LGBT法案が成立不透明になったが

 今日の報道では、超党派の議員立法で進められているLGBT法案の成立か難しくなってきたという記事を複数のメディアが掲載している。数年来の懸案で、4月の段階では、自民党も基本的に了承したが、政党間の調整の過程で、野党から、「差別禁止」の項目をいれるように要求があり、自民党がそれに難色を示して、まとまらなくなりつつあるという状況のようだ。自民党での中心的役割をになっている稲田氏の対応に対する不満も、党内にはあるというが、基本的には自民党保守層の抵抗が原因だろう。
 この問題については、私も正直わからないところが大きいのだが、いくら検索しても、法案の原文が見つからないので、ますます判断がしにくい。ただ、現在の法案の題名が、「性的指向および性同一性に関する国民の理解増進に関する法律」となっており、あくまでも「理解増進」の法案だった。そこに、差別禁止が入ってきたために、問題が拗れたというわけだ。

 LGBT理解増進会という団体によると、理解増進は合意がえやすいが、差別禁止は、差別とは何かなどについての意見の相違があり、難しいという立場だ。そして、以下のような対比をしている。
 
理解増進法
 時間は掛かるが、確実に理解が深まる
 一人の差別主義者も出さない
 与党案として成立の可能性が高い
 多くの学びが期待され全国の当事者団体等の活動が活性化される
 今後のすべての施策の基礎となる
差別禁止法
 一見して即効性があるように思われるが、現時点では賛否が分かれており対立を煽る
 不注意な発言が差別と断定されるリスクがある
 与党が反対では成立が極めて困難
 差別禁止を掲げる団体等の既得権につながる恐れがある
 保守層の理解増進の妨げになる可能性がある
 
 私自身、あまり深く理解していないのだが、LGBTに関しては、「理解」という領域と「差別禁止」という領域がある。そして、「理解増進」はコンセンサスがとりやすいが、「差別禁止」はそうではないというのが、多くのひとたちの見解であるようだ。しかし、私自身にとっては、「差別禁止」は極めて明快でわかりやすく、「理解増進」こそ、理解が難しい。
 OECDの”Over the Rainbow? The Road to LGBTI Inclusion”でも、基本的に重要なことは、差別禁止であって、それは通常の差別禁止と同じレベルのことであり、人権を守るという点に集約されると書かれている。日本国憲法に、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」という差別禁止条項があるが、この要素のなかに、「性的志向」をいれる規定を法律で作成すればよい。もちろん、ある特定の行為が差別であるかどうかは、単純に決められないことがあるだろうが、それは、他の要素でも同様である。具体的に争いになったときに、個別に検討していけばよいことだ。あいまいだからという理由で、「差別禁止をいれるべきではない」とするのは、差別してもいいのかということになってしまう。Lだからという理由で、解雇したら、それは明確に差別だろう。不明確な部分があるということで、差別禁止を否定していたら、結局は、差別容認になってしまう。
 
 では、理解増進はどうか。このほうが、よほどコンセンサスを形成しにくいのではないだろうか。端的な一例として、LGBTという呼び方以外に、LGBTQとLGBTIという別の呼び方がある。Qは、問題にするとか、問うということであり、相手にあなたはどれかなどと問うことを否定することだ。また、自分でもまだきめられてないという、自問の段階を含む意味もあるされている。それに対して、Iは、性別の中間形態を指す。OECDは、Iを加えた名称を使い、JobRainbowという団体は、Iを加えることを否定している。Iはintersex であって、「インターセックスの正式名称は「性分化疾患」という意味で、「体の性に関する様々な発達が、典型的な男女のかたちと異なる状態の総称」を指す言葉です。これは性自認や性的指向に関する問題ではなく、あくまで「体の状態が一般的なかたちと違う」というものなので、実はその当事者のほとんどは、自分のことを「性的マイノリティ」だと思っていないのです。」と書いている。https://jobrainbow.jp/magazine/queerandquestioning 
 つまり、正反対の主張がなされているのである。
 こうして、そもそも名称の段階で、団体によって異なる理解をしているのだから、一般人には、なおわかりにくいのである。
 私が大学に勤めていたとき、10年ほど前からだろうか、LGBTの問題が教員に喚起されるようになってきた。そして、決まって、「今度の学生のなかには、LGBTの人がいるので、接し方に十分な注意を払ってほしい」というようなことが、会議で示された。しかし、どういう注意を払うのかについて、指摘されたことは一度もなかったのである。そして、だれが、どういう志向、特質をもった人であるのかについては、個人情報だから、一切提供されない。だから、結局何もわからないのだ。私自身、結果的に、だれがそうであるのかは、一度としてわからなかったし、もちろん、何かトラブルになったこともなかった。そして、他の教員がトラブルを起こして、具体的な対策が話し合われたということもなかった。
 もし、学校などで、LGBTの理解増進のための教育をするということになると、だれがどういう教材を使って、何を教えるのだろうか。なんらかの教育がなされるべきであるとしても、それを法で決めることだろうか。
 法として決める必要があるのは、差別禁止ではないかと、私には思われる。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です