ワクチン接種の予約・指定方法について

 やっとコロナワクチンの本格的な接種の予約が始まった。一部には、先行接種ではない、本番の接種が高齢者に対しては始まっている。しかし、予想されたことだが、予約の混乱があちこちで発生しているようだ。高齢者は、大規模な集団接種が可能な最初の集団だから、混乱も大きいのかも知れないが、一般が対象になったときには、もっと人数が多いのだから、予約方法が改善されない限りは、より大きな混乱が生じる可能性がある。慣れによって改善される部分もあるだろうが。
 そもそも、こうした大量接種の順番を決めるには、どんな方法があるのか。
 大きく分けると各人の予約制と、行政による指定制がある。
 予約には、窓口予約、電話予約、ネット予約がある。郵便予約も方法としてはありうるが、コロナワクチンでは適当ではないので、郵便予約はおそらくまったく採用されていない。
 指定制は、番地など、なんらかの基準を設定して指定するのだろうが、行政がすべてを指定する方法と、グループ化したものを、順番を抽選で決める方法などが、今回実際に行った自治体がある。

 現在盛んにニュースで予約の混乱が取り上げられているが、予約システムに注入される資源、エネルギーと財政に言及している報道は、あまり見られない。ネット予約には、ソフトウェアの開発が必要であるし、また、バグがつきまとう。また、高齢者は特に、ネットを使えない人も少なくない。そのために、「お助け隊」を組織しているところもある。また、電話予約には、大量のオペレーターが必要である。しかも、あまりに電話が集中すると、NTTは、緊急車両への影響を考慮して、電話網を遮断してしまうことも、珍しくない。その場合、電話予約自体が不可能になる。
 こうして見ると、予約システムは、どれも非常に大きな資源配分が必要となることがわかる。システム開発、運営担当者たちなどである。
 それに対して、指定制は、そうした資源配分が極端に少なくなる。例えば、各地区に居住している人数を調べて、接種場所、接種人数を割り出して、日時と場所を指定し、同じ場所であれば、接種を受ける人同士で交換可能にする。そうした都合のつかない人だけが、連絡するという方法であれば、予約システム構築や電話のオペレーターなどの資源が不要になる。つまり、明らかに、指定制度のほうが社会的には効率的であり、混乱の可能性が低いのである。
 では、なぜ自治体の多くが、なんらかの予約システムを採用したのだろうか。おそらく、どの自治体も、指定制にするか迷ったに違いない。予約システムと指定制の違いは、当然、自分で決められるか否かだ。おそらく、自治体としては、行政が指定してしまったら、遅く割り当てられたひとたちから、不公平だと、クレームがくるのではないかと恐れたのではないだろうか。予約システムにすれば、予約という行為を早く始めた者が、つまり、より努力した者が早い順番を獲得できるから、不公平だというクレームはなくなるのではないか、と。しかし、電話予約はパンクすることが明らかで、ネット予約だと、ネットができない人や、ネット環境をもっていない人が、特に高齢者には少なくないから、混乱がおきることも十分に予想できる。だから、お助け隊などを設置するところもあるわけだ。
 とにかく、予約システムを自治体が採用する理由は、クレーム回避であって、無駄な資源をなくすというような意識が、あまりないことを予想させる。そして、住民は自分たちで決めたい、努力する人が得することを肯定していると、行政は解釈していると思われるのである。
 
 しかし、私は、まったく逆の経験をしたことがある。全然違う分野のことだから、同じように論じることはできないのだが、比較してみたいのである。
 それは、学校選択の問題に関してだった。
 最近は、大分下火になったが、2000年前後に、特に東京を中心にして、公立小中学校の学校選択を実現しようという自治体が少なくなかった。そして、私は、ある自治体の学校選択実施方法を検討する審議会の責任者をしたことがあるのだ。私自身、学校選択制度を支持していたために、ある人の紹介でその役割を頼まれ、承知したわけだ。その審議会は、地域のいろいろな組織の代表によって構成されていたが、学校選択に反対の人は一人だけで、あとは、賛成の人が選ばれていた。
 行政における審議会の常として、方針はほぼ決まっていて、その方向にそって、議論していくことが期待されていたようだが、実は、まだやったことがないシステムについては、行政担当者もこまかいことは分かっていなかったので、実質的な議論をする場面があった。そのひとつが、ある学校への希望者が定員を上まわったときに、どうやって定員の人数にしぼるかという問題だった。
 本当はその前に、すべてを選択の対象にして、通学区そのものを廃止するのか、通学区そのものは維持して、自分の指定された通学区を変更したい者は変更できることにするのかという問題があった。学校選択を本格的にやろうとしたら、通学区そのものを廃止し、全員がどこかの学校を選択するシステムになるのだが、しかし、その点は、既に、後者であることが、教育委員会によって、ほぼ決められていて、動かすことはできなかった。したがって、通学区は維持して、通学区を変更しない者は、そのまま認める。変更したい者は、変更した先の学校に希望を提出するが、元々のそれぞれの学校には、受けいれ可能な定員を決めておき、他校に移りたい者よりも、他校から移ってきたい者が多ければ、定員まで削る必要がある。
 私は、オランダの学校選択を研究しており、オランダでは先着順をとっているので、先着順を主張してみたのだが、先着順はまったく支持する委員がおらず、ほぼ全員が抽選を主張していた。先着順というのは、競争になって、混乱がおきるというのだ。抽選なら、公平だというわけだ。本当にいきたい学校があるならば、早く希望をだすという、個人の努力が報われるほうがいいのではないかと言ってみたが、共感はえらなかった。つまり、先着順などという、個人の努力を重視するよりは、そうした差が生じないことが、公平だという感覚が強いのだと、考えざるをえなかった。
 今回の件に戻すと、予約システムというのは、先着順に相当する。とにかく、ルールにしたがって、早く申し込んだものから、接種を受けることになる。
 それに対して、指定制は、抽選をとりいれるところもあるわけだし、個々人の努力を考慮しないという点で、抽選に相当する。
 違う領域の話だが、私の経験では、多くの市民は、先着順決定方式は、あまり好まないのだ。できたら、誰かに決めてもらったほうがよい、抽選でも、担当者でも、と思っている人のほうが多いのだ。通学する学校を決める場合ですら、先を争って確保するよりは、外的に決められたほうがよいというのだから、まして、いつかは接種できるワクチンで、しかも、ほんのわずか遅れるだけなのだ。
 なぜ、ほとんどの自治体が予約システム導入したのか。それは、住民の意識を誤解しているからなのではないか、と思ったのだが、どうだろうか。無駄な資源を浪費していことも大事なのではないか。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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