佐々木問題の間違った受け取り 文春記事の柱は渡辺直美ではなく、MIKIKO排除にある

 佐々木氏擁護の文章がけっこう出始めているが、的外れだと感じる。というのは、文春の記事は、オリンピッグなどというキャッチフレーズで、渡辺直美氏を侮辱するようなアイデアをだしたということは、ある意味、おまけのような部分であって、記事を読めば、もっとも力をいれて書いているのは、演出の責任者が、4人も交代していて、しかも、ほとんど協力関係がないような状況、それでも、一応まとまった成果をあげつつあり、IOCからの高い評価をえていたMIKIKO氏を排除して、自分の思い通りの案を作っていこうとした、しかも、そのなかで女性を排除したという佐々木氏のやり方を批判した記事だった。おそらく、リークした人物がいるのだろうが、それは、佐々木氏を追い落とそうという意図だったろう。それは間違いない。そして、その主な理由は、佐々木氏のリーダーシップでは、世界に誇れる演出は不可能なのに、独善的に突っ走っているという危機感だったのではないかと、私は想像している。もちろん、その正否はわからない。佐々木氏がどのようなプランを進行させていたのか、また、IOCに評価されていたというMIKIKO氏のプランがどういうものなのか、まったく部外者にはわからないわけだから、判断のしようがない。そして、文春リークというやり方がフェアであるかは、大いに疑問の余地がある。

 しかし、これまでの新聞等の報道で、おそらく正しいと思われるのは、佐々木氏の統括責任の活動の下で、女性スタッフがいなくなったという点だ。それから、佐々木案がIOC担当者から、高い評価をえていなかったという点も、勝手な想像だが、ありそうだと思う。佐々木氏は、安倍首相がマリオに扮して登場するという演出を考えたひとだそうだ。メディアは、高く評価しているが、それは禁じ手をやってしまったという批判も強くあるのだ。首相は、オリンピックの表にたつ、指導的立場の人間ではない。会議も、都知事、五輪担当大臣、組織委員会会長の三者が行う。首相が前面にでないのは、政治的中立を保持するためだ。それを、首相をあのように登場させたことは問題なのだ。そういう自制心がないということだろう。
 文春の記事によると、佐々木氏が統括責任者になるときに、自分に全部任せてほしいというような条件をつけたという。そして、それまで完成に近いところまで仕上げていたMIKIKO案を無視したというのだ。そして、彼女には、ほとんど連絡もしない状態だったという。そんなやり方で、うまくいくとは思えないのである。佐々木氏に対するリークは、そういう姿勢とその結果のでき具合への異議申し立てだったと思われるのだ。だから、渡辺氏への侮辱に主眼があったわけではないといえる。ただ、文春が、目立たせるために、最初にそれをだしているし、確かに、衝撃的ではある。単なるアイデアのひとつだ、それに批判を受けて撤回したのだから、そのこと自体問題ではない、というのは、正しいだろう。反省を認めないのか、という弁護も、成立する。
 ただし、それでも問題はあるだろう。
 lineとはいえ、文章である以上、残るものだ。だから画面そのものが、文春に載っているのだ。だから、単なるブレインストーミングとは言い難い。それから、完全に内輪の打ち合わせではないはずだ。いろいろな分野から集まった専門家たちの、しかも、文章によるアイデアを出し合う場だ。たとえ、思いつきをいっただけだ、と当人がいったとしても、あのようなアイデアを、「思いつき」として思いつき、それを表現してみせる、そういう人物の演出を見たいとは思わない。
 今回浮き彫りになったのは、東京オリンピックを運営している責任者たちが、高い理想をもったひとたちではなく、利権を争奪しあっているだけひとたちだということだ。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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