れ可能な条件は、NATOへの加盟を諦めることだけではないだろうか。非武装化とか、占領地のロシアへの割譲・自治共和国化などが受け入れられるとは、とうてい思えない。しかし、プーチンが、ウクライナのNATO非加盟だけで引っ込むとも思えない。
ロシアが、占領地域を放棄して、完全に撤退するまで、戦闘は続くのではないか。
ゼレンスキー、ウクライナ大統領がアメリカ議会で行った演説が、日本で思わぬ反響を呼んでいる。私もびっくりした。今それをいうのだろうか、と。もちろん、アメリカ議会に対して、「真珠湾を思い出せ」と言ったことだ。しかし、アメリカ人にとってのこの言葉と、日本人にとっての、この言葉の意味するところは、かなり違う。もし、ゼレンスキーがアメリカだけで演説するならばわかるが、日本に対しても国会での演説を求めている。アメリカに対しては、「真珠湾を思い出せ」といって、日本では、「広島・長崎を思い出せ」というのだろうか。そうすると、アメリカ人に対して、違和感をもたせることになるだろう。ゼレンスキーという人は、短期的な対応力はあるが、長期的、多面的な構想力が乏しい人であるような気がしてしまう。
アメリカ人にとって、真珠湾は、「卑怯な不意打ち」ということと理解されていて、それはもちろん不当なことではないかも知れない。しかし、日本人にとって、決して「不意打ち」ではなかったし、また、アメリカ政府は十分に事前に察していて、しかも、アメリカを第二次大戦に参戦させるために、真珠湾の軍事力を犠牲にしたと言われている。この事前に知っていて、なおかつそれを利用したということは、歴史的事実でもある。
もちろん、日本がおろかなことをしたことも間違いなく、あのようなおろかなことを繰りかえさせないための教訓にすべきであるが、アメリカ人にとっても、単純に不意打ちという理解ですませるべきではない。
911が起きたとき、ブッシュ大統領は、やはり「真珠湾を思い出せ」といったのだが、私がその言葉をきいて、やはりブッシュは事前に知っていたのか、それを放置して、アメリカ人の怒りを搔き立てたのかと、思ったものだ。
もし、ゼレンスキーがそういうことを理解した上で言ったのだとしたら、ゼレンスキーは、ロシアが攻めてくることを知っていて、あえてそれを国民に隠し、ロシアを攻めさせることによって、ウクライナの戦闘意識を高揚させ、世界を引き込もうとした、そして、その結果完全に西欧の一員になれる、という意図で行動したことになってしまう。この演説とは別に、実際に、そのように解釈している人も少なくないようだ。
ウクライナにも責任があるという見解が、例えば鈴木宗男氏などから出ている。私自身、ウクライナの処し方には疑問もあり、これまで何回か書いてきたが、しかし、「責任」があるというつもりはない。ウクライナにも責任があるということは、その分ロシアの侵攻に理があることを認めることだ。しかし、それは違う。
いじめを考えればわかりやすい。いじめられる側にも理由があるということをいう人がいる。それは確かにそうだ。加害者だって、いじめの対象を籤で決めているわけではなく、ある種同調されるの可能性がある対象を選ぶだろう。それに、誰にだって、人から多少疑問に思われる点があるものだ。しかし、そうした要素があるといっても、いじめをしていいことにはならない。いじめられる側にも理由があるというのが、意味あるのは、あくまでもいじめられる人が、自覚的にその点を改めるほうがよいと感じたときに、そうすることを励ます意味においてである。
ゼレンスキーがもっとロシアの立場を踏まえて、行動していれば、ロシアの侵攻を回避することはできたとのではないかと考えるのは、あくまでも、今後の日本のあり方を考えるためである。どんなにゼレンスキーの政治が間違っていたとしても、ロシアが侵攻することを正当化することにはならない。如何なる意味でも、プーチンを擁護することはできないのである。