しばらく旅行に出ていたので、通常の話題について書けなかったが、昨日ネットをみていると、産経新聞が、「イベルメクチン個人輸入に警鐘「科学的根拠ない」
2021/10/17 と題する記事を掲載していた。イベルメクチンは、新型コロナ治療薬として、世界的な論争の対象になっている。私自身は、専門家ではないので、正確なところはわからない。しかし、この議論について考えるところは多々ある。
専門家の間でも効果があるという人と、ないという人がいる。そして、議論は、「科学的」な検証を重視する者と、実際に使って効果があった、なかったという人がいる。立場も様々だ。
一番望ましいのは、純粋に安全性と効果があるかどうかの議論で、あるなら速やかに認可して使えるようにすることであろうし、安全性も効果もないなら、はっきり禁止すべきだろう。しかし、実際の使用についても、結果について議論が分かれているし、更に議論を複雑にしているのは、イベルメクチンには人間用と家畜用のものがあって、コロナ用には、認可されていない国が多いので、個人輸入のような形で入手するために、家畜用も使ってしまう人も少なくないということだ。家畜用の薬を使えば、リスクを負うことは自然で、そのことも反対論を強めている。
さて、私がこの議論に大きな関心と疑問をもつのは、「科学的」なるものの概念の恣意的な使用があることだ。
イベルメクチンの使用に反対、あるいは不許可を主張している人たちには、いくつかの種類がある。
まず、販売元を中心とした製薬会社である。イベルメクチンを製造している企業(メルク社)が反対しているのは、一見奇妙な感じがするが、イベルメクチンは特許が既に切れており、ジェネリック薬品として他社から製造販売されている。つまり、大手製薬会社にとっては、利益をあまりうまない商品なのである。したがって、メルク社自身が、熱心に治験を行なっていないと言われている。アビガンも似た状況である。
それから、科学者たちである。これまでに、イベルメクチンの治験をして効果が実証されたとする論文に対して、批判する科学者たちが少なくない。それは、データに不備があるとか、実験数が不足している、あるいは被験者の設定に偏りがあるとか、要するに統計上の不十分さを指摘するものである。
これは一見もっともな議論に思える。薬品の認可には、厳格に規定された治験がなされ、そこで求められる条件をクリアする必要がある。だから治験に不備があれば、認可するわけにはいかない。
しかし、このもっともな意見もそのまま受け取りにくいのは、これまでに認可されたコロナ対応の薬品の多くが、その厳格な規定に基づいた治験を、かなり省略した形で済ませたものを、特例認可していることである。ファイザーのワクチンを見れば明瞭である。ワクチンの製品は開発に少なくとも数年はかかると言われてきた。それは、開発自体に数年かかるというよりは、厳格な安全性を確認するための治験のために数年かかるということだ。副作用は、服用してから直ぐにでるものと、ある程度経過してから出るものがある。そこで、ある程度の長期間様子を見るわけである。
しかし、コロナのワクチンに関しては、ファイザーにしても、モデルナにしても、治験は1年内での結果である。だから、「特例認可」なのである。
私が不思議に思うのは、イベルメクチンに対して、厳格な科学的治験を求めて、それが不十分だから認可すべきではないと主張している科学者、あるいは科学評論家たちは、ファイザーのワクチンに対しても同様な主張をしているのだろうか、という点だ。ファイザーのワクチンに特例を認めるなら、イベルメクチンに特例を見てもよさそうなものだ。
実際に、アフリカやインドで、イベルメクチンが効いて、コロナの流行が軽減したという現象かおきているからだ。特に、インドでは、イベルメクチンを使用するなというWHOに対して、訴訟を起こそうという動きもあるという。
つまり、イベルメクチン賛成派の人たちは、実際に大量に使用されて、爆発的な感染がかなり抑えられたという「事実」を重視している。インドからの報告を見る限り、そうした現象があったことは間違いないようだ。
しかし、それが本当に科学的な「事実」であるかは、厳密にいえば、断定することはできないかも知れない。特に、アフリカなどは、若年層が圧倒的に多く、コロナで重症化しやすい高齢者が少ない。若年層は、コロナに感染しても、ごく軽い症状で済んでしまう。だから、コロナで発症して、イベルメクチンを服用し、治ったとしても、それはもともと自然免疫で治った可能性もあり、イベルメクチンによって治ったわけではないともいえるわけだ。もちろん、そういう可能性もあるだろう。しかし、イベルメクチンの効果かも知れない。問題は、その「現象」を科学的に究明していないことだ。究明自体が不可能なのかも知れないが、すると、科学的に効果を確認するためには、規定にしたがった治験以外にないのか。
どんなに大量の患者が、イベルメクチン服用後に治癒したという現象があっても、それは科学的には意味がなく、きちんとした治験だけが、効用を証明できるのか。もし、治験以外には効用を証明できないとしたら、そんな資金も設備も人材もない途上国の人々は、先進国に頼るしかないということになる。既に安価に製造し、入手できる薬を使って、目に見える効果があるように見えているのに、WHOや先進国の科学者たちに、中止を勧告されるというのであれば、先進国に服する以外にはなくなる。また、先進国でも、貧しい人たちが、早く安価に手に入る薬があるのに、治療できないということも起きるかも知れない。日本のような「先進国」でも、入院できないままに放置された患者は、入院した場合にだけ、投薬をうけることができるのだから、自宅放置された人が薬を入手したいと思えば、イベルメクチンを個人輸入を経由して入手したいと思っても仕方がない。
産経新聞は、科学的根拠ない、と切り捨てているが、実際に批判しているのは、過剰投与や動物用のイベルメクチンの使用だ。だから、使用法を正しく行なえばいいということになるのだろうか。
しかし、「科学者」や「製薬会社」は、否定的なのだから、正しい使用法など説明しない。そして、素人には、正しい使用法など理解しようがない。
私は、直ぐにイベルメクチンを認可すべきだと主張できる根拠はない。しかし、イベルメクチンに対しては、厳格な治験を求めるのに、まもなく認可申請がされるらしいメルク社の新薬については、「特例承認」がなされるらしい、という情報には、やはり首を傾げざるをえないのである。特例承認というのは、厳格で十分な治験を経ずに、簡略になった治験で、とりあえず使用を認めるということだが、実際には、承認されたも同然となる。そして、その際、イベルメクチンの承認には、製造企業自身が強く反対するだろう。そんなことをされては、他社が製造する安いジェネリック薬品に押され、しかも、新薬の売れ行きに影響するからだ。つまり、認可が、特定の製薬会社の利害に強く影響されている。
科学者や科学評論家は、こうした経済的、政治的影響も踏まえた論評をしてほしいのである。