オリンピック 運動会と子どものオリンピック観戦

 運動会を開催するかどうかが、議論になっている。当初、コロナ禍であるので、運動会は中止するように行政指導があった。しかし、子どもたちから、オリンピックをやるのに、どうして運動会はできないのか、という不満の声が出てきたと報道され、それに対して、萩生田文科相が、安全対策をしてやるように、という逆の指導をだしてきた。それに対して、今度は、命よりオリンピックが大事なのかという文科相批判がでてきている。つまり、運動会を工夫してやるように、という指導が、明らかに、オリンピックはいいのに、運動会はだめだという不満に対して、オリンピックも運動会もできるようというアピールとしてだされたからだ。
 問題は複合的だ。オリンピック開催と運動会という、規模が全く違うが、性質は同じである行事、しかも、オリンピックは大きな政治課題になってしまったために、オリンピック開催と絡める人と、独立して考えているひとたち、様々な立場がある。

 行政側の対応は、近年特に顕著になっている日和見主義という言葉がぴったりなものであり、要するに、原理原則がまるでないことを示している。もし、オリンピックと無関係に、コロナ禍での運動会が安全でないと判断したのならば、「オリンピックをやるのに何故」という疑問がでたら、オリンピックは、組織委員会が安全対策を万全にやって開催するが、学校では、まだワクチンなどの接種かできずに、安全を確保できない危険性があるから自粛してくれ、という説明を一貫させればよい。しかし、子どもの声が出てくると、あっさりと、「じゃ注意してやってくれ」というように方針転換してしまう。こういうのを、まさしく、日和見主義というのだ。しかも、文科省は、オリンピックに深く関わっている官庁であるから、オリンピックも考えざるをえない。 
 行政がこうなのだから、学校がしっかりと、事情を考慮して、どうするか決めればよいことである。
 
 似たようなことだが、オリンピックが開催されることを前提に、子どもたちが観戦するという計画が、進行している。学校の校外活動に関して、予め下見が必要となっているので、そうした下見も実施されているそうだ。もちろん、オリンピックが中止になればなくなるわけだが、無観客になった場合には、それでも実施されるという報道と、子どもの観戦も中止になるという報道のふたつがあって、どちらなのかわからない。常識的にみれば、無観客になれば、中止だろう。しかし、組織委員会は観客をいれて開催する方向で検討しているという報道があるので、子どもの観戦も実施するつもりなのだろう。
 ヤフコメには、電通の担当者と思われる人の書き込みがあって、安全・安心の準備をしっかりしているので、大丈夫だ、大人が勝手に決め付けるのではなく、子どもの意見を聞いてほしいというようなことが書いてあった。現在の組織委員会や政府が、安全・安心の対策を十分にとっているとは、とうてい考えられないが、ヤフコメのような場に、電通の担当者が、単なる投稿者として書き込んでいるのには、驚いた。
 私は、オリンピックに対する原則反対派なので、もちろん、子どもの観戦ということ自体が問題にしていないが、ただ、開催強行となった場合に、これはどうすべきなのかは、別に考える必要がある。
 もちろん、教育委員会としては、世界最高レベルのスポーツ競技を子どもたちにみせてあげたいという気持ちがあることは事実だろう。私自身、前の東京オリンピックのときに、高校生だったので、サッカーを学校全体で観戦にいくことができた。それは今でも記憶に残っている。通常であれば、非常によいことだと思うが、ただ、現在は、当然、大いにけっこうとは言えない。学校の運動会ですら、中止している学校が少なくないのだから、まして、オリンピックを電車に乗って観戦しにいくというのは、子どもも当然だが、引率の教師は本当に大変になるだろう。コロナだけではなく、熱中症の心配もある。
 これは、私の想像だが、おそらく、組織委員会からぜひ実施してほしいと、教育委員会に働きかけているのではないだろうか。それは、教育的理由というよりは、財政的な理由である。都の教育委員会は、この子どもの観戦のために、40億の予算を組んでいるという。観戦は、東京だけではなく、近県、埼玉、千葉、神奈川の一部も含むから、総額はもっと大きいだろう。ただでさえ、海外の観客をいれないことになって、財政的に苦しいから、せめて、子どもの観戦は実現したいという思惑を感じてしまう。
 そういう意味で、ヤフコメや報道などに、否定的な意見が多いことは当然だろう。私も個人的には、もちろん、否定的だ。
 しかし、この観戦は、希望をとって行われるもので、希望しなければ、観戦しなくてもいいのだ。希望は、学校単位だが、当然個人でも希望しないのに強制されるはずがない。もともとの学校行事ではないのだし、それに夏休みのことだ。それを強制するとしたら、学校運営上大いに問題がある。だから、学校で、きちんと議論して、参加するかどうか、全員か希望者か、そういうことを改めて検討すべきである。もちろん、以前にそうした議論はあったろうが、新しい事態になっているのだから、改めて検討すべきである。そして、その際、希望しない子どもは、休んでいいこと、それを不利な扱いにしないことを確認すべきであろう。問題は、教師だ。報道によれば、「引率したい教師などいない」と断言している、ある教師の言葉を紹介している。それはそうだろう。コロナ感染の危険、熱中症の危険、交通事故の危険という、三重の危険を背負って引率するのだから、不安で仕方ないに違いない。夏休みなのだから、学生アルバイトなどの引率補助を十分に雇って、事故がおきないように、そして、教師の負担を軽減するようにすべきだろう。
 教育委員会が設定したからといって、学校や個人は、そのまま従う必要はないのだ。教育委員会だって、そんな無理強いをしているわけではないと思われる。だから、選択の責任は、学校・教師にあり、最終的には親にあるのだ。押しつけられたわけではないことを、強制されているかのように受け取ることはやめよう。子どもがみたくないといえば、問題はないが、見たい子どもも少なくないに違いない。その場合、いろいろな危険を十分に説明して、親としても納得できるかを、子どもとよく話し合う機会にすべきだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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