医師殺害の罪を重くできないか

 最近ありえないような事件が立て続けに起きているが、この事件は最も痛ましい、また犯人に腹がたつ事件だ。
 90歳を超える母を一人で看護していた60代の息子が、在宅医療の担当者を人質にしたあげく、殺害していたという事件だ。被害者は、地域の在宅医療の中心的な人物で、8割の患者を担当していたという。私の義母も在宅医療を最後まで続け、我々夫婦もできることなら入院はしたくないと考えている。しかし、私自身は、在宅医療が必ずしもベストだとは思っておらず、医療以外の要素も含めて、患者や家族が、入院か在宅を選択できるのがよいと思う。在宅で看取るのは、いろいろと制約があるし、在宅医療に携わる医師が多くないという、いろいろと困難な状況があるなかで、今回のような事件が起きると、当然医師側でより在宅医療を躊躇する意識が強くなるに違いない。

 
 終末医療として、在宅医療を望むということは、長く生きることよりは、生きる質をとることである。つまり、生活の量より質をとるこということだ。在宅医療は、入院治療より治療水準が下がることは、当然のこととして受け入れ、期間的には早く亡くなることを受け入れる必要がある。医師としては、病院で治療するほうが、ずっと楽であり、また、十分な治療を行うこともできる。それに対して、在宅医療は、その都度訪問するのだから、医師にとって負担が大きい。私が子どものころは、開業医が往診してくれることは、常識だったが、おそらく人口の増加、医療の高度化などによって、往診はほとんど行われなくなった。それを、往診してくれるということだから、そうした医師にはより大きな感謝の念をもつのが、自然の情だろう。この母親は92歳で亡くなったというのだから、大往生であるといえる。在宅医療で92歳まで生きたということは、医療側の努力というべきではないだろうか。この息子は、そういう感謝の気持ちをもっていなかったのだろうか。
 息子と医師の間で、治療をめぐる対立があったという。ある報道によれば、それは息子が「胃ろう」を望んだが、胃ろうのためには入院の必要があると医師は主張したということだ。15回程度も治療に関して、別の機関に電話での相談があったというのだから、トラブルも発生していたに違いないが、それでも、私の感覚でいえば、90歳を超えた患者の治療に関して、それだけの不満をもつことが理解できない。おそらく、経済負担等の問題もあったのだろう。
 治療方法のトラブルよりは、母が死んだことによって、生きる意欲を失ったので、医者を道ずれにして自分も死のうとしたという報道もある。真相はまだわからないが、いずれにせよ、とんでもないことだ。
 
 無職の子どもが、高齢者の看護をしているという例は、たくさんあるだろうし、それは、生活費にもかかわっているに違いない。この息子は、母への介護サービスは受けていなかったと報道されている。当然受けられるはずだが、介護サービスを受けるといっても、無料ではない。高齢の親の年金が生活資金だろうから、医療福祉サービスにしても、できるだけ出費を抑えたいというような意識が働いたに違いない。本人に年金受給資格があったとしても、62歳では受け取ることが難しかったかも知れないし、あるいは、資格がなかった可能性もある。その点の報道は、私のフォローしている限りではないのでわからないが、経済的にゆとりがなかったことは間違いないだろう。これは、当然本人の責任ではない。息子は、かなり相談をしていたというから、いろいろと改善したいという願いはあったのだろう。5080問題と言われるが、最近は6090問題になっているという。
 今日テレビをみていたら、NHKのEテレで、社会的に孤立しているひとたちに、交流の場を与えているボランティアグループの紹介と、責任者たちの討論があった。この息子は、一般的な意味では、社会的に孤立していたとはいえないが、精神的なつながりを誰とももっていなかったという意味で、孤立していたに違いない。在宅医療をずっと受けていたし、また、相談機関に電話していたのだから、医師や相談機関からみれば、孤立しているようには見えなかっただろう。一見、社会につながっているようにみえても、実は孤立しているひとは、ストレスをかなりため込んでいる可能性がある。そういう事例の対応を考えていかなければならないだろう。
 
 さて、この事件で最も考えたいと思ったのは、医師を殺害する罪についてである。
 外国では、警察官を殺害すると、一般よりも罪が重くなるところがある、日本ではそういう規則はないようだ。しかし、命をはって危険に身をさらしている警察官と、命を預かっている医師については、危害を加えた場合の罪を重くしてもいいと思っている。もちろん、逆に、警察官と医師が犯罪行為をした場合には、状況によっては、罪を重くする必要はある。特に職務を利用しての犯罪などはそうだ。法令上の規則があるわけではないが、教師は、なにか悪いことをした場合の社会的制裁が、一般的な職業よりははるかに重い。そうすることによって、職業倫理を保持させることだけではなく、職業上危険にさらさる場合、保護するひとつの方法として、危険を及ぼした犯罪に対する、より重い刑罰ということがあってもいいのではないだろうか。
 こうした考えには、人間の命の重みは、平等だから、それは差別ではないかという反対があるに違いない。しかし、人間は、「人間」という側面と、職業をもっているという側面がある。人間としては平等でも、職業的には、なんらかの配慮をする必要度の違いがあると思うのである。コロナで、ワクチン接種が急がれているときに、菅首相が渡米する際に、なにか申し訳なさそうに、そうした事情で一般より早く接種すると「いいわけ」していたが、およそ内閣総理大臣という存在は、健康を維持しなければならないレベルが、通常のひとたちはまったく異なるのだから、真っ先にワクチン接種するのが当然であろう。
 日本の警官は、アメリカほど危険に晒されているとはいえないが、それでも、職業としては、さまざまな犯罪に対処しているのだから、危険の度合いは一般よりもはるかに大きい。命の危険の下で取り組まなければならないこともある。そういう危険性に現実に遭遇してしまった場合の対処を、予め保障しておかなければ、そうした職務を回避したくなってもおかしくない。
 医師を今回の事件のように殺害するということは、個人を殺害しただけではなく、この医師の場合、地域の在宅医療の8割を担っていたというから、その8割のひとたちは、直ちに医療を受けにくくなってしまう。そして、命の危険にさらされる可能性もある。だから、医師ひとりの殺害では済まない事態を生むわけだ。
 このようなことを考えれば、警察官や医療関係者を、法的に特別に保護する意味と必要性は十分にあるのではないだろうか。
 しかし、逆の反対があるかもしれない。最近特に多くなっているが、だれかを殺して自分も死ぬ、あるいは、死刑になるということから起こされる殺人事件を、誘発する可能性があるということだ。警官か医師を殺害すれば、自分も死ねるという、自殺の決行だ。
 そういう可能性も否定できない。思考の迷路に入り込んでしまったようだ。もう少し考えたい。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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