プーチン的支配の記述のあとには、プーチンに反対するひとたちのことが書かれている。プーチンは、徹底的に反対派を弾圧し、なかには殺害された者もいるし、外国に暮らしているにもかかわらず、毒をもられた者もいる。そういうなかで、現在の反プーチン運動の代表者であるナヴァーリヌイにかなりのページが割かれている。
現在収監されている身なので、表立ってウクライナ侵略への反対運動を起こすことができない訳だが、誰もが反プーチンの急先鋒であると認められているが、著者が不思議に思っているのは、これだけ目立った反プーチン活動をしているにもかかわらず、殺害の対象になっておらず、逮捕収監しても、命の危機には晒されていないということだ。これに対しての見方が、まったく正反対に分かれている。
ひとつは、ナヴァーリヌイ氏が、基本的に西欧派である他の反プーチン派とは異なって、リベラルという点では同じだが、彼はロシア民族主義的な傾向があるということで、プーチンとしても、活用できる余地があるとみられているのではないかという見方。
もうひとつは、ナヴァーリヌイ氏が、プーチン世代や同世代の反プーチン派とは異なって、基本的に民主主義的な体質と、テレビ派ではなくインターネット活用派なので、活動が柔軟であり、明らかに弾圧の口実を与えるようなことをしていないという見方。
おそらく、両側面があるのだろう。
しかし、木村氏の記述で興味をもったのが、これまで何人もの中心的な反プーチンのリーダーが現れたにもかかわらず、なぜ、ロシアの反政府運動は、大きな成功を収められないかということの分析だ。それには、野党が団結できないロシア人の性質があるというのだ。
第一に、原理原則に拘泥しすぎる傾向があり、第二に、小異を棄てて大同につくことを嫌う点だ。
結局は、同じことだと思われるが、この限りでは、ロシア人の特質とは思えず、政府に反対するが、なかなか成功しない勢力の共通の弱点であるようにも思われる。日本では、短期的な例外を除いて、自民党の長期政権が続いているが、野党は絶えず、相互批判を繰りかえしているし、小異を棄てられずに拘っている。他方、自民党という政党は、かなりの相違を含んだひとたちを内包しており、原理原則に拘らない。結局、勢力をもった人とその取り巻きが政権を主に担うわけだが、自分の見解とは違っていても、政権党の一員として役割を果たすことは、厭わないように見える。ロシアの反政府運動がもっている弱点を、ほとんどもたないのが自民党ということだろう。そして、一般的な政治原則からみれば、ひとつの政党として持続していることが、不思議なくらいなのである。
それに対して、野党はどうか。ロシアとあまり違わないような気もする。
しかし、ロシアでも同様だろうが、単純に野党のだらしなさというだけではない。やはり、政権党からの様々な働きかけ、圧力、たくらみなどによって、小異を棄てることが困難にさせられていることがある。もちろん、それを打ち破ることができないのも、同じ欠点の現れなのだろうが。
先の衆院選における野党協力が、成功したのか、失敗したのか、それ自体が立場によって評価が対立している。そして、今後のあり方についても、いまだに定まらない政党もある。ただ、はっきりしていることは、野党協力をしたから敗北したのではなく、野党協力が不十分だったから、敗北したというのが、実態だったのではないだろうか。そして、協力を不十分にした原因の一つが、立憲共産党などというレッテル貼りに、十分な対応ができなかった、つまり、当の立憲民主党内部が動揺してしまったことだろう。
自民党的立場からは、憲法政策が異なる政党が協力するのはおかしい、などと批判していたが、逆にいえば、連立政権を長年続けている自民党と公明党の憲法政策のほうが、立憲民主党と共産党の相違より大きいと思われる。やはり、違いがあっても協力できるかどうかは、政治で支持を広げるためには、不可欠だということだろう。
次に、興味をもったのは、ロシアにおける改革の問題である。
前半では軍改革ができなかった点が分析されていたが、後半では、経済改革が結局はあまり進んでいないことが分析されている。スプートニクショックをいうアメリカの恐怖を知っている者にとっては、ロシアが、資源依存国家になっていて、科学技術の革新に対応した経済改革に、大きく遅れをとっているというのは、あまり信じられないことだが、農業とエネルギーに強さをもっているロシアは、こうした一次産業に依存する経済体制がすっかり定着してしまい、改革の必要性を多くの人が認識しているにもかかわらず、ほとんど進展していないという。その理由は、単純化すれば、エネルギーが莫大な利益をあげており、国有だから、政治権力をもった者が、その利益を分配してしまうという構造ができている。つまりプーチンを中心として、取り巻きが石油やガスの輸出利益の多くをとってしまう構造ができあがっているので、それを壊して、変革するなどということを、政権はまったく望んでいないということのようだ。
ところで、そういう側面は、日本でも同じではないかと考えざるをえなかった。この二年間、コロナ対策に政府は追われてきたが、流行するとたちまち医療が崩壊するシステム的問題を、まったく解決できていないと、多くの人が批判してきた。そして、その理由もわかっている。最大の理由は、厚労省の医系技官が、コロナ対策を行政的に担っており、彼らが、改革をすると、自分たちの権益と将来の天下りポストを減少されることになるので、絶対的抵抗をしているからだとされる。しかも、ほとんどの医系技官は感染症の専門家ではなく、新しい病気である新型コロナのことを、実は専門家としての理解を欠いており、そのために、医療的にも適切な対策を提示することができず、間違った対策に固執してしまったとされている。
このことは、原理原則にあまりに拘らず、単なる利益誘導で動くことの問題も浮き彫りにする。自分たちの利権構造が侵されることに、捨て身の抵抗をされると、結局は自分たちも利権で動いている政権中枢が、医系技官の利権死守の姿勢を打ち破ることができないということだ。そういうときにこそ、野党の原理原則をもっと突きつけてほしいと感じている。
ロシアのことを笑えない。