有識者会議なるものの報告書がだされたが、問題解決にはまったく無意味だという評価が固まっているようだ。女性宮家とか、旧皇族の復帰あるいは養子縁組などという、皇位継承問題には、ほとんど関係しないことが結論になっているだけで、これほど、ほとんどの国民をがっかりさせる報告書もめずらしいといえるだろう。
最近、ぼちぼちと皇室の歴史を書いた本を読んでいるが、興味深かったのは、明治天皇まで一般的であった正妻以外に側室をもつことをやめようということになったのが、条約改正のために、ヨーロッパの王室のような体裁にしなければならない、側室などは欧米に認められないという意識だったようだ。もっとも、明治天皇の親王はすべて皇后以外が母親だから、そうはいっても、極めてあいまいな形での対応だったにすぎない。運がよかったのか、悪かったのか、大正天皇には、親王が4人も皇后から生まれたから、その雰囲気のなかで、昭和天皇が側室をもつことを断固拒否することが可能になったのだろう。
しかし、ヨーロッパの王室のあり方に学ぶならば、当然女性天皇を認める議論が、もっとなされてしかるべきだったろう。イギリスの黄金期を築いた時期のビクトリア女王が即位したのは、1837年だったから、まだ江戸時代だった。オランダも1890年以降、現国王の即位まで100年以上女王だった。大分古いことになるが、スウェーデンにはクリスティナ女王という傑物もいた。ハプスブルグ家のマリア・テレジアなども忘れるべきではない。
明治政府の中心人物の全員が男系男子派だったわけではなく、伊藤博文は女性・女系天皇でもよいと考えていたようだ。
しかし、多数が男系男子を主張したということは、日本を欧米のような帝国主義国家として強大化させていこうという意志をもっていたということだろう。もし女性・女系天皇を認めていたとしたら、どうなったろうかと想像してみるのもよいかも知れない。大正天皇、昭和天皇は、男女を問わない長子相続制度であっても、天皇になったわけだが、平成の明仁親王は、5番目の子どもだったので、天皇にはならなかったことになる。結局、昭和の終焉の時期には、上の二人の内親王は早く亡くなり、3番目の和子内親王は、平成元年に亡くなっているので、4女の厚子内親王が皇位を継承したことになる。
戦前があのような軍国主義化し、長い戦争をしたかどうかということもあるが、長子相続になれば、実は、平成からは女性天皇になっていたのである。これは、戦前ではなく、戦後の憲法改正に伴う皇室典範の改正で、長子相続にすることは十分にありえたわけだから、戦後の改正で長子相続に改めたとしても、同様のことが起きたことになる。
そして、小泉内閣のときの皇室典範改正の動きもあった。そして、その報告は明確に女性・女系を認めた「長子相続」にするものだった。悠仁親王誕生によって、その改定は頓挫したわけだが、親王誕生については、単純な偶然のできごとだったと思っているひとが多いようだが、「政治的事件」だったというべきだろう。小泉改定を阻止する中心人物が、小泉内閣の安倍晋三官房長官だったことは、とても大きな意味をもち、当然民主党政権後の長い安倍政権の下で、皇位継承問題は、まったく動きをみせることなく推移した。
それを動かしたのは、平成の天皇の生前退位だった。私自身、この退位の意味づけは、まだどう考えていいのかわからないでいる。
ひとつの有力な見方としては、当時の皇太子ではなく、秋篠宮の人気が高く(つくられた人気だったと思うが)、天皇と皇太子の間がぎくしゃくしていたことは、公然のことだったから、生前退位して、皇太子が天皇となるが、できるだけ早期に、やはり生前退位させて、秋篠宮が継承するという「道筋」を描いていたのだというものだ。令和になったとき、秋篠宮が「令和の天皇が80歳くらいになったとき、自分は70代後半で、それから即位というのはできない」と語ったことは、かなり広く報道され、多くは、即位の辞退と受け取ったが、この見方では、「自分が歳とるまえに退位して、譲ってくれ」という意味になる。この見方は、それまでの天皇と皇太子、秋篠宮の関係をみると、かなり説得力がある。しかし、この見方が実際だったとしても、事態はまったく異なるように進んだ。令和の天皇と皇后は、国民の圧倒的な人気を獲得し、皇后も機会は少ないながらも、見事にその役割を果たし、国内外の高い評価をえた。そして、ときを同じくして、小室問題が起きて、秋篠宮家の評価は地に落ちてしまった。少なくとも、世論調査やネットの意見では、女性・女系天皇を支持し、愛子天皇を望む声が圧倒的である。そして、ネットでは、秋篠宮家は全体として皇族離脱すべきだという意見も少なくない。
こういう状況のなかで、だされた報告書は、そうした「国民世論」とはまったく異なる方向を向いたものになっていることは、明らかだ。この会議自体が、小泉改定案を潰した安倍晋三氏が首相だったときに設置が約束されたものであり、その後菅内閣になって、新たに人選されて検討が始まり、岸田内閣で最終的に報告書が作成されたが、基本姿勢は、安倍氏の意向がつよく残っている。あくまでも悠仁親王が即位する、つまり、皇統が秋篠宮に一端は移ることを大前提にしていることが、その現れである。しかし、それでも、完全に、安倍氏のような「男系・男子継承」論で、このまま進むかどうかは、未知数であるといえるだろう。
次回から、小泉内閣によってだされた報告書と今回の報告書を比較しながら検討していくことにする。