では、能力主義とは何か、その意味をまず整理しておこう。
まず英語で確認をしておこう。
研究者の新和英大辞典は、能力主義に対して、a merit system, a meritocracyを例示し、逆に、 meritocracy に、能力主義社会という訳語を与えている。
グロービス経営大学院のホームページでは
能力主義 → ability-based pay
成果主義 → result-based pay
実績主義 → merit-based pay
という3つの関連用語に、それぞれ英語を当てはめている。いずれも、給与の支払い方である。経営学としての用語に特化しているということだろう。では、一般の英語辞書ではどうか。
ODEは以下のようになっている。
ability possession of the means or skill to do something
talent, skill, or proficiency in a particular area
result a thing that is caused or produced by something else
consequence or outcome
the outcome of a business’s trading over a given period, expressed as a statement of profit or loss
merit the quality of being particularly good or worthy, especially so as to deserve praise or reward
a good feature or point
a pass grade in an examination denoting above-average performance
微妙な用語上の相違はあるとしても、要するに、能力やその働きによる結果によって、給与、地位の配分を決めるということである。では、教育学ではどうなのか。
『教育学大事典』第一法規は、以下のように説明している。執筆者は、麻生誠である。
「人の能力を基準にして、人材の選抜・養成・配置を行う人事管理の原則をいう。・・組織は多数の人々によって、一定の目標を達成するためのものであり、目標のためにおかれた人々の協同によって成り立つものである。組織の参加者は、組織目標に合致する役割を遂行することを要求されるが、同時に個人としての欲求の充足を求める。能力主義は、前者、つまり、組織の目標の観点から組織参加者の能力や職務達成度を基準に、組織内のメンバーの評価や配置を行うものであり、組織参加者の個々人の欲求充足という観点は二次的なものとなる。能力主義の実施のためには、能力評定の方法が開発され、また、能力伸長を促進するための教育訓練の諸方策も合理的に実施されていなければならない。」
そして、更に、その由来に触れ、1950年代から60年代にアメリカから導入され、人的能力開発政策の展開とともに始まるとしている。世界共通の課題として、
・技術革新による労働力需要の量的および質的変化に対応する
・科学技術者・経営管理者・教師など「戦略的人的資源」の需要が増大し、計画的養成が避けられない
という点があげられ、日本では、1963年経済審議会答申で初めて提起されたという。そして、能力主義は、新たな提案であるが、それは旧来の日本の慣行への挑戦であるとしている。そして、打破されるべき対象として、以下のことをあげている。
・学歴主義
・年功的秩序と終身雇用
・労働移動に対する社会的心理的偏見
・戦後教育の画一主義
経済審議会の答申は、こうしたことを踏まえて、学校制度については、主に高校の多様化を提言している。そして、このような認識においては、日教組制度検討委員会の報告も、相違はない。ただ、経済審議会や文部省が、多様化政策を推進する立場であるのに対して、日教組は反対しているということである。
このことが示す意味はなんだろうか。
はじめに確認したように、能力主義とは、能力や成果によって、給与や地位の配分を決める原則である。しかし、これが、政府によって、教育の世界に持ち込まれた。学校教育では、子どもに対して、給与や地位を配分する機能は、まったく存在しない。学級委員などが、地位の配分と考えられることはないだろう。教師に対しては、当然給与や校長などの地位が存在するので、能力主義の適用という課題は設定できる。しかし、戦後、この分野で、能力主義が適用されたという事例は、ほとんどないといってよい。
では、教育において、能力主義の適用とは何だったのか。それは、入学試験によって、進学する学校を決めるという制度以外には、あまりないと思われる。しかし、それは、経済審議会が答申したように、「学歴主義」の打破や、「教育の画一化」の打破につながったのだろうか。むしろ、素直にみれば、学歴主義を強化し、画一化を進めたといわざるをえない。
やはり、もう少し綿密に、経済審議会の答申を検討する必要がありそうだ。
まず、『教育学大事典』の能力主義の項目の執筆者である麻生の批判が重要な意味をもつ。彼は、「高く評価される能力は、社会体制や組織によって異なり、秩序の側からみた能力が人間の解放を志向する能力と矛盾することがある。」と書いている。麻生は、決して、日教組制度検討委員会のような立場ではないから、「秩序側の能力と、人間解放の立場の能力と矛盾することがある」という批判に留めている。