この本の読書ノートを書いたので、こうした研究会には出席しなければいけないと思い、参加した。Zoomを使ったオンライン研究会で、30名程度が参加していたようだ。基本的には、教科研のひとたちなので、この著書に異論を唱える議論はもちろんないのだが、ひとつ非常に重要な指摘があって、私も教えられるところが大きかった。
それは、全国学力調査は、学力調査と同時に、学習状況調査を行っており、学校でどのような指導をしているか、あるいは、家庭でどのような学習をしているか、また、さまざまな家庭内の条件などが調査されていて、これは不可分の関係になっており、どのような指導や家庭学習をしていると、どういう問題への正答率が高いか、などという統計もだされる。これは、学校での指導や家庭での親に対するコントロールであって、その点での検討が必要であるのになされていないという、この本に対する批判的なコメントだった。確かに、そういう側面があるだろう。もっとも、点数や順位ほどに、現場の教師に、そうした指導方法、学習方法の指摘が浸透しているかどうかは、かなりあやしいとは思うが、教育委員会や校長の指導によって、少しずつ浸透することは間違いない。
ただ、それは統計的に処理されるものだから、調査が恣意的に数値などを操作されるのではない限り、客観的なデータとして、改善に役立つという見方をすることもできないわけではないだろう。当初は、学習状況調査は、家計との関連などが話題になったが、次第に、調査項目が洗練されてきているようだ。
それから、現場の教師が、よい点数をとらせることが、自分の責任であるという考えをもっていることの指摘があった。それは、教師としては、当然の感覚だろう。この子どもたちが、テストで何点とろうと関係ないというような教師は、信用されないに違いない。学力とは何か、という大きな問題があり、そこはおくとして、それほどとっぴな形でなければ、そして、全国学力調査の問題も、酷い問題だというようなことは、あまり言われていないから、いかなる学力観にたつとしても、しっかりした学力があれば、常識的な学力テストは、かなりできるのではないかと、私は思っている。とにかくテスト練習に走るようなことは論外だが、テストはよくないから、テストなど無視するというのは極論であるし、しっかりと学力をつけることは、大事なことだろう。
この本の主張は、悉皆調査は競争を激化させ、教育を荒廃させるものだから、やめるべきで、抽出調査にすべきだというものだが、抽出調査なら、本当によいのかという問題は残る。調査には、全国的な傾向を調べることと、地域や学校、あるいは個人の学力を調べることのふたつがあるが、前者はよいが、後者はだめだ、というような見解があったが、後者は、保護者などは、ごく素朴な感情として知りたいと思うのではないだろうか。それを否定する説得的な根拠はあるのか。
以上のようなことを感じた。