侮辱罪の厳罰化だけではなく必要なこと

 上川法務大臣が、インターネット上などの侮辱的発言を厳罰化するという方針を明らかにして、ワイドショーなどで盛んに取り上げられている。木村花さんの自殺をきっかけに、大きな議論が起き、それが今回の方針転換となっているという。
 
個人情報開示
 書籍や週刊誌、あるいは既存のメディアにおいては、内容に責任をもつ担当者がいるので、そこで侮辱発言や名誉毀損発言があると、発言者や編集責任者が明確であるから、被害者は、被害回復を望むときには、少なくとも相手が誰であるかを探す必要がない。しかし、インターネット上では、違法発言をする人は、ほとんど匿名なので、まず誰が発言、投稿しているのかを特定する必要がある。そこで、SNS運営者(発言する際に利用しているアプリの運営者)と、プロバイダーの両方に情報開示を請求する必要があり、しかも、裁判所が開示を認めなければ、開示されなかった。つまり、相手を特定するだけで、かなりの労力が必要であり、かつ、裁判だから時間がかかる。判決ができるときには、公訴時効になってしまうという、まるで違法発言を励ますかのようなシステムになっている。それが、一回の裁判で済むように、現在では改善されているという。しかし、私は、これでも少々疑問だ。

 SNS運営者やプロバイダーは、被害者の請求があれば、まず内容を吟味して、明らかに違法性のある発言であると判断した場合には、発言者の情報を被害者に開示する権限をもつようなルール改正が必要だと思われる。もちろん、あいまいな内容だったり、あるいは違法性をもつとは思えなければ、拒否することも可能であり、そのときには、裁判所に開示命令をだすように請求することになる。
 その場合、違法発言をしたわけではないのに、開示されてしまった場合、個人情報開示をどのように扱うかを、予めルールかしておく必要はあるが、事前のルールでその時点でのトラブルは回避できるように思われる。
 
時効の延長と厳罰措置
 これまで公訴時効が1年というのは、明らかに短すぎた。調べる必要もない雑誌やテレビなどを前提に作られたルールだ。訴える前に相手の特定に時間がかかるのだから、延長するのは、当然だろう。あるいは、調べるための行為をしている間は、時効のカウントをせず、相手の特定がなされてからの時効として1年というのは、ありなのではないかと思う。
 厳罰化に関しては、現在の「侮辱罪」が30日の勾留、または1万円以下の科料というのが、軽すぎる感じはする。これまでの侮辱罪というのは、実際に対面している、あるいはそれに近い感じの人間関係のなかで侮辱するというイメージだったのではないかと思うのだ。しかし、インターネットでの侮辱は、広がる範囲が桁違いに大きいし、執拗になされることも少なくない。従って、現在より重い罰を科すことは仕方ないといえるだろう。
 
教育の必要性
 長期的にみれば、やはり、教育による改善が必要だ。
 学校で子どもたちに教えるとき、まず重視してほしいのは、「インターネットは匿名ではない」ことをしっかり認識させることだ。インターネットは匿名空間だから、誹謗中傷が起きやすいと、多くの人が思い込んでいるが、それは、表層的な理解に過ぎない。確かに、匿名だから、何いっても大丈夫と思い込んでいる人が、多数いることは事実だ。しかし、インターネットは、多くのメディアのなかでも、匿名性の低いものなのだ。公衆電話や郵便のほうが、よほど発信者を隠す可能性が高い。何もなければ、確かにインターネットは匿名空間だが、トラブルが起きて、個人情報を掴もうとすれば、裁判所の判決という壁はあるが、技術的には、確実に特定されてしまう。
 しかし、それで済むわけでもない。いじめなどをみればわかるように、加害者は自分を隠していじめるわけではない。面と向かって悪口をいうだろうし、暴力を振るったりする。だから、匿名ではないと教えても、そんなことは気にしないかも知れない。
 やはり、少なくとも学級内では、理解し合うことを促進する教育をすることが、最終的にはもっとも重要なのだろう。教師の教育姿勢が問われることでもある。
 高校や大学以上であれば、表現力の訓練も対策として有功である。意図的に、相手を侮辱したい人もいるかも知れないし、そういう人は、厳罰で処理してもらうしかないだろうが、多くの人は、何か、あなたは間違っているというメッセージを送りたいのではないだろうか。しかし、表現力が拙いので、真意が相手に伝わらず、何か悪意の感情だけが目立つような表現になってしまう。そういう場合も多々あるような気がする。日本の学校教育で、きちんとした文章表現技術を教えることは少ない。もっと重視する必要があると思う。
 それからもうひとつ、罵倒や侮辱をされない書き方を学ぶことも必要だろう。私自身は、ずいぶんネット上での激論を経験してきたが、記憶する限り、侮辱されたり罵倒され続けたけとはない。もちろん、短期的にされたことはある。激論をすれば当然のことだ。しかし、そのあと収める技術、そして、できるだけ罵倒されない書き方は、確かにある。
 最も大切なことは、相手を罵倒したり、侮辱しないことだ。どんなにそうしたいという欲求に駆られても、抑える。もし、そういう文章を書いてしまったら、とにかく、直ちに投稿するのではなく、時間をおく。できたら一日以上おくのがよい。
 そして、相手を批判することは必要だし、あってもよい。しかし、批判するときには、最大限礼儀を守ることだろう。必要なら、なぜ批判するのか、それは重要だからだ、つまらない文章、相手なら無視する、そういうことを付加する。
 とにか、いろいろな方法はあると思うが、批判しつつも罵り合いにならない書き方を学ぶことは、とても重要だといえる。
 罵倒したい、侮辱したいという意識で投稿するのならば、やはり、罰するしかない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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