鬼平犯科帳 盗賊の連絡法

 前回、密偵たちと与力・同心の連絡法について考えたが、その最後に、盗賊たちのつなぎについてと予告した。ただ、それを整理していると、どうしても気になることがある。
 「鬼平犯科帳」は、もちろん創作としての小説だから、事実とは異なっているが、しかし、実在の長谷川平蔵が主人公であり、かなりの部分歴史的事実を踏まえている。実際に長谷川平蔵が扱った事件が、題材になっているものもある。だが、ほとんどの物語は作者の創作であり、実在した長谷川家のひとたち以外の人物も、ほぼ創作である。しかし、長谷川平蔵が、実際にたくさんの盗賊を捕らえたことは事実なのだが、盗賊たちのあり方についてはどうだったのだろうという疑問が残るのだ。長谷川平蔵が活躍していた時期に、江戸の街に盗賊がはびこっていたことは、事実であるし、長谷川平蔵が火付盗賊盗賊改方に抜擢されたのが、江戸の大規模な打ち壊しを鎮めるために大きな力を発揮したからだといわれている。

 ところが、歴史書や長谷川平蔵が書いたとされる裁判記録と判決案の文書を紹介した書物を読んでも、盗賊のイメージが鬼平犯科帳に描かれたものとは違うのである。鬼平犯科帳を読んでいる人たちには周知のことだが、ここに描かれた盗賊は、何種類かにわかれる。
 第一に、本格的盗賊といわれるもので、三カ条の掟を厳格に守った上での盗みをする盗賊。三カ条の掟とは、財産を盗まれると困窮してしまうような商家からは盗らない、人を殺傷しない、女を犯さないというものだ。そして、何年もかけて、引き込みをいれ、狙った商家の間取りと金庫の錠前の型をとり、商家の人々が寝静まったときに、まったく気づかれずに大金を盗み取ってしまう。何人かの本格盗賊が登場し、そのうちの何人かは、平蔵の密偵として働くことになる。
 第二に、畜生働きをする盗賊だ。これは、たいした準備もせずに押し込み、主人を脅して金庫の鍵を開けさせ、その後商家のひとたちを皆殺しにして、逃走する。平蔵が最も憎んでいる盗賊であり、本格盗賊だった密偵たちも、彼らを憎んで、その逮捕に生きがいを見いだしている。
 第三に、流れ務めの盗賊、今風にフリーランサーの盗賊と作者がいっている。その時々に契約して、盗賊たちの押し込みを手伝うわけだ。
 
 疑問とは、第一、第二のような盗賊団は、本当に存在したのだろうかということだ。例えば、重松一義『長谷川平蔵の生涯』に紹介されている、平蔵によって捕縛された盗賊をみても、大盗賊というのは、真刀徳次郎くらいで、他はみな小者で、数年がかりの盗みの準備などという雰囲気ではない。しかも徳次郎は、第二の盗賊のようだ。第一の本格盗賊というのは、歴史的には存在せず、池波正太郎の夢であるかも知れない。数年かけて盗みの準備をするというのは、現実的には無理があると考えざるをえないのだ。引き込みをいれるとか、緻密に連絡(つなぎ)をするというのは、そうした準備を積み重ねるということだから、本格盗賊に固有の役割である。すると、「鬼平犯科帳」に出てくる盗賊たちの連絡方法は、ほとんどが池波正太郎の創作ということになってしまう。
 しかし、それでは身も蓋もないので、「鬼平犯科帳」に出てくる連絡法について整理してみよう。
 連絡で最も重要なのは、押し込む先に入り込んだ「ひきこみ」との連絡である。引き込みが得た間取り図や鍵の型を受け取ることと、実際の押し込みの日時を告げ、当日、引き込みが内扉の鍵をあけて、盗賊たちが静かに侵入することを助けるわけだ。この連絡を「つなぎ」と呼ぶ。そして、つなぎの方法が多様であるし、また、それが失敗の原因ともなる。だいたいは、密偵が旧知の盗賊をみかけ、あとをつけるとつなぎの場面だったり、隠れ家を発見することが、逮捕のきかっけになるのだ。
 
 鬼平犯科帳における盗賊たちは、仲間でも住まいなどの情報はお互いに知らないことになっており、連絡役が仲介して、仕事の段取りをとらせていく。そういう連絡をつなぎといい、ほとんどは日時と場所を事前に決めておくか、わからないような連絡をして呼び出し、外の人気のない場所で話し、直ぐに別れる。
 しかし、神社の一角での話を乞食坊主に聞かれてしまい、乞食坊主の暗殺を頼むが、頼まれた菅野伊介と乞食の井関録之介は、平蔵と同門の剣士であり、井関が平蔵に報告して、盗賊は捕まってしまう。盗賊たちが、聞かれてしまうという失敗を糊塗しようとして手を打つことが、かえって事態を悪化させてしまうその進展が面白い。菅野は殺人を仲介した香具師の元締めに実行したことを報告したので、盗賊たちは安心して、押し込みに至るが、平蔵はすべてを察知していたのだ。
 
「おみね徳次郎」では、外で会うのではなく、家のなかに入ってしまうことで失敗する。おみねと徳次郎は夫婦のように暮らしているが、ふたりとも所属が別の盗賊であるのに、そのことを知らない。徳次郎につなぎに現れた佐倉の吉兵衛は、おみねがでかけるところをみかけたので、徳次郎を待つために家にはいり、連絡をしているが、忘れ物をとりに来たおみねに聞かれてしまう。聞かれた徳次郎は、おみねを殺害しようとするが失敗して、逆に説教されて、どうしたらよいか分からなくなり思い悩む。別れざるをえないことを悟ったおみねが悩んでいるところをおまさが見つけ、昔のなかまだったために、おみねは状況を話してしまい、そこから、すべてが平蔵によって把握され、徳次郎も、またおみねも、江戸に到着していた頭の法楽寺の直右衛門とともに捕縛される。
 
 「剣客」では、浪人盗賊石坂太四郎がつなぎをしたあと、以前御前試合で負けた相手だった、老いた松尾喜兵衛をみて、惨殺する。松尾は、標的になっていた大坂屋に世話になっており、代わりにつなぎとしてやってきた定吉を、松尾の葬式を手伝っていたおまさが発見し、大坂屋からでてきた引き込みと立ち話をしていることで、大坂屋が標的であることがわかり、定吉をつけて、盗人宿もつきとめる。石坂の松尾殺害がきっかけで、つなぎが交代し、その結果盗賊一味が押し込み以前に捕縛されてしまう。
 
 鬼平犯科帳は、最初のほうで何度か雇われた殺し屋によって、平蔵が狙われる場面がある。その依頼主の蛇の平十郎が、平蔵の活躍で江戸での押し込みが困難になっていること、そして、手下が江戸から去ってしまうことを打開するために、平蔵暗殺を依頼するのだが、それに失敗して、仕方なく押し込みをする。「蛇の目」では、若い福太郎が、標的にしている道有屋敷の下女のおもとをたぶらかして、おしこみ当日、屋敷であいびきをすることを約束して、内から手引きさせて入り込む。からだを弄んだあと、気絶させて縛っておく。盗賊たちを引き入れるのは福太郎が行うが、6000両もの小判を、医師の道有は、当日の昼間に平蔵を通して幕府に寄進しており、お金はなくなっている。平十郎は、全員殺害したつもりで、成果なく引き上げるが、結局、命令通り福太郎がおもとを殺害しなかったために、彼女の情報が参考になり、蛇の平十郎は小田原で捕まってしまう。
 若い男のつなぎが、ひきこみの女とできてしまって、その後盗賊が捕まるきっかけとなるのは「尻毛の長右衛門」での半太郎とおすみでも繰りかえされる。
 
 では、何故池波は、こういう「創作」をしたのだろうか。悪と善は紙一重という哲学のためには、三カ条の掟を守る本格盗賊という存在が必要だったのかも知れないが、敵に悟られない連絡方法は、科学の発達する以前も、また科学が発達した現在でも、基本的には変わらないことを示したかったのではないだろうか。
 昔は、電話もスマホもないから、結局、対面での連絡しかなかった。手紙やメモなどは、秘密の保持という点でかなり危ういものだったろう。しかし、現在、主に連絡がスマホやメールを使ったとしても、盗聴やハッキングという、盗まれる可能性が皆無ではない。アメリカが世界の要人、それも同盟国も含めて、盗聴をしていたことがばれたのは、最近のことだ。やはり、直接対面での連絡が、確率的には最も安全である場合が多いように思われる。だが、その原始的な連絡方法を見破るのも、また人による原始的な方法に頼らざるをえないわけだ。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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