日本は本当に能力主義社会か4 経済審議会答申の検討1

 能力主義を日本の社会と学校教育にもたらしたのは、1963年に、経済審議会が答申した「経済発展における人的能力開発の課題と対策」である。それ以外にも、いくつもの答申が重ねられ、中教審でも、呼応する答申があるが、まずは、中心的な位置を占めていると認識されていたこの答申を、じっくり読み返してみることにした。
 当時、日教組やそこに結集する学者たちにとって、この答申は、完全に批判の対象であり、乗りこえるものだった。しかし、その批判は、特に教育学の面では、一面的だったように、今では感じられる。この答申が、着実に実行されたから、日本社会が格差社会となり、さまざまな社会問題や教育問題を喚起したのではなく、むしろ、歪んだ実行や実行されない部分があったために、問題が噴出したという見方も成立するように思うのである。(*1)そこは、今後検討するとして、今回は、この答申には、どのようなことが提言されていたのかを確認しておくことにする。

 1963年は、所得倍増計画が歩みだし、翌年に東京オリンピックを控え、日本が後進国、あるいは敗戦国故の国力低下を脱しようと、社会が大きく動いていた時期だった。高度成長を支えるために、農村から都会に人口が流出し、東京は巨大化していった。新幹線が建設されたり、あるいは、ソニーなどのような、新しい技術を核にする製品を世界に販売する企業が現れるなど、戦前のような欧米に追いつくことを目標にした経済から、欧米と肩を並べ、あるいは先行する技術を開発していく社会に脱皮していく必要を、認識し、提起した答申だった。そのためには、社会を動かしていく人材のあり方を変えていくことをめざしたものだった。「能力主義の徹底」という節では、「わが国は、客観的能力ではなく、学歴や年功のような属人的なものに依存する気風や制度が支配的であり、・・・過去には存在意義があったが、新しい価値観とシステムが要請される段階にはいった」という認識を示し、「社会全体が能力を尊重する気風なり、制度なりをもたなければならない」と提起している。(p14 ページ数は分科会報告も含む答申本のもの)
 この場合の学歴とは、大学卒とか中卒、義務教育卒という意味であり、現在の大学格差を前提とした、ブランド大学とそれ以外というような認識ではない。従って、学歴社会については、打破されるのではなく、より強化され、細分化された形で増強していったのである。 
 
 さて、経済審議会の答申だから、当然、第一には経済における人材のあり方への提言が中核になっている。
 前述のように、追いつき型の経済からの脱皮のためには、当時支配的であった日本的経営についての打開を求めている。もっとも、日本型経営という言葉は、ここでは使用されておらず、主に年功システムを対象にしている。つまり、年功賃金、年功による人員配置、そして、終身雇用である。そして、実際に、これらは崩れつつあり、雇用者にも被雇用者にも意識の変化があるとしている。雇用者側には、若い力を抜擢したり、あるいは解雇したくてもできないなど、年功システムには弊害があるとみており、被雇用者側にも、特に若者においては、自分と同じ仕事をしている高齢者が、はるかに高い給与を得ていることに対して、疑問をもっているという認識を示している。(p14) そこで、新しい評価や労働の活用方式が求められ、それが能力主義であるという。
 そのために必要なことは何か。経営秩序の近代化であり、具体的には、 
・賃金の職務給化
・人事制度の近代化 適格者配置・職位体系の整備
・経営組織の近代化
・長期人事計画の樹立
・技術者、中高年齢層、婦人労働力の活用
・労働力の移動(p24)
である。 
 職務給は、欧米では通常の給与形態であるといわれている。職務給では、確かに、同じ仕事をしているのに、年齢によって給与が異なり、特に若者の不満が出てくることはない。そして、職務によって給与が決まっていることは、職務と給与の関係が適正であれば、非常に合理的な給与システムである。仕事の内容にかかわらず、年齢によって給与が決まるのは、確かに労働意欲を喚起するうえでもマイナスであろう。また、確かに労働移動を難しくする。技術革新によって、企業や役所の職務内容に大きな変化があれば、労働移動によって、調整が行われやすくなれば、それもまた合理的である。
 長期人事計画や技術者、中高年齢層や婦人の活用なども当然の労働政策といえるだろう。
 しかし、ここで最も重要な職務給の普及は、その後進んだとはいえない。
 他方、労働力の移動については、大企業においても、時代が経過してからではあるが、リストラという形で進展し、また、特に若年層の非正規雇用の拡大という形で実現している。だから、そうした実現の形態は、この答申のように、「能力主義の徹底」が実現したとは、到底いえないのである。また、この答申の想定する労働力移動ともいえない。
 
 次に学校教育への能力主義の適用について見ておこう。
 教育についての基本的問題として次のように書いている。
 「戦後の教育改革は、教育の機会均等と国民一般の教育水準の向上については画期的な改善がみられたが、反面において画一化のきらいがあり、多様な人間の能力や適性を観察、発見し、これを系統的効率的に伸張するという面においては問題が少なくない。」(p15)
 そして、具体的には、有名校への集中によって起きる浪人問題、学校間の学力格差をあげている。しかし、学力格差についての対応策については、どこにも触れられていない。問題意識が、学力格差があるにもかかわらず、浪人までして、有名校に行こうとするような無駄に対して向けられていて、学力の低い生徒については、その適性に応じた学校に配分することによって、問題が解決するかのように考えられているからといえる。それが画一化の打破であり、適性や能力を系統的効率的に伸長するということなのだろう。つまり、学力格差そのものを解決する意図ではないと考えざるをえない。
 
 教育分野については、学校の段階によって、異なった対応を提示している。
 まず、大学については、
・理学部の拡大と数学・物理・化学の充実
・理学部と工学部の中間的学部の創設
・工学部では、現場で役立つような教育。実習等。
・農学部は、農業における技術革新のための教育、理学、工学、薬学との関連を強化。畜産、果樹、園芸、農業機械、農業土木、農芸化学、農業経営の充実
・高等専門学校の拡充
・ビジネス・オートメーションの進展のため、法文系の教育で、科学技術の進歩を取り入れる。科学的管理技術
・独創的な人材養成のための大学院や育英制度の充実(p44)
 これらは、最後を除いて、その後確実に実現していった。そして、大きな後退もない。結果からみれは、この答申の教育面に対する提案の、最も重要な部分が、理工系大学の拡充にあったということができる。
 しかし、育英会の充実については、その後決定的な後退が生じる。利子付き奨学金の創設や、返還免除制度の撤廃など、奨学金政策は、完全に「自助」方式に移行したといえる。世間の批判を受けて、返還なしの奨学金も創設したが、その割合は決定的に小さい。
 
 高校については、技能者の養成を重視し、ばらばらになっているのを、中等教育の完成という観点から解決するとしている。つまり、高校教育の改革は、職業高校に向けられている。ここから、多様化政策が文部省によって強力に実行されることになる。(この経済審議会答申では、高校の多様化政策が、前面にでているわけではない。)
 中等教育の改善として提案されているのは、以下のことである。
・職業過程の改善 技術革新にふさわしい教育内容
・定時制は、できる限り昼間に移行(経営者の協力)
・企業との連携による実習(企業で実習、学校で基礎)(p45)
 これらの提案は、現実社会によって、裏切られていったとみるのが正しいだろう。定時制高校が、昼間の学校として設置され、企業の協力によって、そのように運営された学校も、おそらくほとんどなかったはずである。企業との連携による実習も、そもそも職業高校が、普通高校への進学者に押されて、数が減っていくことで、経済審議会が期待したようには進んでいかなかった。多様化政策そのものが挫折したというべきだが、しかし、多様化政策を再度検討することは、必要であるように思われる。
 また、高校に進学しなかった者に対して、昼間の定時制としての教育を推進することが提案されているが(p18)、実際には、ほとんどの中学卒業生が高校進学することによって、この提案は意味を失っていく。
 これらの提案とは別に、教育全般の能力主義推進策として、以下のことが提案されていた。
・能力観察と進路指導の強化 → カウンセラーの配置
・進級・進学を画一的に行わず、能力に応じて弾力的に、飛び級、留年
・入学試験 国家的進学資格試験の導入。入学問題を第三者機関もひとつの方法
・育英会の充実
・教育段階での内容の重複の排除
・中学と高校を直結する学校の創出(p46)
 これらも、実はほとんど実現していない。実際に1990年代のいじめ事件の多発で設置されたカウンセラーは心理臨床のためのもので、進路相談のカウンセラーではなかった。進路相談は、あいかわらず、教師が行っている。飛び級も留年もほとんど実現していないし(部分的にはある。大学が高校2年生から受け入れたりする例がある。留年も高校では、稀にあるが、公立小中学校では、まったくないといってよい。)国家的進学資格試験は実現していないが、他方、中高一貫の学校は、進学実績によって、私学の一貫校が大きく伸びている。しかし、これは、国家的政策の一環というよりは、社会的エネルギーによって伸びたものである。
 
 以上みたように、経済審議会答申は、大学政策を中心に強力に実行されていったが、企業の人事政策については、実現したともいえるが、それはかなり歪んだ形においてであった。そして、高校以下の教育への提言や、教育全般への提起は、むしろおざなりになったといえるのである。
 もうひとつの大きな領域として、ハイタレント養成が提案されているが、それは別稿にする。
 
*1 例えば次のような表現がある。「戦後のOECDでは、国民総生産に占める教育費は、アメリカ4.5%、OECD平均3.2%、ソ連3.7%で、日本は、5%を超えている。OECDのなかでも高い。」(p17) しかし、現在の日本は、公教育支出は、OECD内でも最下位のほうであり、この提言とは逆になっている。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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