いじめ告発者を名誉毀損で提訴できるか

 韓国のトップバレーボール選手が、若いころにいじめをしていたことを告発されて、選手生命をほぼ絶たれてしまった状態になった。そして、その後続々と、過去のいじめの告発が相次いだという。将来トップアスリートになるような人は、当然グループの中で力があり、中心的な位置を占めていたのだろうから、きついことも言うだろうし、言われた側が根に持つことは十分にありうる。もちろん、それは精神主義的な練習が幅をきかせている世界で起きがちなことであって、相互協力的で、かつ科学的トレーニングが実行されているようなチームでは、そうしたいじめやパワハラは起きにくいのだが、日本もそうだし、韓国でもまだ精神主義が支配的なのだろう。
 しかし、過去のそうしたハラスメントが必ず後年になって、蒸し返されるわけではない。この姉妹のバレー選手の場合には、他のいじめに関連して、「そういうことはよくない」という趣旨の発言をしたことが、藪蛇になったということだ。だから、過去のいじめが必ず暴かれてしまうというわけではなく、過去の加害者のその後の姿勢によって影響されるのだと考えられる。 
 ところが、この事件はその後意外な展開を見せ始めているという。ナショナルチームの代表となるような選手生活は、永久に絶たれてしまったと言われている姉妹が、今度は逆に、自分たちを告発した人に対する提訴を検討しているという。最初の告発については、内容をほぼ認めていたにもかかわらず、そういうことがありなのか。かなり議論になっているという。

 
 10年近く前の子ども時代のいじめを、今の段階で告発すること、そして、そのために、告発された側が、一切のキャリアを失うことが、適切なことなのか。いじめられた苦しみは一生消えないといっても、そして、それは否定できないとしても、キャリアを失うほうは、生活の手段を奪われることになる。日本では、比較的大人になってからのコーチによるセクハラやパワハラは、多少時間が経過したあとに告発されることはあっても、まだ選手の卵の若年のときのいじめが、このように告発されて、選手生命が絶たれるなどということは、おそらく皆無に近いのではないだろうか。しかし、逆にいえば、日本はまだまだ、いろいろなことに甘い社会なのかも知れない。そこで、「他山の石」(このような使い方が正しい)とすべく、この問題を考えてみたい。
 
 いじめ問題の基本は、起きているときに、周囲が対応して解決し、可能な限り当事者間のわだかまりを軽減することだろう。そして、加害者がまったく反省もなく、居直るときには、訴訟という手段もある。しかし、それは、期間をおかず実施されるべきである。訴訟の場合には、時効の壁もあるのだから。問題が解決されないまま、時間が経過してしまった場合を、今回考えるテーマとなる。
 問題は複合的であるように思われる。(以下法的な問題を考えるときには、日本の法を前提にする。)
 
精神的な問題
 まずは被害者の精神的な問題である。私自身は、酷いいじめにあったことはないので、(というより、鈍いので、実際にはあったにもかかわらず、それをあまり意識しなかったということかも知れないが)被害者が、どの程度ネガティブな感情を引きずるのかはわからないし、また、人によってずいぶん違うのではないかとも思うが、一例として、ヤフーの相談の事例をみてよう。
 ヤフーの相談コーナーで、中学生のときにいじめを受けたことを告発できるかという相談がある。相談時26歳の女性である。いじめは暴力的なものではなく、言葉によるものだったので、証拠などはない。しかし、訴訟に訴えることはできないのか、という相談だ。
 それに対して、ベストアンサーとされたものは、可能だとしても、不快なことをたくさん思い出すことになり、かえってストレスか高まるのではないか、それよりは、心理学のコアトランスフォーメーションという技法で、トラウマを軽減したほうがよいとアドバイスしている。また、他の一人は、時効になっているので、訴訟はできないだろうとアドバイスして、振り切って前に進むことを勧めている。
 韓国の姉妹を、若いころのいじめで告発した当事者は、姉妹が選手生命を奪われたことを、「ざまーみろ」と思っているのだろうか。それとも、ここまでに至ってしまったことに、逆に驚いて、そこまでを望んでいたわけではないと思っているのだろうか。それは分からない。しかし、姉妹は、実際にキャリアを失い、逆にその恨みを、提訴によって晴らそうとしている。敵討ちの連鎖といえる。
 私は、やはり日本人なのだろうか、時間が経過している以上、先のベストアンサーのように、気持ちの入れ換えこそが、もっともよい解決法であるように思われる。あるいは、どうしても本人に伝えたければ、いきなり公表するのではなく、本人に伝えて、謝罪をさせる。十分に応じなければ公表という段階をとれば、ある時点で折り合える可能性もあるだろうと思う。
 
法的な問題
 被害者が加害者を訴えることは、いじめ訴訟においては、成立が確立している。しかし、時間が経過している場合には、時効がある。だから、被害者側の対応としては、時効成立前に、提訴するべきと、明確である。しかし、被害者の提起によって生じた不利益の回復のために、今回の韓国の姉妹のように、被害者を訴えることは可能なのだろうか。もちろん、日本の民事訴訟は、例外的な場合を除いて、提訴すれば成立する。また、被害者が提訴しても、その提訴が不当であれば、反訴することも可能である。 
 しかし、この韓国の事例は、訴訟を起こされたわけではなく、あくまでも、ネット上で、過去のいじめを暴かれ、それを認めたわけであるが、選手としてのキャリアを失ってしまったので、それは名誉毀損にあたるという訴訟を考えているということだ。つまり、加害者が、加害者の認識によれば被害者に転化したために、今度は被害者として、かつての被害者を訴えるということだ。しかも、最初の被害者の訴えを、姉妹は認めてしまった。あとになって、事実ではないこともあったというが、その事実認定の詳細な検討の上に、選手の資格を剥奪されたわけではない。大筋の事実認定のレベルでそういう判断がなされたはずである。とするならば、訴訟レベルでいえば、私の感覚では、もし、実際に姉妹が、かつての被害者(つまり自分がいじめをした相手)を、名誉毀損で提訴したら、逆に反訴されるのではないか。刑事告訴したら、誣告罪という対応もありうるような木がする。
 
名誉棄損なのか
 姉妹は、いじめで告発されたことで、自分の名誉が毀損されたと主張したいようだが、それは成立するのだろうか。
 名誉毀損が成立する条件は、「公然」と「事実を摘示」し、「名誉を毀損」するという要件をみたすことだ。この姉妹の過去のいじめをネット上で示したことは、この要件を満たすといえる。ネットで誰もが見られる場で、過去のいじめという事実を書き込み、その結果、姉妹は重要な代表選手という地位を失ったし、また、名誉も失った。たとえ、いじめ告発の内容に、事実ではなかった部分が含まれていたとしても、それは、「事実の有無にかかわらず」ということだから、名誉毀損の要件に矛盾しない。
 では、確かに名誉毀損が成立するのか。名誉毀損については、「公共の利害に関する事実であること」「公益を図る目的」「事実であることの証明がある」場合には、名誉毀損にはならないとされている。事実であることは、大方姉妹が認めたのだから、問題はない。問題は、「公共の利害」「公益目的」であるかどうかだろう。
 この点に関しては、正直なところ、軽々しく断言することは躊躇する。
 もし、姉妹が、いまでもチーム内でいじめやパワハラを起こしており、被害者が出ているとか、あるいは、いまでもこの告発をしたかつての被害者に対して、会うとかつてのいじめと似たような行為をしているとか、そういうことがあるのならば、公共の利害や公益を図る目的と、はっきり認定することができるが、それを意図してのネットでの発言かどうかは、かなり疑問である。「いじめはいけない」などと、偉そうなことをいっているが、かつて私をいじめたではないか、と怒りの感情を表現したのだと感じられる。単なる私憤、リベンジにすぎないと見ることもできる。
 しかし、広く考えれば、いじめ問題を解決するためには、加害者、被害者、傍観者等、それぞれの立場で、必要な対応をする必要があり、加害者であるにもかかわらず、「客観的」な立場にいるごとくに振るまい、無責任な発言をするのは、いじめ解決にマイナスであるという、義憤にかられたと解釈することは、十分に可能である。
 断言する自信はないが、やはり、姉妹を告発したSNSの書き込みが、姉妹に対する名誉毀損であるとするのには、無理があるのではないか。選手としての地位を回復するうえで、訴訟することが効果的であるのかどうかは、韓国の文化や社会的感覚によるので、なんともいえないが、日本では、むしろ、謹慎し、ひたすらその間もまじめに練習をしていることのほうが、早道だと思われるのだが。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です