武蔵野市の外国人を含む住民投票案の否決は残念だ

 既に決まっていることで、しかも日時が経過してしまったが、今年の終わりのテーマとして書いておきたい。
 日本人と同じ資格(居住3カ月)で、住民投票の権利を外国人に付与するという案が、議会に提案され、それが否決されたのが事実だ。ほとんど同じ内容での住民投票を認めている自治体が、実際にはある。大阪豊中市と神奈川県逗子市で武蔵野市提案内容と同じ内容で施行されているそうだ。その他に条件は違うが外国籍を認めた住民投票の規定があるのは43自治体だそうだ。大阪といえば、維新のお膝元だから、ここで実施されていることは、驚きでもある。
 さて、この条例案に対して、反対派たちが行った運動は、いかにも醜悪だったといわざるをえない。外国人の住民参政権の提案についても、同じような反対がなされたが、いっていることがあまりに荒唐無稽というべきだろう。

 今回もそうだったが、外国人に投票権を認めると、外国人が多数押し寄せて、外国人に乗っ取られるというような意見である。そもそも、住民投票というのは、その地域に固有の問題で、住民の理解と同意がなければ実施できないようなことを、住民に問うものだ。実際に、日本では住民投票は滅多に行われないから、あまり具体例が思いつかないのだが、総務相のホームページによると、ほとんどが市町村の合併の是非を問うものだ。これはけっこう行われているようだ。
 A市とB市が合併したほうがいいかどうかが、住民投票に掛けられたとして、ある特定国の外国人が大挙して住民票を移して投票する、などということが、起こりうるとは思えないし、居住してもいない外国人にとって、どのような利益があるというのだろうか。実際に居住しているのであれば、外国人といえども、関心をもたざるをえないし、利害にかかわることもあるかも知れない。とするならば、居住している外国人を排除するよりは、意見をだしてもらうほうが、行政もスムーズにいくと考えるのが自然だろう。
 住民投票については、法的拘束力がないから、大挙して影響を行使する、などということがいわれる程度だが、地方議会の選挙権になると、これに加えて、外国人のスパイが入り込むというような非難を浴びせてきた。被選挙権なら、そういう想定もまったく不可能というわけではないだろうが、選挙を付与することで、何故外国のスパイが入り込むことになるのか、私には理解できない。しかも、スパイというのは、日本人をスパイに仕立てることが常道だから、選挙権などは関係ないのである。
 外国人に地方参政権を与えている国は、いくつもあるし、そのほとんどは民主主義的指標が高い国である。
 要するに、政策を決める上で、居住している人たちの意向が重要であれば、居住している人をできるだけ広く、意見を言う場があるようにするのが、決めたあとの遂行にとって好ましい状況になるのである。決定過程から、まったく排除された人たちがいれば、彼らは、素直にその決定に従わない可能性もある。
 例えば、ごみ収集の方式を大きく変えようということで、住民投票を行うことにしたとする。無料だった収拾を有料にする、分別の方式を大きく変更する等々が含まれている案を住民投票にかけたとしよう。あるカテゴリーの人たちを投票権から排除して、承認されたとする。しかし、排除された人たちが、有料規定を守らなかったとする。(有料化は、通常指定のごみ袋を使用させるから、一般のポリ袋でだすようなことが考えられる。)
 見張っていて、そういう人に指定のごみ袋を使用せよというと、「自分たちは、発言権がなかった。権利がなければ義務はない」と主張されると、簡単に相手を説得することはできないだろう。もし、排除していなければ、多数の意志による決定だ、あなたは少数だが、民主主義の決定には従う必要があると説得できる。
 実際にはそう単純ではないだろうが、住民に対立があるような事例では、やはり、民主主義的なプロセスで決めていることが重要であり、そのためには、関係ある人は最大限含まれるような決定プロセスが必要なのである。そして、結果として、その方が決定がスムーズに実行される。
 
 ただ、報道されている内容で、武蔵野市の条例案には、まったく疑問がないというわけでもなかった。3カ月の住居実績というのは、選挙権の地域特定の際に、住民登録後3カ月経過していることが条件になるのだが、外国籍の場合には、それだけでいいのかという気もするのだ。ほとんどの日本人は、住民としては3カ月であっても、日本国内に20年間(今後は18年間)居住していて、日本で生活する習慣やモラルを身につけているという前提がある。しかし、外国人の場合には、日本国内での居住実績を問わなくていいのかということだ。その地域における居住が3カ月であったとしても、日本国内での居住年数も条件にすべきで、それは外国人に地方議会選挙権を与えている国の多くが5年という条件を課していることから、5年程度が目安となるのではないだろうか。4カ月前に日本にきて、3カ月経過しているから、住民投票の権利があるというのは、本当にその地域の問題を理解した上での投票になるかどうかは、やはり疑問である。日本人であれば、たとえ3カ月前に引っ越してきたとしても、住民投票が行われるくらいの問題だから、承知しているだろうし、日本人としての生活感覚で、自分なりの判断をすることができるだろうと思うが、外国から来たばかりの人に、そういう判断ができるのだろうか。
 ここらをもう少し配慮すれば、結果は違ったものになったかも知れないと思うと、残念である。
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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