プーチンのウクライナ侵攻後、にわかに9条廃止論が再燃している。議論は、これまでと変わりはない。しかし、逆に、ウクライナ侵攻を受けて、9条は維持すべきだという認識が、私は強くなっている。
プーチンのような指導者が、日本に攻めてきたら、9条で対抗できるのか、と廃止論はいうのだが。例えば、産経の記事だ。
「自民党の細野豪志元環境相も「論ずべきは、憲法9条があれば日本はウクライナのように他国から攻められることはないのかということ。残念ながら答えはノーだ」と発信。」
https://www.sankei.com/article/20220225-VBJ5AZA6UFPLVALR6WQEO7F2UU/?outputType=amp
「日本共産党が、あわてて9条擁護をしたために、それに反応した言葉」ということらしい。共産党の主張は、どのようなものか、詳しくは知らないが、少なくとも細野氏は、勘違いしている。
私は9条擁護論だが、9条は、他国から攻められないための条項ではない。他国を攻めないための条項なのである。9条擁護派を「平和ぼけ」と罵っているひとたちは、かえって、自身が平和ぼけしていることを、こうした批判様式からかいま見られるのだ。
長い日本の歴史のなかで、日本が外国勢力から攻められたのは、元寇のときしかない。他は、日本が攻めていったのである。もっとも、それも近代以前では、ごく稀にしかなかった。つまり、日本が戦争に多くかかわるようになったのは、明治以降であり、そのときでも、日本が攻め込まれてしまったのは、日本が攻めていった戦争に敗北しそうになって、アメリカの空爆を受けるようになったときだけである。日本が無謀な戦争を起こさなければ、日本が攻め込まれることなどなかったのである。
逆に、明治以降、日本が攻めていった戦争は多数ある。そして、戦争を仕掛けることが、最終的には日本を破滅させる原因になったために、そうした反省から、戦争を国際紛争の解決手段として採用すること、つまり、外国に攻めていくことはしないと、国家として決めたのが9条である。おかげで、日本は、戦後戦争に直接かかわることなく過ごすことができた。もちろん、日本にも参戦してもらいたいという圧力は何度があったはずである。ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争等。イラク戦争には、「非戦闘地域」に自衛隊を派遣し、アブガニスタン戦争では、インド洋で燃料補給をして協力した。しかし、それ以上の協力は、拒むことができたのである。韓国は、ベトナム戦争に軍隊を派遣し、かなりの悪辣な行為をしており、現在でも時折非難されることがある。湾岸戦争はさておき、残りの戦争は、アメリカの覇権主義からでた、正当性のない戦争であり、アメリカ国民を大いに傷つけた。PTSDという言葉が、ベトナム戦争に深くかかわっていることは、周知のことである。
このように、日本が戦争加担をせずに済んだことは、9条があればこそだったわけであり、9条廃止論者が、ベトナム戦争に加担すべきだったとか、イラクに派遣した自衛隊は、戦闘行為をすべきだった、というのならば、論理的には一貫しているだろうが、何をか況んやだ。
もちろん、もうひとつ、攻められたらどうするのか。これには、いくつかの側面がある。
まず、9条擁護論も、自衛権があることを否定する者は、私の知る限りいない。攻められたら、征服されて、長期的に主権を取り戻せばいい、というような意見(非武装中立論)は、過去にはあったが、今はないと思われる。
ソ連が攻めてくると、という仮定は、そんなに簡単に成立するものだろうか。古代から、植民地分割している帝国主義時代までならいざ知らず、すべての地域が国家によって領土として認定されている現在、他国を侵略する行為は、よほどのことがない限り起きない。戦後の戦争は、ほとんどが国内の対立から発展しているか、あるいは、領土が国際的に明確になっていない場合の領土紛争かのどちらかである。朝鮮戦争は、北朝鮮が韓国に攻め入った、外国からみれば内乱であり、双方が、中国、アメリカに援軍を頼んだために、長期的な国際的戦争になったものだ。
「ほとんど」にはいらない例外は、ベトナム戦争、イラク戦争、イラン-イラク戦争などだが、多くはアメリカが表なり、裏で引き起こしている。つまり、9条がなければ、ここでも、日本は攻められる側というより、攻める側にはいってしまう危険性があった。
次に、ソ連とロシアの側が戦争に加担した場合を考えてみる。
1 ハンガリー動乱、チェコ介入
2 アフガニスタン介入
3 ウクライナ侵攻
戦後のソ連あるいはロシアが他国に介入した主な事例がこの3パターンである。1は、ワルシャワ条約機構内部での、揉め事といえる。2は、アフガニスタン政府からの介入要請に基づいたものだ。
日本は、ロシアや中国と軍事同盟を結んでいないのだから、1のパターンで攻められる可能性はない。2のように、日本国内の対立をおさめるために、ロシアや中国に軍事介入を依頼することがあってはならない。そんなことを肯定する日本人がいると想定する必要はないだろう。3についても、同様の立場に置かれることはないといえる。ウクライナが侵攻されたのは、ウクライナがNATOに加盟したいという動きを明確にし、しかし、NATOがまだそれを承認していない段階だった、そして、プーチンは、ウクライナがNATOに加盟することは、なんとしても阻止しなければならないと考えた、これが、今回の要因の主要なものだろう。私は、ゼレンスキー大統領の行動が、賢いものではなかったと考えているが、日本は、既にアメリカと、安保条約を結んでおり、日本国内にアメリカの軍事基地が数カ所存在している。だから、ロシアがウクライナに侵攻するのだから、日本にも可能性がある、という状況とは、構造的に異なるのである。
日本が、余計な挑発的な行為をしなければ、地理的な条件、アメリカとの関係等によって、他国が日本に軍事的に攻めてくるという可能性は、極めて低いのである。尖閣諸島を都有地にしようとした石原都知事、実際に国有地にした野田首相は、こうした危険な挑発であり、実際にその後危険な状態を生んでしまった。極めて軽率な、それこそ平和ボケした安易な行動だった。
結論的にいえば、日本の危険な可能性は、日本が外国を攻めることに加担することだから、その抑止のため、9条が必要なのである。