オリンピック・パラリンピックと小中学生の観戦

 ハフポスト編集部による「小中学生ら81万人を『動員』、拒否で欠席扱いは本当?東京五輪の観戦計画、東京都教委に聞いた」という記事が掲載された。
 東京と近郊の県には、オリンピック・パラリンピック観戦に関する希望調査がだされており、どの程度希望が通るのかは不明だが、東京と近県の子どもたちは、多くが観戦できることになっている。もっとも、それは観客をいれて実施されるという、現在では可能性の低いことになってしまった条件においてであるが。
 この記事は、もしその観戦に行かなかったから欠席扱いになるのかという保護者たちの疑問があり、東京都教育委員会は、どうするかは校長の判断だと回答しているとしている。また動員ではなく、希望によるものだとの回答だそうだ。
 もっとも、欠席扱いといっても、オリンピックもパラリンピックも夏休み中の行事なので、出席、欠席というようなことがあてはまる行事なのか疑問だ。

 私は、オリンピックやパラリンピックが、コロナ感染などがまったく問題ない状況で、かつ多くの国民が歓迎するような形で開催されるならば、子どもたちが観戦機会を与えられるのは、非常にいいことだと思う。現場の教師によると、楽しみにしている子どもたちが多いということだ。それは当然のことだろう。なんといっても、世界最高レベルの試合を、目の前で見ることができるのだから。
 実は、私は前回東京オリンピックのときに、高校一年生で、やはり、オリンピック観戦をすることができた。学校全体で駒沢にいき、サッカーの試合、おそらくドイツとブルガリアの試合をみた。残念ながら、当時サッカーはそれほど人気スポーツではなく、私も親しんではいなかったので、あまりその醍醐味が実感できなかったのだが、ゴールポスト付近(横)にいて、ゴール前にたくさんの選手か勢いよく走り込んできたときの迫力は、いまでも覚えている。
 おそらく、今回正常な形でオリンピックが開催されたとしても、あまり観客がいない競技も少なくないはずである。メディアでは人気スポーツが話題に取り上げられるが、国民のほとんどが存在すら知らないスポーツもたくさんある。そういうスポーツでは観客も少ないのだ。私がみたサッカーも、学校引率の子どもたちが多かったし、それでも満員ではなかったと思う。
 そういう意味では、動員という要素もあるが、それは必要であり、意味があることだろう。
 ただし、当時と今回とでは、状況があまりに違いすぎる。
 当時は、オリンピックを歓迎するムードが全国民的に浸透しており、非常によい天候が続き、テレビ観戦なども含めて大いに楽しんだ。
 しかし、いまは、コロナ感染が収まらず、世界中から選手や関係者がやってきて、感染が更に拡大するのではないかと危惧されている。そして、子どもの感染という立場からみれば、酷暑のなかで行われる。数年前に、校外学習のために、徒歩で公園にでかけた小学生の一人が、熱中症で死亡した事例を覚えている人もたくさんいるだろう。おそらく、欠席扱いを気にしている保護者は、感染と熱中症を恐れているはずである。
 たとえ夏休みの行事であるとしても、そして、行政当局は、学校に任せるとしていても、子ども個々人の意志に任せる、観戦したくない者は参加しなくてもよい、というような措置を、学校がとることはほとんどない。全員同一の行動を要求するのが普通だ。こうしたやり方ではなく、学校教育の通常のカリキュラムではないのだから、個々人の自由に任せる姿勢が、学校にはもっと必要であるように思われる。
 私は、オリンピックは中止すべきであると思っているのが、保護者たちも、欠席扱いになることの心配より、感染しないか、熱中症にならないのか、という心配のほうが切実なのではないか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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