総務省接待問題は、自民党内の権力闘争ではないか

 メディアでは、連日、菅首相の長男による、総務省官僚への接待問題を扱っている。処分もなされたので、利害関係者による接待は、禁止されており、倫理規定に違反しているということで、処分がなされたが、そもそもこの事件の本当の問題については、あまり納得のいく説明がされていない。もちろん、皆無ではないが。
 官僚が禁止されている接待を受けるのは、もちろん、承知の上だろうが、では何故そんな危険なことをしたのか。あるいは、処分されたら、本当に将来に大きなマイナスなのか。
 そもそも、官僚になる人たちの多くは、権力の中枢に自分が位置を占めたいと思っているに違いない。そのなかには、単に権力を振るいたいというひとや、自分の理想とする政策を実現するために、権力の中枢にいることが必要だと考えるひともいるだろう。そのために、有力政治家と近づきになり、とくに昔は姻戚関係になるのが普通だった。現在でいえば、加藤官房長官は、その代表的な存在であろう。姻戚関係までいかなくても、近しい関係になることによって、有力政治家に引き立てられ、事務次官になったり、あるいは、政治家に転身したりする。だから、新人のころはまだしも、ある程度の地位についたころからは、どの政治家につくのか、難しい選択になるようだ。ついた政治家が失脚すれば、自分の地位も危うくなるからだ。

 そういう観点から、今回の一連の接待をみれば、菅首相の長男からすれば、菅首相につく官僚を集め、検束を固め、味方であることを確認する一連の儀式だったろう。官僚からみれば、自分が菅首相の側近になるとを示す対応だったといえる。菅首相は、長男とは別人格だから、彼がやっていることに、自分は関係ないと国会で述べているが、それにしては、長男の度重なる接待攻勢は、いかにも不自然であり、やりすぎだろう。
 もちろん、東北新社としては、許認可の権限を持つ官僚の接待だから、CSとBSのチャンネルを獲得維持することは重要なことで、その目的もあったことは事実だろう。しかし、CSやBSのチャンネルの認可がそれほど困難なはずはないのである。実際に東北新社が経営していたクラシカ・ジャパンは、昨年つぶれているし、ネット運営のバージョンもこの3月で終了だそうだ。私は、一昨年くらいまで、長くクラシカ・ジャパンにはいっていて、愛聴してきたが、それでもけっこう高いのと、マンネリになってきたので、辞めた。経営危機はなんども言われていたから、廃止も時間の問題だったろう。クラシカ・ジャパンほどではなくても、経営があぶないCSチャンネルは、他にもけっこうあるはずだ。そういう意味で、接待攻勢しないと、チャンネルを与えられないなどということは、考えられないのである。だから、チャンネルのためというのが、主要な目的の接待とは考えられないのである。
 菅首相は、二世議員ではない。二世議員であれば、父の代からの組織、そして協力官僚の形成はなされてとり、急速かつ目立った形での官僚の取り込みは必要ない。しかし、総務大臣や官房長官になったあたりから、首相の座をかなり現実的な視野にいれはじめたとしたら、そうした勢力形成を強力に進める必要が生じた。そのために、長男を政務秘書官にして、まずは箔をつけ、そして、長男が動いていたと考えたほうが、ずっと自然である。故郷が同じで、ごく親しかった友人が築いた東北新社は、接待を通じて、官僚たちを取り込む仕事をするには、かっこうな場だったといえる。
 そう考えると、何故この接待が漏れたのかも理解できる。とくに、接待の模様が録音されていたなどということは、通常の接待ではありえないことだろう。つまり、菅首相の勢力拡大のための運動であるとすれば、それを面白くないとみる有力政治家、あるいは、危険だと思うひとがいるはずである。政治とは権力闘争なのだから、菅首相を全面的に応援しているわけではなく、むしろ将来は敵対する可能性もある思えば、このような露骨な勢力拡大のための接待は潰す必要があると考えるに違いない。自民党内のひとたちなら、こうした動きを感知することは、なんでもないはずである。文春に通報して取材させる。そして、適当な時期に、暴露させる。つまり、一連の報道は、反菅運動とみたほうがよい。
 野党は、既に処分はある程度なされているのだから、自民党内勢力争いにかかわるより、生産的な政策論争に焦点を移してほしいものだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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