祝日が多すぎないか 自由に休めることが大切だ

 今週は、2日も祝日の休みがある。私は、かつての職場が大学で、退職前の数年間は、祝日でも授業をするようになっていたので、祝日がいつかという感覚が鈍っていたが、更に退職して、毎日が日曜日状態なので、その感覚は喪失したといってよい。しかし、さすがに、週に2日も祝日があると、異常だと感じてしまう。普段は、平日に行動することにしているのだが、それは、平日のほうが、あきらかに人出が少ないからだ。それで、昨日、ショッピングモルに用事ででかけたのだが、えらく人が多い。それで、ああ今日は祝日だったと思い出したわけだ。そして、そういえば、そろそろ秋分の日がくるはずだと思って、確認すると、木曜日が秋分の日で祝日だった。とにかく、21世紀に入ってからだろうか、あるいは、平成になってからか、やたらと祝日が増えた。そして、祝日が土日になると月曜日が休みになったり、あるいは祝日に挟まれる5月4日が休みになったり、とにかく、休日が増加した。大学は、曜日ごとに授業が決まっており、しかも、同じ科目は週1だから、月曜日が休みになることが多く、文科省の縛りがきつくなって、授業回数を確保しなければならないので、祝日授業が普通になったのだが、特に月曜日は、休日なのに授業ということが多くなっていた。

 そもそも、祝日というのは、国家が記念的な日を指定して、国民全体が休んで祝うという日だ。しかし、海の日などは、いかなる意味でも、何かを記念している日とはいえない。昭和の時代には、4月29日は天皇誕生日だったが、平成になって、「みどりの日」とか「昭和の日」とか、名称がかわりつつ、祝日としては維持された。天皇誕生日なのだから、天皇が代替わりすれば、天皇誕生日が移るだけでいいではないか。
 
 では、何故日本ではこんなに、国家による祝日が多いのか。そして、それはいいことなのか、考えてみよう。
 その前に、国際的にみて、祝日の回数はどのようになっているのだろうか。ウィキペディアで調べてみた。気の向いた国をピックアップしたのだが、国によって事情が違うので、数え方は一定していない。ただし、傾向はわかると思う。
 
アメリカ  10日
カナダ     12日
イギリス   8日    (イングランド)
オランダ   7日
ドイツ      7日
スイス      8日
ルーマニア 12日
韓国         9日
インド     17日
タイ        16日
中国         5日
ベトナム   8日
ロシア      8日
トルコ      9日
イラン      23日
サウジアラビア  1日  ラマダン明け、犠牲祭の長期祝日あり
 そして、日本は16日である。(ただし、5月4日はカウントされていない)
 
 長期休暇は、原則カウントしていないが、傾向としては、自由の度合いが大きい国は、祝日が少なく、そうでない国は逆に祝日が多い。ただし、中国やサウジアラビアのように、独裁的な国家では、極端に少なくなる。こうしたことが確認できるだろう。日本の現状が頭にあるから、そう見えるのかも知れない。つまり、自由な国家は、有給休暇で自由に自分で休むことができるが、自由でない国家は、それができないから、国家が国民を慰撫するために、国家の祝日として休みを与え、国家に感謝させるようにする。また独裁国家は、そんな慰撫すら必要ないということだろう。
 日本では、有給休暇が法律によって決まっているが、実際にはなかなかとれない職場が多い。特に学校の教師などがそうだ。教師が、授業のある日に有給休暇をとろうとすると、多くの職場で、理由をきかれるという。しかし、有給休暇というのは、理由の如何によらず、休暇をとれる制度であるから、理由を問いただすというのは、極端にいえば違法行為であり、パワハラでもあるのだ。そして、実際に授業に穴をあけることになるから、平日に有給をとることは、教師には非常に難しい。それで、有給をどんどんためている教師や、とることを促されて、夏休みに多くとったりする。以前は、夏休みは事実上の「休み」だったが、今は、厳格に勤務、つまり、学校にいることを義務付けられている。授業はないのだから、あまりやることもない。だから、有給休暇をとりやすい、だから、そこで消化するというわけだ。
 学校の教師は、そうやって形式的に消化する者も多いが、企業では、実質的にほとんどとることができない職場も少なくないにちがいない。
 
 そういう状況を考慮して、祝日を増やしているとも考えられる。国家の祝日であれば、強制的に休みになる。休日でも、仕事をしなければならい職種を除けば、ほぼ全職場が休みになる。それで、休みをとれるということは、事実としてある。
 だが、弊害も見逃すことができない。
 まずは、自分がとりたいときに、休みをとることかできないということだ。空いているときに、観光地を訪れたいとか、あるいは、家族が病気になったとか、いろいろな事情があるだろうが、予め予定に組まれた日以外に、休みをとりたい、とる必要がある。そういうことも多い。しかし、祝日は、決められているから、自由度はまったくない。
 次に、国民が一斉に休むことは、経済的に効率を下げるはずだ。祝日には、行政手続ができなくなるし、商品の入荷等の作業も縮小される。工場も休むことになる。
 祝日としてではなく、順次、有給休暇で休むのであれば、全体としての作業は中断されることなく、経済活動が継続する。観光業にしても、祝日で、一時期にどっと押し寄せるが、それ以外は閑古鳥状態になってしまう。つまり、経済活動からすれば、祝日はむしろ少なく、働く者が、自由に、十分な有給休暇を取得できるほうが、ずっと好ましいのである。
 そして、私として最も気にいらないのは、祝日で休ませるという制度は、国家が国民の生活を統制していることになる点だ。生活は、当人が自由に決められる度合いが高いほうがよい。祝日を増やしていることは、国民の便宜を図っているようでいて、実は、国民の生活をコントロールしているのである。
 今後のとるべき方向性は、明らかだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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