読書ノート『原節子の真実』石井妙子

 石井妙子氏の『女帝小池百合子』がとても面白かったので、ついでに『原節子の真実』も購入していたのだが、私はあまり映画をみないので、しはらく放置していた。しかし、気が変わって読んでみたのだが、非常に面白かった。原節子の映画が見たくなったわけではないが、戦前から戦後への移行期に表れた映画界の人間模様や、そのときの原節子の生きざまが、かなり筋の通ったものであったことを知り、日本社会の在り方を考える上でも参考になると思った。
 他方、私は、まったく原節子という女優について知らないままだったので、世間の定説などにはまったく囚われずに読んだ。例えば、原節子は、40歳くらいで、まったく誰にも知らせることなく、引退をして、その後まったく公開の場に現れず、隠遁生活をしたのだそうだが、そのきっかけが、小津安二郎が亡くなったからだというのが、多くの人の見方だったようだ。しかし、石井妙子氏は、その考えをまっこうから否定する。定説に親しんでいたひとには、ショックが大きいようだが、逆に私は、読んでいて、小津と原に関する、石井氏の描き方には、多少疑問をもった。それはあとで触れよう。
 原節子は、本名会田昌江というのだそうだが、かなり裕福だったが、没落した家(といっても、かなり貧しいというようでもなかったようだ)の大家族に生まれた。非常に成績がよかったが、レベルが高く入りたかった高等女学校の試験の日に体調をくずしていて、不合格になり、不本意な私学にはいったが、経済的なこともあり、義兄に誘われて映画の世界にはいった。14歳のときだ。そして、結局、このかなりファナティック義兄とずっと行動をともにする。

 そして、原節子が有名になるのは、日独国策映画、つまり、ドイツと日本が同盟を結ぶための、精神的下準備のための映画の、日本人側の主役に抜擢されたことだった。つまり、ドイツ人に受けいれられるような日本人女性ということで選ばれたらしい。ドイツでは大成功をおさめ、ドイツの劇場で挨拶をするために、ヨーロッパに渡り、ゲッベルスと並んでとられた写真が、この本に掲載されている。
 日本は急速に戦時体制に突入し、映画も国威発揚を目的として制作されるようになる。多くの映画監督が、こうした時流に積極的に協力し、原節子も女優としてそうした映画に出演している。そして、義兄の熊谷久虎は、特に狂信的右翼になっていき、九州独立のための政治団体にかかわり、そのために、戦後民主化されたなかで、映画界を代表する形で追放処分の憂き目にあったとされる。本書によれば、その後も思想的には、捨てず、一貫したものだったという。映画監督が職業であったが、特に戦後は、評価される作品を制作することはできず、それでも、原節子は、この義兄を支持し続け、彼の映画に出演しては、映画として失敗を重ねた。
 この点が、この本を読んで、理解できないところだ。40歳で引退してからは、東京の自宅を引き上げ、鎌倉に住んでいたこの熊谷の家に移り住み、別棟の粗末な小屋を改造した建物に住んだという。そして、熊谷が死んでからは、その息子夫婦と一緒にそこに死ぬまでいて、熊谷家の人たちが、原節子を世間の目、メディアの取材から守ったそうだ。
 石井妙子が描いた原節子は、自立した精神に目覚めた女性で、周りに迎合せず、自分の信念を貫いた人間として描かれている。それならば、何故このような狂信的な右翼思想の熊谷に、絶対的な信頼をおき、評価されない映画に出て、最後は、熊谷の家族と過ごして生涯を終えている。しかも、原節子を絶対的に男との交際から隔離し、恋愛や結婚をできなくしてしまった人物である。男に従うのが女というような、前近代的な女性だったならいざしらず、ここに描かれた自分の信念にいきる原節子が、なぜ、ここまで理不尽とも思われる関係を続けたのか。いかに、姉の夫であり、家族思いの原節子だったとしても、石井妙子の叙述では、あくまで熊谷についていく清木方は腑に落ちない。
 次は小津安二郎との関係だ。アマゾンのレビューをみても、この点がもっともこれまでの原節子ファン、あるいは小津安二郎ファンを驚かせたところだ。つまり、原節子の映画の代表作は、小津作品であり、双方にとって、極めて大事な協力者だった、そして、小津が死んだので、原は引退したのだ、その証拠に、小津の葬式で原は号泣したというのが、これまでの一般的な解釈だった。しかし、本書では、原は小津をまったく評価しておらず、小津の求めるような映画ではなく、もっと自己主張する激しい役をやりたがっていた、生涯、細川ガラシャを演じることを望んでいた、それは小津の作風とはまったく違うものだった、と書いている。原節子が小津を評価していなかったというところが、驚きをもって迎えられたということのようだ。
 私は、本書のこの部分については、なんとなく納得できないものを感じた。確かに、石井妙子氏も、小津安二郎の葬式にきて、原節子が泣いたことを書いている。そもそも、原節子がいつ引退したのかは、明確ではないようだ。というのは、誰にも断りなく、引退宣言などせず、気がついたら映画に出なくなっていた、そして、鎌倉に引き籠もってしまったということだったのだから、実は、小津が死んだときには、原は引退していたようにも思われるのである。にもかかわらず、わざわざ葬式にやってきて、号泣したということは、小津を映画監督として、非常に尊敬していたし、自分にとって極めて大切なひとだったと感じていたということに違いない。原自身が、小津監督に関して、あまり肯定的な発言をしなかったとしても、それは、自分が本当にやりたいことは他にあり、それをとってくれるひとを待っている、という遠回しの表現だったかも知れない。
 本書で描かれた原節子という人物は、女優としては、非常に珍しいひとだったのだと感じる。そして、多くのひとは好感をもつだろう。特に、戦後大女優になったが、美人女優であるが故に、若いひとたちにその位置を譲らざるをえなくなったときに、決して意地悪をすることなく、自分に割り当てられた広い控室を、若い主役の女優たちに譲っていたというようなところは、なかかなかできないことだと思う。まったく贅沢をせず、撮影所に電車で通ったというのも、驚きだ。そして、如何に人気女優であったとしても、引退後半世紀、まったく働かなかったのに、暮しに困ることなく、必要なときには大きな寄付をするほどに、資産形成をしっかりしていたということも、非常に賢いひとだったのだろう。
 本書は、とにかく、まったく本人にはインタビューできない状態で、参照可能な資料はほぼ読み込んで、単なる女優の伝記ではなく、戦前から戦後の文化史としての意味もある、優れた本であることは間違いないと思う。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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