新型コロナウィルス雑感 医療システムのこと

 医療システムのことを詳しく知っているわけではないが、やはり、感染者数が非常に少ないにもかかわらず、医療崩壊、あるいは逼迫が起きてしまうことについて考えてみたい。もちろん、大筋としては、日本の病院といっても、開業医や小規模な私立病院が多く、そうしたところでは、人手が相当必要な新型コロナウィルス対応はできないという事情があることは、既に散々指摘されている。それでは、日本医師会の中核となっている個人の開業医が、なぜこうしたことについて、あまり協力的になれないのか。
 まず欧米では、感染者が多いのに、医療崩壊が起きていないというのは、あまりに単純化しており、事実ではないと思わざるをえない。昨年春先のイタリアや、昨年のアメリカなどは、明らかに医療崩壊状態といってよかった。アメリカは、あまりそのようにいわれないが、そもそも、医療にアクセスできないひとたちが多数いるのだから、病院が逼迫しなくても、事実上の医療崩壊というべきだったろう。

 というわけで、ここで念頭におくのは、主にヨーロッパだ。
 日本では、開業医と病院の勤務医とでは、仕事や収入などがかなり違うと言われている。開業医は、ほとんどがかなり多くの収入があるが、勤務医だと、通常よりは少しよい程度の給与で、他の病院でアルバイトをすることで、収入を補っていると言われている。そして、更に大きな違いとして、開業医は世襲であることが多いということだ。開業医は、医院の開設自体が大変であるが、収入も多い。医院そのものは個人の財産でもある。だから、かなり無理してでも子どもに継がせたい。だから、医学部に進学させる。国公立の医学部に入れればいいが、それが無理なら、どうしても私立の医学部に進学させる。そうして、医師免許を取得すれば、あとを継がせることができる。おそらく、多くの開業医は私立の医学部を卒業しているに違いない。そして、私立の医学部は、年間数千万円の学費や寄付金が必要であると言われている。もちろん、大学によって、学費は異なるだろうが、正規の授業料以外の寄付が求められるために、そうした金額が必要となる。開業医以外には、なかなか支払うことのできない額であるが、開業医としても、それなりに無理をして支払うことになるのではないだろうか。だから、あとを継いだら、やはり、相当な収入をえるべく、そうした診療をしていくことになる。新型コロナウィルス対策などという、儲からないだけではなく、赤字を出す危険性のあるような治療には、なかなか踏み切れないの理解できる。
 そういう事情があるのではないだろうか。日本医師会の中川会長は、毎週記者会見をして、新型コロナウィルス対策に、高説を披瀝してきたが、しかし、自身の病院では、まったくコロナ患者の受け入れをしていないと言われている。ここに、典型的に、医療の歪みが表れているともいえるのである。
 私は、オランダに約2年間生活した経験があるが、驚いたのは、医療システムの日本との違いだ。まず、医者たちは、もちろん経済的に恵まれた層だが、けっして、日本の開業医のようなお金持ちはいないという。他に、もっと裕福な層がある。例えば、園芸農家だ。日本の開業医のような形になっているのは、ホームドクターで、これは、最初の診断を行って、簡単な病気なら、処方箋を書き、複雑な病気は専門病院を紹介するという役割であって、それほど、裕福なひとたちではない。専門医は、ほとんどすべて病院勤務である。明確な役割分担ができている。大学の医学部は難関だが、日本と違って、私立の医学部は存在せず、学費が特別高いわけではない。
 オランダのようなシステムがベストと断定はできないが、ただ、日本の私立医学部のように、よほどの金持ちでないと進学できないようなところで、医者の養成をするというのは、歪み以外の何物ではない。億単位の学費がかかれば、開業医になったあと、必死に回収しなければならないと思うのは、仕方ないといわざるをえない。私は、教育学が専門なので、まずは、この点を是正すべきであるとはいえる。
 平成30年段階で、国立大学の入学定員は約4900人、公立大学840人、私立大学3200人だから、国公立が多くなっている。この定員は、医者が増えすぎないように、というような配慮で調節されてきた。しかし、その「増えすぎない」というのは、医師の経済的地位を守るという点であって、日本社会に、どれだけ医師が必要かという観点とは、少々異なっている。昨年以来のコロナ禍は、今後も時々おきるはずである。従って、そういうときに、臨機応変に対応できる体制をつくるには、現在の開業医のように、社会的に要請されることに対応しない医師集団の性質を変えていく必要があるのではないだろうか。では、具体的にどのようなシステムにしていくのか、については、もう少し調べ、考えていきたい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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