原発が開始される前のものだと思うが、さだまさしと糸川英夫博士の対談がある。そこで糸川博士は、明確に、処理法がまだわからない事業はやってはならない、と断言していた。それから半世紀以上もたつが、処理法はいまだに確立していないだけではなく、そもそも処理施設の建設すら行われていない。使用済み核燃料の処理は、地下深く埋めるという方式が、国際的にも確認されているようだが、実際にその処理施設の建設に着手しているのは、北欧だけだ。日本では、場所すら選定されていない。そして、原発事故が起きてしまい、放射性物質を含む汚染水が大量に貯蔵される事態となっている。もし、どのようにやっても、トリチウムだけは個別に取り出して、固定化するなどということができないのなら、確かに海への放出以外にはないのかも知れない。しかし、それでも、政府や東京電力が進めているのを、報道でみている限りでは、いくつかの疑問に答えた上での放出となるのか疑問が起きる。素人ながらの疑問を書いておきたい。
できることを尽くしたか
まず、現在の技術では取り除くことができないトリチウムは、薄めて海に放出するので問題ないという、政府や東電の立場だが、現実には、トリチウムを除去する技術をロシアが開発したとされている。そして、日本人の研究者でも、この技術を使ってトリチウムを除去してから、海に放出すべきであると主張している人がいる。(日本経済新聞「福島第一処理水、ロシア技術に脚光 トリチウム除去」滝順一 2020.7.13)どうしてもトリチウムの除去は不可能だという政府・東電の説明は嘘ということになる。原発関係の「嘘」はこれまで無数につかれてきたから、特に驚かないが、これは、開発から数年たっているにもかかわらず、東電はまったく無視しているのだろうか。あるいはロシアの技術などは使いたくないということなのだろうか。いずれにしても、可能な技術を使って安全を図るということを回避しているとしたら、必要な改善を怠って事故を起こしてしまった福島原発事故の教訓が、まったく無視されていることになる。(私は専門家ではないので、技術的な判断はできないが、この技術は、日本政府からの委託によって行われたという。したがって、実はこの技術つかって、最大限トリチウムを減らした上での放出だということなのかも知れないが、そうした説明は、私はまだ見ていない。(参考「水からのトリチウム除去が可能に-ロスアトム」GEPR編集部2016.7.19 http://www.gepr.org/ja/contents/20160719-01/)
どこに放出するのか
放出する場所はどこなのかという点だ。当たり前のように、福島沖のように想定されているようだが、福島の漁業関係者がいっているという、「安全なら東京湾に捨てたらいい」という言葉は、実は非常に重要な指摘であるように思う。原発安全神話は、絶対的に成立しないと、通常の人が判断できるのは、原発は都会から遠い、過疎地にしか建設しないという事実である。これは危険だからだ。ということは、逆に安全だというなら、福島の人がいうように、東京湾やその他の海に広く放出すればよい。もし、東京湾はだめだというのならば、何故福島ならいいのかということになる。もちろん、福島の海に放出するのが、もっとも費用的に安くすむのだろうが、重要なことは費用の問題ではあるまい。いかに薄められたとしても、一カ所に大量の汚染水を放出すれば、食物連鎖で次第に濃縮されていって、大型の魚になると危険なものになるという可能性を絶対的には否定できないだろう。
国際的な信用を獲得しているのか
日本政府は、とにかく秘密主義である。重要な政策を丁寧に国民に説明することをしない。これは、安倍内閣からとくに酷くなった。そして、そのようにした中心的な人物が菅氏である。この点こそが、汚染水問題でも、国民に不信感を抱かせる点だ。だから、ここは、国際的な原子力機関IAEAに検査を依頼して、そこの安全保証を得て、更にそれを国際的に公開してから、放出すべきである。日本国民ですら、不信感をもっている人たちが少なくないのだから、近隣諸国からすれば、大いに不信感をもって、この状況をみているだろう。
政府は、国際的にもこの水準の放出は認められているし、実施されているというが、それは、原発実施国のいうことだろう。実施国なのだから、自分たちに都合のよいように説明するだろうし、また、実施するだろう。他の国がやっているというのは、必ずしも、説得力をもたない。
エネルギー計画の明示 防潮堤に太陽光パネルを
産経新聞は、原発がないと将来のエネルギーは確保できないという立場からだろう、汚染水問題の結論を政府がだしたことは、大きな一歩になると評価しているが、産経らしく矛盾した表現を隠さない。「この10年間、政府は福島第1原発事故への国民の不信感を恐れ、原発をめぐる議論を避け続けてきた。今回、政府が長く懸案となってきた処理水問題に一定の結論を出し、廃炉作業が前進することは、次期エネルギー政策の議論を冷静に行ううえでも大きな一歩になりそうだ。」と書いているが、議論を避けてきた政府が、いきなり結論をだすことこそ、国民は不安なのではないか。(産経「原発再稼働への議論正常化に弾み 処理水放出」2021.4.10)
産経は、原発がないとエネルギーが確保できないという前提だが、本当にそうだろうか。震災後かなりの年月、原発なしで日本はやってきた。もちろん、それには、火力発電の増加という、温暖化対策としては多少問題がある代替措置が必要だったが、自然エネルギーの活用を押し進めれば、可能だと私には思われる。例えば、東日本大震災後、東北の日本海岸には、400キロの防潮堤が建設された。私が見る限り、防潮堤の上の部分には、道路などが建設されているわけではない。とすれば、そこに太陽光パネルを設置すれば、400キロ全部ではないにせよ、300キロ以上にわたる太陽光パネルを並べることができる。山地や森林を切り拓いてパネルを設置すれば、自然破壊になるが、防潮堤の上ならば、まったく何も犠牲にはしない。場所によっては、内側の壁も利用できるだろう。
とにかく、全体的な構想のなかで、国民に納得される計画をたて、丁寧な説明をしてから、放出すべきであろう。