国民の教育権論の再建1 何故国民の教育権論は喪失したのか

 『教育』の私事性論文の批判を書いていて、そろそろ、本格的な論文を書くべきではないかという感覚になってきた。私にとっては、やはり教育権に関する論理をしっかり構成することを、第一の課題にしている。国民の教育権論が事実上崩壊し、それに代わる教育権論が登場していない以上、国民の教育権論の再建が必要である。
 そのために、これから、いくつかメモ風の文章をここに書いていくことにする。
 『教育』の論文批判にも書いたように、国民の教育権論が崩壊したのは、私事性理論が、重要な「委託」の部分を構成しなかったからである。しかし、いくつかの文献を読み直して、妙なことに気がついた。
 まず堀尾氏を中心とする国民の教育権論は、委託という言葉を使用している。再度児玉重夫氏の定義を引用しておこう。
 「保護者が自らだけでは果たし得ない権限の一部を協働して教師に委託し、その結果創設されるのが、公教育としての学校であるととらえる」
 これが、国民の教育権論における「私事性」論である。元々家庭における私事であった教育機能を、親が教師に「委託」したのが、公教育としての学校であるから、国家は、私事には介入すべきではなく、教師の専門性に委ねるべきであるというのが、この私事性論の使われ方であった。つまり、教師の教育の自由、国家の教育内容に関する不干渉の根拠づけの理論である。そして、1960年代の全国学力テストや、長く闘われた家永三郎氏による教科書訴訟で、中心的な理論となっていた。確かに、歴史的にみても、また、現在でも、最初の教育は家庭で行われるし、子どもの教育に最も大きな責任をもつのは、保護者である。しかし、保護者が子どもの教育にできることは限界があるから、公的な施設として学校がつくられた。だから、私事性論は、公教育の現実にはあっている。しかし、実際には、同じ論理で、逆のこともいえるのである。事実、教科書訴訟で、唯一ほぼ完全に家永氏が勝訴した杉本判決に対する控訴審で、文部省は以下のように主張していた。

 「公教育制度は、国民が子どもの教育の一部を国家に対して付託することによって行われるものであるから、国民が教育を付託した限りにおいて、原判決のいう国民の教育の自由は、逆に公教育制度によって制約されているという結果にならざるをえない。したがって、親の教育の自由を根拠に公教育における国家の教育内容への関与を制限するのは、論理的に誤っているといわなければならない。」

 つまり、国民の教育権論は、親が(私事)を委託したのだから、国家は教師の教育に介入すべきでないという「教育の自由」を導き出したのに対して、文部省は、親が国に付託したのだから、国家が教育内容に責任を負うのは、当然であり、教育の自由は制限されるという理屈を提出しているのである。つまり、論理展開は同じなのに、結論が全く異なるという、一見不思議な対立になっている。しかし、読めばわかるように、「委託」とか「付託」という言葉が、ただ単に言葉として言われているだけであるのは、双方に共通している。実は、杉本判決もほぼ同じ表現をしているのだが、「信託」という言葉を使っている。国語辞典的には、委託、付託、信託、いずれも、だれかに権限や財産を「預ける」ことであって、意味はたいした相違はない。 
 では、どれも「委託」「信託」「付託」などと、同じことをいっているのに、結論が正反対になっているのは、何故だろうか。それは、いずれの立場も、その肝心の言葉の「具体的」姿を示していないからである。だから、国民の教育権論では、「学校と教師」に委託し、文部省の国家教育権論では、「国家」に付託し、杉本判決では、「教師」が信託を受けていると書いているにもかかわらず、付託や信託、委託が「どのように行われているのか」まったく書いていないのである。要するに、それらは「論理的虚構」であり、都合のよいように委託先を書いているだけなのである。国民の教育権論対国家の教育権論の対立は、主に教師や教育学者、そして教育行政当局によって論争されていたので、親の立場からの立論は殆どみられなかった。
 国民の教育権論の立場から、比較的丁寧に親の立場を論じている牧柾名氏にしても、この委託の具体的姿には論及していない。
 牧柾名は、『国民の教育権』のなかで、次のように書いている。

「親にとっては、子どもの発達保障にふさわしい教育を選ぶ自由であると同時に、親たちが知恵と力をよりあわせて、子どもたちに必要な教育の実現を要求し、自ら教育を行っていく権利でもある。」(p16)
「教育の自由は、主体においても内容においてもきわめて複合的な内容をもつものであり、学習の自由を中心として、両親の教育選択権、私立学校設置の自由、教師の教育の自由を含む精神的自由としてとらえられる。」(74p)
 ここで牧がいう「教育を選ぶ自由」「両親の教育選択権」とは、公立学校にいれるか、私立学校にいれるかの選択権があるということであり、「委託」を示すものとして書いているわけではない。もろちん、それでも、私立を選択したということは、その私立学校に子どもの教育を委託したことになるが、問題は公立義務教育学校だから、その意味では、まったく委託をしていないことになってしまう。
 つまり、親の教育権について比較的詳しく論じた牧にしても、委託の具体的制度構想はまったくなかった。
 教育行政もそうだったのだから、そこが対立点にはならなかったのである。

 しかし、事態が根本的に変化したのは、1980年代の半ばに、中曽根内閣が臨時教育審議会(臨教審)を設置してからであった。臨教審は、本心であったどうかは定かではないが、当初盛んに、「教育の自由化」論を主張し、塾なども学校として認めて、公立学校、私立、塾などを自由に選択させて、同等の教育と認めればよい、と盛んに喧伝していた。かなり乱暴ないい方をしていたためもあってか、文部省と日教組はともに反対し、それまで不倶戴天の間柄だった両者が、「教育の自由化」論反対で共同したのである。結局、その反対が通って、自由化論は引っ込められ、「個性の重視」に変わったのだが、ここで、国民の教育権論は、「教育の自由」を主張しなくなった。いわば、自由化論に、自由の概念を奪われてしまったのである。もちろん、当の国民の教育権論者たちは、そんなことはないというかも知れないが、その後の論文を読めば、「教育の自由」への言及が著しく減少したことは否めない。
 そして、その次が、1990年前後に文部省が打ち出した「学校選択」である。公立の義務教育学校でも、学校の居住地指定ではなく、選択できるようにしようという政策である。文部省がどれだけ本気だったかは、不明であるが、当時は確かに推奨していた。そして、東京の23区を中心に、いくつかの地域で選択制度を導入する自治体がでてきた。
 このとき、主要な国民の教育権論者たちは、学校選択制度に、猛烈な反対をした。学校選択などしたら、学校間に激烈な競争が起こり、格差が生じるという弊害を書き立てた。このときの選択制度そのものについての議論の紹介は、さんざん書いてきたので省く。重要なことは、学校選択という行為は、親が自分の子どもを学校に「委託」する、具体的な行為を意味している点だ。つまり文部省は、「付託」を現実化しようとしたのであり、国民の教育権論者たちは、「委託を否定」しかも、原理的に否定したのである。選択などしたら、教育は荒廃するので、そんな制度は間違いだというわけだ。
 だが、冷静に考えてみれば、選択=委託を否定すれば、「私事性論」そのものを否定することになるではないか。もちろん、委託の具体的方法は、学校選択以外にもあるという主張は成立する。しかし、そのほかの委託の方法を示した人は、私の知る限りいない。選択への対抗理論は「参加」であって、参加は、割り当てられた学校での参加に過ぎないから、委託はやはり、顧みられなくなっていた。
 この時点で、私事性論は、完全に破綻したことを否定することできないだろう。

 私は、しかし、いまでも国民の教育権論の立場にたっている。当然のことながら、いまでも、形式的に私事性論にたっているひととは異なって、この委託を中核とする理論構成で、再編成する必要があると考えている。その論理を以降、模索していきたい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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