読書ノート『満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦』安富歩 角川新書

 今や一月万冊の常連として有名な東大教授の安富氏の本来の研究分野である満洲問題を、一般向けに講演した内容をもとにした著書である。満洲の専門家であるとともに、「立場主義」を批判する著者が、このふたつを結びつけて、実は日本人にあまり知られていない満洲事変から満洲国設立、そして崩壊をわかりやすく説明している。
 詳しい紹介は省き、感想のみ書いておきたい。
 満洲国は、関東軍の暴走として語られるが、安富氏の問題意識は、なぜ暴走が起きるのかという点にある。それは、ポジティブ・フィードバックが想像もできなかったような爆発的な結果をもたらすという。原因が結果を生み、また結果が原因に作用して拡大していく。これをフィードバックと呼ぶが、これが連関してしまうのがポジティブ・フィードバックだ。満洲での例では、鉄道の発達が馬車用部材の流通を効率化、すると馬車が発達、馬車を利用して、ヒトとモノが鉄道に集中し、更に鉄道が発達。そして、その循環によって、爆発的に鉄道、馬車、モノ、ヒトの移動が発達するというわけだ。
 それ自体はよいとして、そこに、軍部の暴発が起きると、それをとめられなくなる。「立場主義」がじゃまをするというわけだ。一端起こしてしまったことは、容認せざるをえないし、それを止めさせることは、お互いの立場上できないという意識か働く。そうして、どんどんエスカレートしていくという。このふたつが折り重なった結果として、満洲事変から満洲国の設立、日中戦争、そして、アジア・太平洋戦争へと拡大していくが、どの場面でも、立場主義が作用して、とめることができなかったというわけだ。もし、立場主義でなければ、とめられる場面はいくつもあったし、そうすれば、日本の崩壊はなかった可能性があるという。
 安富氏がいいたいことは、これは日本の過去の歴史的なことではなく、現代においても繰りかえされているということだ。その一例が、原発である。確かに、安全神話の流布、予測されたリスクへの対処の不徹底が、積み重なって福島の事故になっている。これも、いくつもの時期に、適切な対応をしていれば、防げたといえる。しかし、ほとんどの関係者は、「立場主義」から強い諫言をしなかったし、また、実際に、事故のあとで、誰も責任をとらなかった。
 この本が書かれた時期からは当然触れられていないが、今年のオリンピックに際しても、似たようなことが言われた。オリンピック開催への流れは、戦争に突入した当時の軍部ににていると、盛んに指摘されたものだ。

 こうした分析には、基本的に同意できる。しかし、その対処法には、若干疑問である。どうすればよいのか。安富氏の処方は
1 真実に目を向ける。
2 自分の本来の姿を取り戻す。
3 自分自身の本当の利益の対する感覚の回復
 ここまでは、立場主義から自由になろうという、精神主義に近いことが書かれているが、実は現代では、立場主義はコンピューターの発達によって、実は打ち砕かれているという。いくら頑張っても、AIやロボットには適わず、人は代わられていく。だからさぼって、創造的なことにかかわろうというのが結論のようだ。
 立場主義というのは、いいかげんな人間か、いいかげんに仕事をすることによって、問題を引き起こすのではなく、有能でまじめな人間が、一生懸命仕事をすることによって引き起こされる。少なくない人は、その弊害を知りつつやっている。だから、真実に目を向けよう、そして、本当の自分や利益に対する感覚を取り戻そうというわけだ。しかし、それができないから「立場主義」なのではないのか。
 立場主義を棄てて、真実にいきようとすると、バブル時代に無理な貸し付けに奔走した銀行に対して、ある銀行の支店長は、いつも通りやれといって、残業もしないような職場を維持したが、左遷されてしまった。結局バブルがはじけたあと、その支店は黒字を続けたが、他はほとんど赤字に苦しんだというが、結局その支店長は左遷されたままだったようだ。
 つまり、立場主義を棄てることは、不利な扱いをうけることだ。安富氏は、それでいいではないかという。個人の生き方としては、それが可能ならば、素敵な生き方ができるだろう。家族をかかえた親が、そうできるか、決意できる人は少ないに違いない。
 しかし、やはり、安富氏自身が志していると思われるが、現実に起きていることを冷静に分析して、その間違い、予想される悲惨な結果を、公表していくことだろう。
 ただし、それもかなり勇気のいることだ。実際に、石井 紘基氏のように、暗殺されてしまう可能性もある。この本を読んで、実は石井 紘基氏の事件を知ったのだが、なぜ、こんな重要で、かつ大きな話題知なった事件を知らなかったのかと、当初妙な気がしたのだが、私がオランダに二度目の海外研修にいっていた時期に起こったことだったので、知らなかったのだった。
 私も学者の端くれなので、「真実」に目を向けて、公表していこうと思う。小さな力だが。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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