ウクライナ情勢が音楽にも影響

 ウクライナへのロシアの侵攻は、強く非難されるべきものだが、それが音楽の分野にまで及んでいることについては、疑問と言わざるをえない。
 https://m-festival.biz/28702「ミラノ市長がスカラ座にゲルギエフの解任を要求、ロシアのウクライナ進行で」と題する記事によると、ゲルギエフが、ウクライナ侵攻を否定する声明をださない限り、スカラ座で予定されているチャイコフスキー「スペードの女王」の新演出上演の指揮を解任するように、要求したというわけだ。既に、ウィーン・フィルのニューヨーク・カーネギーホールでの公演は、ホールとオーケストラによって、既に降板が決められているという。
 これがゲルギエフだけのことなのか、ロシア人芸術家に対して広く行われる「拒否」なのかは、この記事だけではわからないが、率直にいって、こうしたやり方は疑問だ。思い出すのは、エルシステマで有名な、ドゥダメルとシモンボリバル・オーケストラが、毎年行っているベネズエラ大統領を招いての演奏会を、ボイコットするように、マドゥロー大統領を批判する政治勢力が要求し、激しいデモなどをしたことだ。当時の大統領はマドゥローで、チャベスの後継者だった。チャベス以降社会主義政策をとって、反米だったから、親米勢力が、反政府運動をしていたという背景がある。しかし、エルシステマは、1970年代後半から始まり、チャベス大統領の以前、つまり、親米で新自由主義的な政府が育て、それを更に発展させたのがチャベスだった。しかも、エルシステマは莫大な国家予算に支えられていたから、歴代大統領への感謝演奏会はずっと以前から行われており、マドゥローだからやったわけではない。にもかかわらず、親米勢力は、マドゥローは独裁者だからという理由で、ドゥダメルに対して、指揮を拒否せよと迫った。これは、いかにも不合理な要求であり、ドゥダメルは音楽を政治利用していると非難していた彼らのほうが、ずっと音楽を政治利用していたというべきなのだ。

 音楽と政治については、ナチス時代のドイツの音楽家たちが、厳しく問われた歴史がある。フルトヴェングラーやカラヤンのナチ協力について、連合国は裁判にかけ審査し、その間演奏活動を禁止していた。しかし、批判はされたが、そうした裁判で有罪となるような判断をされたのは、ごくわずかしかおらず、有名なところでは、オランダの指揮者メンゲルベルクくらいではないだろうか。ユダヤ人ではないにもかかわらず、ナチを批判して亡命した者は少なく、音楽家ではカルロスの父親エーリッヒ・クライバーくらいではないだろうか。しかし、そうした亡命者は、トマス・マンも含めて、戦後ドイツ人からはあまり歓迎されなかった。
 フルトヴェングラーやカラヤンについては、戦後ずっと論争の対象になってきた。しかし、「当時の厳しい状況に生きていたわけではない我々が、あれこれ言うことはできない」としたサイモン・ラトルの主張が妥当なところだろう。
 
 さて、ゲルギエフについてはどうなのだろうか。非難される理由は、彼がプーチンと親しいということらしい。親しいというのが、どういう意味なのかわからないが、彼が政敵を弾圧していることまで含めて支持しているということなのだろうか。ゲルギエフは長く、マリンスキー歌劇場の音楽監督を務めている。彼は、若いときにカラヤンコンクールで入賞して、カラヤンからの誘いがあったが、ロシアに戻って、マリンスキーの発展にずっと精根を傾けてきた。現在マリンスキー歌劇場は世界有数のオペラ劇場である。彼がマリンスキー歌劇場の芸術監督になったのは、まだソ連時代で、当時はキーロフ歌劇場といっていた。そして、ソ連崩壊後の混乱したなかで、劇場運営をしてきたわけだから、当然、政権からの援助を必要としていたことは間違いない。経歴を見る限り、かれがプーチンの独裁的姿勢を支持しているとわけではなく、最初のきっかけは、彼の故郷である南オセチアが攻撃されたときに、プーチンが守ってくれたという意識からだったようだ。
 オペラ劇場の運営は、けっして音楽だけで成り立つわけではなく、数百人の人が雇用されており、莫大な費用がかかるものだから、少なくとも、時の政権に明確な批判をすることなと、難しいといえる。政権も含めて、支配層・富裕層の援助なしに、歌劇場経営はできないのだから、プーチンと親しくしていたとしても、そのこと自体非難されることではない。むしろ、少なくとも過去の経歴のなかでは、ゲルギエフは、世界平和に努力する姿勢を高く評価されてきた。
 そう考えると、ウクライナ批判声明をださないと、出演を認めないというやり方は、逆の政治利用、それもあまり感心しい利用だと言わざるをえない。もちろん、ゲルギエフには、自発的にそうすることを期待はするが。ゲリギエフが指揮をすると、ウクライナの状況が悪化し、ウクライナを批判する人が指揮をすれば、ウクライナが好転し、人々が幸せになるというものでもないだろう。
 
 蛇足だが、ゲルギエフという指揮者の音楽については、あまり好きではない。チャイコフスキーなどは、どうも共感できないのだ。あまりにたくさんの演奏会を持ちすぎて、どれだけ準備しているのだろうかと、疑問ももっている。これまで聴いたなかで、いいと思ったのは、ムソルグスキーの「ボリスゴドノフ」のライブ映像だ。これは、ムソルグスキー・フリークのアバド盤より素晴らしいと思う。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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