ウクライナから逃れて、罪の意識に苦しむ男性たち

 courrier.jpに「ウクライナから脱出して徴兵を逃れた男たちを苦しめる『罪の意識』と『恥じらい』」という記事が出ている。
https://courrier.jp/news/archives/281801/
 非常に切実でかつ微妙な問題だ。ゼレンスキー政府が、闘うことが可能な男性の出国を禁じているために、男性の多くは、ウクライナに残って兵士にならざるをえない状況になっている。もちろん、戦死する可能性は低くない。日本の現在のように、徴兵制もなく、戦争を避けることができている国にいる者には、その切実感は理解できないが、しかし、90歳を超える日本人の男性は、かつてそうした境遇にいた。また、父親が戦士した者もたくさん残っている。日本も赤紙一枚で戦地に送られた。もちろん、そうした義務から外れた職業にいたひと達もいたし、理工系の研究者や高度な技術者たちは、招集されることは稀だった。
 また、ごくわずかながら、徴兵逃れで逃亡した人もいる。実は、私の遠い親戚で、赤紙がきたときに逃亡し、敗戦まで隠れていた人がいたそうだ。戦後数十年経過したときに、その事実を知らされたのだが、そうして逃亡したことに対して、周りが非難するようなことはなかったという。おそらく、本当はそうしたいと思ってもできなかったひと達が大半で、実行した人は勇気があると思っていたのだろうと推測する。

 しかし、ウクライナの状況は、当時の日本とは多少異なる。日本が起こした戦争は、侵略戦争であり、日本の兵士は、何ら正当な理由もなく、他国を攻めていた。他国の人々を殺しに派遣された。しかし、今のウクライナの兵士たちは、祖国の防衛のために闘っている。侵略戦争を忌避することと、祖国防衛戦争を忌避することでは、当事者の心理状況、また、周囲の受け取りも、かなり違うのではないかと想像される。
 
 まずは、この記事に紹介されている事例をみよう。
 ドミトリー・アレクシーフは、車で家族と一緒に国境を越えようとして、検問所についた。自分だけは止められることを覚悟していたが、幼いときに負った頭部外傷の後遺症があるという医療記録を見せたところ、モルドバに入国できたという。そして、ドイツに向かった。しかし、安全なところにきたことについて、「罪の意識を感じている」と語ったという。
 戒厳令が敷かれる直前にオデッサを脱出した男性も、恥じる気持ちに駆られたと話しているそうだ。
 賄賂を渡して出国しようとする者もいるというが、成功する人は少ない。また、バスが止められたので、隙を狙って一目散にかけて脱出した者もいる。
 日本人にはなかなかぴんとこないが、3つの国の国籍をもっている人が、ウクライナ以外のパスポートを見せて出国できた人もいるそうだ。そうした父(57歳)と息子(32歳)は、長く話し合った結果、国益より自分達を優先させるべきだという結論に達したという。しかし、国を裏切ったのではなく、自分達を守ったのであり、この選択は自然だったと考えている。「アメリカがやっているように」という言葉は印象的だ。
 
 部外者があれこれいう資格があるかという問題があるし、また、たとえ日本がこうした状況に置かれても、高齢者である私は、当然除外される立場にあるので、当事者性をもって語れないのだが、逆に冷静に考察することは可能かも知れない。
 徴兵制を敷いている国では、特に先進国の場合、徴兵逃れのために国外に出てしまう人は珍しくない。私がオランダ語をデンマーク大使館で習っていたときに、教えていたオランダ人は、徴兵逃れで日本に来たといっていた。だから10年間はオランダに帰国できない。優秀なオランダ人なので、数カ国語を自由に操ることができ、NHKで海外からはいってくる外国からの情報をチェックして、内容の要約を提出するアルバイトをしていると言っていた。彼に任せておけば、欧米の情報はすべて間に合う。彼は、兵役につくと、まったく非生産的な行為をやらされて、無駄なだけだといって、自分の行動については、後悔していない感じだった。そして、現在では、オランダで徴兵制は廃止されているので、廃止がもう少し早ければ、彼は国外に出る必要もなく、自国で自由に活躍できたわけだ。未来を正確に予測した上で、自分の生き方を決めていたともいえる。医学生だったという人が、脱出したのは、まだ医師として救助にあたることができるわけでもなく、やはり、医者として自立できることを優先したという意味で、このオランダ人に近いかも知れない。
 アメリカのボクシング世界チャンピョンだったモハメド・アリは、懲役を拒否して、刑務所に収監された経験をもつ。その際、自分はベトナム人を殺す理由がないと語ったというが、もちろん、それ以外にも、収監されたとしても、戦士するよりは、世界チャンピョンとしての地位を守れるという意識もあったろう。自己の利益を優先したという意味で、父と息子の例に近い。
 
 これらを考える上では、ウクライナ政府が「闘える男性の出国禁止」措置の妥当性の検討が必要だろう。もちろん、賛否両論ある。
 また、積極的に外国人の義勇兵を募ってもいる。これには、私の見る限り、あまり反対意見はないが、不安を示す者はいる。イスラム原理主義のテロリストがはいってくる危険性だ。
 結論的にいえば、「闘える男性の出国禁止」という措置を、私は肯定することはできない。というより、どうしても国外に出たい人(男性)を非難する気持ちにはなれないということだ。
 現在のウクライナの惨状は悲惨なものがあり、プーチンの侵攻はいささかも正当化できないが、しかし、ウクライナの政策がまずかった側面があることは、何度か指摘した。現在は、そういうことを言うべきではないという意見もあるが、私はそう思わない。
 プーチンはNATOのロシア敵視政策と東方拡大政策に、敗れつつあるということだろう。それを防ぐ手だてがあったかどうかは、現在の私にはわからない。しかし、現在進めている西側による、ロシア敵視政策と、ロシアを破綻させる政策が、西側にとっても、本当に好ましいこととは思えないのである。ウクライナ政府は、2014年以後、かなり明確に、そうしたNATOのロシア敵視政策を積極的に受け入れ、その線で行動してきた。むしろ意図的により中立的な政策をとることも可能だったにもかかわらず。そして、ロシアへの挑発的な政策も厭わなかったといえる。つまり、戦争をなんとでも防ぐというよりは、NATOやEUに加盟することを重視する。そして、そのためには、戦闘も厭わないというように、私には思われる。そして、現在、闘える男性が、国外に出てはいけないという法は、その延長上にあるのではないだろうか。
 
 そもそもNATOはウクライナがこうした戦争状態になったときに、ウクライナの加盟を早急に認めることなどはありえないだろう。それならば、事前に認めていただろうし、また、ロシアの介入が激しくなる前に、明確な軍事援助をしていただろう。とするならば、ウクライナのロシアとの停戦は、NATO加盟をしないという確約をすることまでで済ませられればベストで、現実的には、現在ロシアが占領状態になっている部分の、ロシアへの事実上の割譲、ないし、親ロシア的な自治区として認めるところまでは譲歩せざるをえないかも知れない。それならは、ロシアが反対している時点で、NATO加盟は、現時点で考えないという明言しておけば、侵攻を止められた可能性が高い。ロシアが絶対に避けたかったのは、ウクライナのNATO加盟なのだから。
 結局、悪いのがロシアであるとしても、ウクライナの惨状を防ぐことができなかった政策の失敗はぬぐえない。
 もし、そうではなく、一連の施策が、国民の圧倒的な支持に基づいて行われていたのならば、国外脱出を「禁止」しなくても、「ともに闘おう」という呼びかけで、多くは残るはずだ。
 そういう意味では、この男性に対する国外移住禁止措置そのものが、やはり、賛成できないのである。そう考えれば、どうしても現在のウクライナに残ることに納得できず、国外に出て、自分のやりたいことをする、あるいは、命を大事にしたいと考えることを批判する気にはなれない。
(現時点で考えていることで、変わるかも知れない。)
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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