国民の教育権論の再建 親の教育の自由1(持田栄一論)

 国民の教育権論のなかで、親の教育権が適切に位置づけられていないことは、これまで指摘されてきた。もちろん、まったく無視されていたわけではない。親の教育権は、民法に「親権」の内容として規定されているのだから、実定法上も位置づけられている権利である。
 民法上の親の教育権は、家庭における教育(しつけや塾、習い事等を含む)と、私立学校を選ぶ権利と考えられている。しかし、公立学校に対しては、保護する子女を就学させる義務があるだけで、何ら権利が規定されていない。そして、国民の教育権論としての問題は、そうした権利構造をほとんど改革しなければならない対象として設定していなかったことにある。
 そうした国民の教育権論に、最初に、親の教育権の立場から批判を加えたのは、持田栄一であった。(持田栄一『教育における親の復権』明治図書1973.9)
 親の教育権について論じた初期の文献であり、その意味で画期的であった。明確に、国民の教育権論が、親の教育権をないがしろにしていることを批判して、「復権」させようとしているが、持田がPTA会長をした経験から考えが始まっているので、結局は「参加論」になっていて、選択論等を含む親の教育権の総合的な考察にはなっていない。そして、基本的に、近代公教育の位置づけが、国民の教育権論とは異なっていた。

 「近代において、親の教育権といわれるものは、子どもに対する私的扶養義務との引きかえに、子どもの成長発達を親が私的に選択し占有する自由を認めたもので、それを子どもへの親の情愛という人類不変の要求とからめて語るところにその特色がある。(p29)
 そこにおいては、子どもに対する親の情愛は親によって選択されることとなり、親の能力とくに経済力にかかわってくる。(略) いずれにしても、それが教育の本質的あり方を保障する所以ではないことは明らかである。(p30)」
 こうした親の権利は、貧しい親が、児童労働を強制する自由を意味したということになり、親の権利を復権するといっても、近代公教育の否定的な本質を踏まえてのことだというのが、持田論の特質である。そして、近代の教育思想家は、教育の基本を家庭にもとめるが、しかし、家庭は自由の砦であることは許されない。労働力生産に組み込まれている。だから、近代思想を肯定的にとらえるのは間違いなのだという。そして、 真理の代弁者・委託論はフィクションであると断言する。
 
 この持田論は正しいだろうか。近代社会の現実的あり方を表現しているという点では、間違いではないだろう。しかし、およそ権利論は、そうした現実を変革するための理論である。子どもの扶養義務を親が負うことは、例外的な事例もあるかも知れないが(例えば設立当初のキブツ)、近代社会に特有のことではなく、過去においてもそうだったし、また、未来もそうあり続けるだろう。子どもは、誰かに扶養されねば生きていけないし、また成長することはできないのだから、第一義的に親に扶養義務を付属させることは、合理的である。また、貧しい親が、子どもに対して労働を強制する自由を与えられた時期があったとしても、子どもの権利を確立することによって、親が恣意的に子どもに労働をさせることを禁じる体制をつくってきた。それを実現するのが権利論の役割である。日本においは、有効に機能しているといえるだろう。教育によって、労働力生産に組み込まれていくといっても、それは人類のごく自然なあり方であって、否定しても仕方ない。
 教師が真理の代弁者であることは、確かにフィクションであるが、最大限そうであるように努力することが可能な環境をつくることはできる。また、「委託」は、制度のあり方によって実現できるものである。国民の教育権論が、それを実現していないことは事実であるが、だからこそ、必要なのは、フィクションと批判することではなく、フィクションではなくなる制度を構想することであろう。(その具体施策は学校選択論として別に考察する)
 
 更に、持田論で特徴的なことは、教育は国家によって共同化されており、私事性原則は、国家による共同化を反動的と見ることになって正しい認識に到達しないという論理である。
 「社会共同の事業として教育を保障する体制の確立、近代における親・教師の私的責任の体制は上から国家を主体として社会化され、共同化された。そして、義務教育、無償教育、公教育運営への親・教師の直接参与制の実施等々の措置がとられ、現在に至っている。」(p36)
 国民の教育権論は、教育の私事性原則と教育の私的責任を絶対化し肯定的に理解するから、国家による社会化、共同化を反動としてみて、全面的に否定している。それは間違いだとする。
 
 さて、持田は、歴史的な考察としては、ドイツを基本に見ているので、教育の自由をカトリックの論理として把握している。ドイツでは伝統的に、カトリックが教育の自由を主張していたが、それは、国家が組織する公教育に対する、陣地の確保という趣旨といえる。もちろん、カトリックは学校を多数創設しているから、その学校を国家的教育としても認めることを要求する論理でもある。ワイマール憲法では、親が宗派学校を要求するときには、可能な限り宗派的な公立学校をつくる義務を国家に課していた。(それはナチスによって完全に否定され、戦後は復活していない。)
 そして、ドイツでは他のヨーロッパ先進国と同様に、三分岐制度の学校体型がつくられていったが、戦後も多くの州で残り、それに対する統一的な学校としてのゲザムトシューレが社会民主党によって主張された。イギリスのコンプリヘンシブスクールに相当するものである。
 このふたつの動向を踏まえて、持田は、宗教的には宗派学校ではなく、世俗学校、三分岐ではなくゲザムトシューレを、民主的な学校として想定しており、その限りで、教育の自由はあまり重視しない。そして、国家によって共同化された制度のなかで、親を復権させる方途として、親の学校参加を主張することになる。教師の公教育運営への直接参加そして、親の参加である。(p50)しかし、他方で、持田は、「現代ドイツ公教育において「親の教育権」は、一方において「親」個人の「教育の自由」を擁護する「自由権」的なものとして追求されながら、他方公教育運営への親の参与権を意味し、力点は次第に後者におかれるようになっている。」(p42)と述べており、それによって、親の体制内化が進行するとしているのだから、体制内化をどのように克服するのかという課題が出てくる。(続く)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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