コロナ禍の緊急事態宣言が解除の動きになっていくが、解除になると一番変わるのは、飲食店の営業時間だろう。すぐに自由になるかどうかは、現時点でわからないが、やがて以前の状況に戻ることは間違いない。しかし、飲食店が深夜までやっていること、そして、酒が中心の店は、もっと遅くまでやっていることが、本当にいいことなのだろうか。またスーパーなども遅くまで開店しているが、これだって考えなおす必要があるのではないか。
もちろん、どうしても深夜に働く必要がある職種もあるから、全面的に閉店になることがいいとは思わないが、仕事が終わると、一杯やって、深夜に帰宅するというのが、労働者としての健全な生活とは思えないのである。
ヨーロッパで生活したことがある人は、経験しているだろうが、だいたいにおいて、通常の店は6時くらいには閉まってしまう。日曜日は営業しない。レストランなどはもう少し遅くまでやっているとしても、深夜までというのは少ない。24時間営業のコンビニがある日本から、ヨーロッパにいくと、買い物ができなくなってしまう経験をよくする。料理をしようとしても、材料がないというような経験は、多くの日本人がしているはずである。最初は不便だったし、また、ヨーロッパから日本にやってくる人は、日本はなんて便利なんだろうと感動する人も多い。
しかし、慣れてくると、夕方店が閉まっても不便はないし、逆に生活にゆとりが生じてくるのだ。夕方で店が閉まるということは、通常の勤務も夕方までに帰宅できるように組まれているということだ。7時くらいまでに夕食を済ませて、そのあと、自分の時間として使う。スポーツクラブにいく人もいるし、また、芸術活動に勤しむ人もいる。学校に行って、キャリアアップしようという人もいるだろう。家族団欒という機会も多くなる。そういう生活に慣れると、逆に日本のような生活のゆとりのなさ、質的貧困を嫌でも感じることになる。
居酒屋が8時以降が稼ぎ時だということは、8時くらいまでの勤務が常態化しているということだ。だから、お酒以外の、もっとリフレッシュするような活動、あるいは学びの実践などができなくなってしまう。日本は、これまで企業内教育がしっかりしていたので、そこで学ぶから、社会の変化に対応できると思われていたが、次第に企業内教育に、費用や時間が割かれないようになっている。日本型経営の縮小だ。欧米は基本的に企業内教育ではなく、企業外での自主的な学習によって、キャリアアップしていくとされている。企業内教育がしぼんでいき、かつ自主的な学習が勤労者に困難であれば、日本の産業能力が低下していくことは明らかだ。
いろいろな意味で、飲食店の深夜営業が当然であるという前提の社会の仕組みは、是正していく必要がある。コロナ禍は、その絶好のチャンスではないのだろうか。そういう社会になれば、飲んで帰りたいという人だって、5時に仕事が終わるのだから、7時や8時までの営業時間でも十分ではないか。そして、店としても、それでやっていける。9時以降じゃないと客がこないというのは、そういう労働時間形態だからだ。そして、それは日本の低い労働生産性の基本要因なのである。
コロナ後の社会の変革のひとつとして、居酒屋も8時までの営業で十分に成り立つような、労働・生活スタイルに移行していくことが必要ではないだろうか。