SNSによる情報過多が、デマを拡大しているのか?

 読売新聞に「情報過剰は新たな脅威… [虚実のはざま]第6部私の提言1」(2022.3.16)という記事が出ている。著者は、西田亮介(東京工業大学准教授)だ。https://www.yomiuri.co.jp/national/20220316-OYT1T50091/
 典型的な見解、つまり、あまりに過剰な情報が溢れるようになり、個人の注意力や認識力は限られている。国家で規制せよという意見は間違いで、メタやグーグルなどのプラットフォームでチェックすべきだ、というものだ。これは事実として進行していることで、特段目新しいことはないが、大手旧メディアについて、いつも気になることがあり、この文章もその例にもれない。以下の文章だ。
 
 「発信の中心がマスメディアに限られていた頃とは違い、誰でも発信者になれる今、人々は膨大な情報に囲まれている。特定の分野で影響力を持つ「インフルエンサー」が無数に現れ、選択肢が多様化したのは良いことだが、根拠のない話やデマもあふれるようになった。真実かのように巧妙に装い、人を操ろうとする発信者もいる。」

 
 私が問題だと思うのは、マスメディアは「根拠のない話やデマ」をまき散らすことはなかったのかという点だ。こういう新聞メディアに掲載される意見は、ほとんどが、ネットでの発信によって、デマがまき散らされるようになったかのような表現をする。戦時中のことをもちださないまでも、オリンピックのときどうだったのか。日本の大手新聞は、すべてオリンピックのスポンサーになったために、オリンピックの問題点はほとんど報道しなかった。開会式を巡るどたばたは、かなり酷いものだったが、それを積極的に報道したのは、週刊誌であり、大手新聞は、むしろ目をつぶっていたように感じる。
 そもそも、当初東京オリンピックの開催に、世論は反対していたのに、それを逆転させるために大きな力となったのは、こうしたマスメディアだ。メディアは、政府の情報操作に協力し、そして、自らも主体的に行った。
 現在では、更に目立つのが皇室報道である。かつては「菊タブー」なるものがあったが、平成の皇室批判によって、タブーは小さくなっているといえる。しかし、現在の大手メディアの皇室報道をみていると、報道すべきことが隠蔽され、報道する必要がないことを報道し、その結果として、皇室のあってはならないことに対して、目をつぶることになっている。上皇上皇后夫妻の建築や引っ越し、秋篠宮家の建築費、小室圭・真子夫妻のニューヨークにおける生活費、警備費、悠仁親王の寄付を武器にした進学の特別措置などの問題に関して、「憶測」とレッテルをはられることもあるが、ネット上、そして、大手メディア以外のところからの情報提供が、「事実」を伝えている。
 悠仁親王の作文コンクール問題について、本質的な報道をした大手新聞があるだろうか。今後、ネット発から、このことの裏にある状況が明らかになっていくと思われるが、おそらく大手新聞は、そうした追跡はしないだろう。皇位継承問題についてもしかりである。
 言論の世界には、いくつかの「タブー」があるのが、最もタブーに囚われて自主規制するのが、大手の新聞であり、テレビ放送ではないかと思うのである。タブーを打ち破る点では、ネット情報が圧倒的に力を発揮している。
 いかにいいかげんな情報が多いとしても、私は、むしろネット情報のほうが、いろいろな意味での社会の実相を伝えているような気がする。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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