鬼平犯科帳 作者晩年の衰え? ふたりの五郎蔵

 最近、鬼平犯科帳について、あまり書かないが、自分としては毎日親しんでいる。毎日のジョギングのときに、だいたい一話ずつ、録音バージョンを聞きながら走る。毎日なので、当然、何度も繰りかえしており、録音のある話は、完全に頭に入っている。そうすると、やはり、多くは何度聞いても面白いのだが、なかには、聞けば聞くほど、話の展開に不自然さを感じるものもいくつかある。それは、晩年に書かれたものに多い。やはり、高齢になると、すく雑な筋の流れに、矛盾なく、しかも巧みな展開を持ち込むのは、難しいのかも知れない。文庫本の24巻目は、とりあえず長編の形で進むのだが、一話ずつの関連は弱く、その話のなかでの展開にも無理を感じるものが多い。そして、途中で作者が亡くなったために、ここが絶筆という断り書きがはいるのである。つまり、死亡する直前に書き進めていた物語ということになる。それはすごいことなのだが、どうしても気になるのは、「ふたりの五郎蔵」という話だ。前に少し書いたのだが、今回、すべて書き出してみようと思った。物語をずっと振り返りながら、どこに矛盾や不自然さがあるのか、池波正太郎氏が元気なら、どんな展開にしたかを考えてみた。

 
 それまでの長い話のなかで、この話題を理解するために必要なことを、まとめておく。
・平蔵お気に入りの密偵伊三次は、強矢の伊佐蔵に殺害され、伊佐蔵は平蔵に捕まって火あぶりの刑に処せられた。
・大滝の五郎蔵とおまさは、古参の密偵で夫婦であり、新参の密偵お糸も同居している。
 
 さて、「ふたりの五郎蔵」は、新たに役宅に雇われた廻りの髪結い五郎蔵を中心とした話である。以前髪結いを引き受けていた中間の政吉が故郷に帰るときに、五郎蔵を佐嶋与力に紹介したとあり、盗賊改めの役宅では、外部の人を雇うときには、厳重な調査をすると書いている一方、ここでは、かなり簡単に採用した雰囲気だ。まずは開始から、躓いている。
 密偵の五郎蔵が、新任の髪結い五郎蔵が気になるので、役宅にいく。ところが、髪結いの五郎蔵がきていることは知らない。「それとなく、髪結い五郎蔵の顔を見ておこうとおもったのであろう」と書いているが、きていることがわからないのに、そういう目的で行くだろうか。そして、さりげなく木陰から髪結いの五郎蔵をみている。そして、「何か安心をしたような、当てが外れたような、それだけではない何かが、五郎蔵のためいきに含まれていたのである」というが、その何かは、その後も明らかにならない。昔、五郎蔵という名前の盗賊を知っていたので気になったことは、あとで説明されるが、「ためいきをつかせた」何かは、まったくわからないのである。
 この日の帰宅時に、髪結いの五郎蔵は後をつけられて、自宅を確認され、女房が誘拐されることになる。
 そして、翌々日、平蔵が髪結いを五郎蔵にさせるのだが、この日の進行具合か、いかにも不自然だ。
 五郎蔵にさせるのが、3度目というのに、「おお、五郎蔵とやら。ま、こちらへ入るがよい」と声をかける。3度目なのに、「・・とやら」というだろうか。
 そして、直ぐに、平蔵は五郎蔵の妙なことに気づく。特に、女房のことを聞いたときに、五郎蔵の手が震えだして、「剃刀傷をつけるなよ」と注意までしているのである。
 そのあと、直ぐに佐嶋を呼び出して、五郎蔵の振る舞いを語り、身元の確認を再度やるようにいい、それとなく見張りをつけるがよい、とまで述べている。ここは、さすがに平蔵だ。そして見張り役を五郎蔵夫婦がよいという。佐嶋は「おまさが、明日、まいりますが」というと、平蔵は、「きたら、すぐわしのところに」という。佐嶋はすぐに再調査をして、問題ないと報告する。これは、明らかに、当日のことだ。すると、明日くるはずのおまさがやってきて、おまさに髪結い五郎蔵をみさせて、盗賊ではないという感想を確認する。そして、調査を命ずるが、密偵で夫の五郎蔵ではなく、密偵になったばかりのお糸をつれていけという。
 つまりここで、明日くるはずのおまさが、当日にやってきていること、五郎蔵夫婦に任せることにしていたのに、お糸にと変更していること。こういう脈絡のない「変更」が今後も随所に表れる。
 翌日さっそく、おまさとお糸は髪結い五郎蔵の家を訪ねるが、妻のおみよが4日前から行方知れずになっていると、近所の人から聞き込む。4日前に誘拐されたことになるのだが、すると、五郎蔵のあとをつけて、その日に誘拐したことになる。五郎蔵は、かなり遅く帰宅したはずであり、その前の昼過ぎに買い物にでかけたおみよを誘拐できるはずがない。しかも、密偵の五郎蔵が初めて、髪結い五郎蔵を見た日だとはっきり書いている。
 
 以降は、日程のずれではなく、各人の行動に不可解さが目立つようになる。
 まず、女房が帰って来ないことに不安を感じた五郎蔵は、御用聞きの孫七に相談をするのだが、もっと確実な調査力をもち、江戸中評判の長谷川平蔵の髪を結いつつ、だまって隠している。孫七に自ら相談にいったはずだから、誘拐されたことを危惧していたはずであり、それなら、より確実に捜査してくれる平蔵に打ち明けるはずである。しかも、平蔵は、女房は元気か、と質問までしていたのである。この時点では、まだ、髪結いの五郎蔵は、誘拐犯から呼び出されて脅迫されていないのだ。
 女房がいなくなったことを、おまさから報告された平蔵は、しばし沈思するのだが、聞き込みに相模の彦十を加えることだけ言いつける。これまでの平蔵であれば、直ぐに、誘拐されたこと、そして、それが盗賊改めの役宅に出入りする人物、あるいは、有力商家に出入りする人物であることから、盗み、そして、自身への復讐のために誘拐されたことを疑って、もっと念入りな対策をするはずであるが、一向にそうしない。
 それまでの平蔵なら、どういう対応をとるか。
 誘拐は髪結い五郎蔵への脅迫と、悪事の強要をしていると考え、そういう人物と会う可能性が高いから、髪結い五郎蔵を尾行させるはずでる。しかし、それをしない。だが、実際に、平蔵がのんびりしているときに、五郎蔵は、兄を平蔵に処刑された「暮坪の新五郎」に呼び出され、おれのいうことを聞け、と脅迫されていたのである。しかし、その「おれのいうこと」というのが、ここでは、まったく明らかにされておらず、五郎蔵が仕方なく引き受けたとのみ語られる。
 この後の話の進展として、しかし、このとき25両もの大金をあたえ、更に成功したらもっと出すというほどの大仕事を五郎蔵にさせていないのである。実際にさせたことは、浪人たちに役宅を放火・襲撃させるときに、五郎蔵に門をあけさせるように、門番に話しかけるということだけである。平蔵は、さすがに、誘拐を当初、五郎蔵が出入りする裕福な商家への盗みの手引きだと考えて、その捜査を命じるだが、新五郎が絡んでいることを知ったあとは、復讐であることを考えて、対策をとっている。しかし、何故そういう対策をとることを思いついたのかは、まったく語られていない。
 放火と襲撃は、別に五郎蔵が門をあけさせなくても、十分に可能なことである。むしろ、五郎蔵の女房を誘拐して、五郎蔵が平蔵に相談し、警戒されてしまうことのほうが危険だろう。しかも、商家の手引きには、五郎蔵を使っておらず、女房誘拐の真意が不明なのである。
 
 次の不可解は、おまさとお糸が探りに出たとき、たまたま、お糸が知っている伴助という盗賊をみかけ、お糸が尾行する。おまさは伴助を知らないが、伴助はおまさを知っているので、おまさの尾行は感ずかれる危険があるという理由だが、お糸が伴助を知っているなら、当然伴助もお糸を知っているわけで、お糸が尾行するほうが危険なはずだ。伴助がおまさを知っているといっても、少女時代のおまさなのだから、一緒に仕事をしたことがあるらしいお糸より、ずっとおまさのほうが安全だ。
 とにかく、お糸は伴助の隠れ家をつきとめ、しかも、壜盥(びんだらい)をもった男が出てくるのを発見する。それは五郎蔵かという平蔵の問いに、まだ五郎蔵を見たことがないのでわからないが、おそらくそうではないか、という。しかし、そのあと、平蔵が、五郎蔵であるかどうかの確認をさせない。ここもおかしなところだ。おまさと一緒の尾行であれば、確認できたわけだが。そして、お糸は、もうひとり、強矢の伊佐蔵の子分の戸祭の九助を確認していた。伊佐蔵こそ、平蔵が処刑した盗賊であるので、ここで、はっきりと自分への復讐を企てていると、平蔵は確信するのである。抜群の勘働きを誇る平蔵としては、いかにも遅い。
 翌日、髪結いの五郎蔵も行方杖不明になったと孫七が告げにくる。その際、平蔵たちは、五郎蔵が髪結いに通っている桔梗家が金貸しをして裕福であることを知り、にわかに、桔梗家を新五郎の盗みの候補として警戒を始める。
 続いて、見回りにでかけようとして、酒井同心に、髪結いの五郎蔵の出入りは、表門か裏門かと質問する。突然で、その理由も何も述べられないが、あとで、新五郎の雇った浪人が、裏門から押し入ろうとするのを、予め警戒させていた同心と平蔵の息子が迎え撃つことになる。それにしても、ここで突然、勘働きが閃くのも、飛躍がありすぎるのだ。
 
 桔梗家を監視していると、壜盥をもった男が出てくるのだが、五郎蔵ではない。そして、そこでお兼という女盗賊を、密偵の五郎蔵が確認する。お兼が桔梗家に住み込んでいるわけだ。それから、お糸の発見した農家を見に行くことになるのだが、結局、新五郎の盗人宿である農家を無視して、お兼の動向を見張ることに専念し、密偵の五郎蔵が、お兼が盗人のつなぎに、合図したのを確認して、盗みの日取りをつかみ、一斉逮捕。そして、役宅での襲撃を防ぐという手順になる。もちろん、お兼の行動は、監視しているといっても、簡単ではなく、あやうく見逃すところだったのである。
 他方、農家を見張っていれば、そこに盗賊たちがやってきて、より詳しく、確実に盗みの実行体制を把握することができ、それまでの平蔵なら、確実に盗人宿と桔梗家の両方を見張ることになるはずである。しかし、お兼だけ見張っておればよいということにして、あとで、それか良かったと、むしろ逮捕に失敗した可能性すらある対応を「誇っている」のである。桔梗家での逮捕に失敗すれば、役宅の襲撃も防げなかった可能性すらある。
 
 こういうわけで、最初から最後まで、この「二人の五郎蔵」という話は、矛盾が多く、長谷川平蔵のミスが羅列されている。しかし、それがミスとしてではなく、順調な捜査の連続として語られるのだ。
 何故、私がこの話に拘るのか。私が高齢者になってきたからというのが、正直なところだ。さすがの池波正太郎氏ですら、死が近づいてきた時点では、これほどの緻密さに欠ける物語を創作してしまうということに、驚きを感じざるをえないのである。揚げ足取りをしている意識ではなく、他山の石とするという意識だ。実は、私が勘違いしている面もあるかも知れないが。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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