生活保護費の減額をめぐって起こされた全国29の訴訟の判決が、いくつかでているが、今年になってだされた福岡(5月)、金沢(11月)、京都(9月)の判決に、同じ文章があり、また、誤字(NHK受診料)が共通して使われていたということで、コピペをしているのではないかという騒ぎになっている。もちろん、正確なことはわからないし、判事たちが、コピペしましたなどと認めるはずもない。また、裁判官は同じワープロを使っているはずなので、似たミスをする可能性もあるし、報道されている文章については、決まり文句的な表現でもあるので、似たとしても不自然ではないともいえる。判決文というのは、原告と被告の主張を整理して、どちらかの論理を採用するわけだから、被告が同じである以上、裁判が異なっても、同じ被告が同じような陳述をしているはずで、コピペしなくても、似たような判決文になる可能性は、小さいとはいえないだろう。
また、原告にしても、29の訴訟を起こす集団訴訟だから、原告団として共通の文書を用意しているだろうし、そこではコピペが多用されていると想像できる。
従って、私はコピペがあるから問題だとは、必ずしもいえないと思うのである。
では、何も問題がないのかといえば、これも推測にすぎないが、本当の問題は別のところにある可能性だ。
昨年6月におそらく最初の判決が出た。争われていたのは、2013年から15年にかけて、生活保護の基準引き下げが行われたことが、違法であるかどうか、厚労省の裁量権の範囲であるかだ。最初の名古屋地裁判決は、厚労省に裁量権があり、行われた引き下げは、裁量権を逸脱するものではなかったというものだった。
しかし、今年の2月に出た大阪地裁では、引き下げの基準が、合理性を欠き、裁量権を逸脱しているとして、原告の請求を認めた。ここで、政府はあわてて、対策を練ったはずである。
その後問題となった福岡、京都、金沢、そして、今年12月に神戸の判決があった。大阪以外は、すべて、原告の請求を退けたもので、厚労相に裁量権があり、問題となっている引き下げは不合理とはいえないとしたわけである。
コピペがあったのではないかと疑われている判決は、いずれも、大阪地裁判決のあとであることだ。メディアは、コピペの問題として報道しているが、もちろん、本質はそこにはない。裁判の独立性の問題である。憲法以下の法令で、裁判官は、独立して審議を行い、判決を導き出すことが必要であるとされ、裁判官はもちろん、第三者も、裁判の審理に介入してはならないとしている。大分前のことだが、まだ私が若いころに、平賀書簡問題として有名になった事件があった。札幌地方裁判所の長官だった平賀氏が、自衛隊基地建設にかかわる訴訟を担当していた判事に書簡を送って、判決に影響力を行使しようとして、処分を受けたものである。つまり、同僚や上司ですら、担当以外の訴訟に関して、助言などすらしてはならないのである。ましてや、行政機関が、司法機関である裁判の具体的な事例に、圧力などかければ、そのこと自体が大問題なのである。
しかし、この事件は、大分前のものだ。その後、公務員の「忖度」が目につくようになっている。忖度は、自分の出世、あるいは身分保障のために行うものだ。裁判官だけ、そうした意識にとらわれないでいると考えるのは、現実離れしているだろう。地裁段階ですら、政府に都合の悪い判決は、極めて稀になっているのが実情だ。今回の集団訴訟は、国が敗訴すれば、極めて影響は大きい。見えない形で、政府がなんらかの働きかけをした可能性は、十分にある。
誰も証明することは難しいはずである。そうしたことはないと信じたいところだが、そうした圧力に対する消極的な抵抗として、コピペをしたのだ、と考えてみると、単純に裁判官の怠慢とはいえないことになる。あるいは、原告は連絡をとりあっていることは確かなのだからは、裁判官だって連絡をとりあって、何が悪いのか、第三者の働きかけは違法だが、当事者たちの合意の上での連絡は問題ない、として、裁判官が連絡をとりあったのかも知れない。
今どきの裁判官は、そんな抵抗精神はなく、厚労省の圧力などなくても、忖度するし、面倒だからコピペをしたのだ、と考えることもできる。それは、いくら判決文を丁寧に読んでもわからないことだろう。素人は、想像を巡らすことしかできない。
プロの記者たちの取材を期待したところだ。