制服に抗議を始めた子どもたち

 東京オリンピック組織委員会の元会長だった森氏の騒動で、男女平等がふたたび新たな段階で議論されるようになった。日本の男女平等のランクがひどく低いことは、以前から指摘されていた。まだまだ、議論として両論ある分野も多いが、そのひとつが服装に関してだと思う。以前ほど男女差はなくなってきたが、まだ残っている分野がある。中高生徒たちの制服だ。公立学校の生徒に、制服を強制しているのは、先進国としては珍しいわけだが、男女の差も明確になっている。制服として決まっていて、男女差がないのは、体操着のジャージくらいのものではないだろうか。そして、以前から気になっていたのが、女子中学生や高校生のスカートである。これは、男女差別問題だけではなく、健康の問題として取り上げられるべき点でもある。真冬にも、スカートが強制されているのは、健康上の由々しき問題であると思う。そのなかで話題になったことがある。
 
 高校生新聞2月15日号に「制服のスカートは寒くて困る 女子高校生が勇気をだしてスラックスで登校したら」という記事が出た。スカートは寒いので、自分でスラックスを注文して、許可を申請したら、簡単に通って、翌日からスラックス登校したという話だ。はじめはジロジロみられたが、やがて生徒たちにも理解され、体調不良もなくなったというものだ。
 日本の制服で、女子用は冬でもスカートが普通で、これは、多くの批判を受けてきた。オランダにいたとき、冬にスカートで登校している子どもたちなどは、見たことがなかった。明らかに、真冬のスカートは、健康に悪い。にもかかわらず、頑固に制服としては、スカートに決まっている。上記は、別に強く抗議するとか、校則改定などを働きかけたわけではなく、そもそも校則変更なしに許可されたという話だ。

 欧米では、公立学校の制服は通常存在しないが、例外的に、アメリカのチャーター・スクールで、女生徒はスカートという決まりがある学校があった。その校則により処分されたキーンリ・バークスが提訴し、裁判所は、女子にスカートを強制するのは、男女平等に反し、違憲であるという判決を下したのだ。2019年4月のことだ。学校側は、かなりこだわっていたようで、女子にスカートを強制するのは、「しつけと仲間意識の涵養」ということだと書いてあるが、スラックスを禁止する理由にはなっていない。この理由は、「制服」を肯定する理由にはなるが、スカートでなければならない理由にならないことは明らかだろう。男子の場合には、夏には、長短のズボンを選択できることにしているわけだから、女子には選択を認めず、男子には選択を認めるという点でも、男女差別になっている。
 
 日本は、そもそも提訴するという文化・社会的風潮が希薄なので、大人社会での提訴もまれだが、まして、子どもが提訴することは、ほとんどない。校則をめぐっては、かつて丸刈り訴訟というのがあった。中学生の男子に丸刈りを強制するのは、違憲であるとして訴えたものだ。この訴訟で、丸刈り強制はほぼなくなっていくのだが、判決では原告が敗れている。当然、憲法14条の男女平等が問われたが、長髪に関しては、男女の習慣上の差があるから、男子のみに強制することは、男女平等に反することはないという判断が示されたのである。
 現在の感覚でいえば、とんでもない判決といえるだろう。
 当時は「部分社会論」という法理が、かなり幅をきかせていた。「部分社会の法理」とは、ある特定の限られた範囲におけるひとの集まり(部分社会)にのみ適用されるルールは、一般社会のルールと乖離があっても、直ちに違法とはならない、というものである。例えば、ボクシングという競技は、殴りあうのだから、一般社会では暴行罪や傷害罪の対象になる行為だが、ボクシングというスポーツの競技として、特定の選手のみが了解の上で行う分には、暴行罪などは適用されないというわけである。しかし、部分的社会の法理には、厳密な条件が必要である。
・事前にルールを正確に知ることができる
・完全な自由意思で参加する
・いつでも自由に抜けることができる
 こうした条件からすると、学校における校則は、ほとんど部分社会の法理には、あてはまらないのである。何故なら、前のふたつの条件を満たしたとしても、3番目の条件が完全に保障されることはないからである。したがって、校則は、一般社会で妥当とされる内容の範囲で制定することが必要なのである。男女で厳密に決まっている制服は、違憲だと考えるのが妥当である。
 そうすると、制服を決めたとしても、いくつかの選択肢があること、そして、制服を着なくてもよいとすることが求められる。
 
 法的な原則からする結論は以上だが、世間的には、まったく異なる感覚があることも事実である。
 Japan Dataの調査によると、女子高生の4割は冬でも4割は「ナマ足(スカートでストッキングもはかない)」だそうで、その理由の多くは、みながそうだから、そして、かわいいからという理由だという。
 また、2021年2月21日に、「制服着ない自由認めて」という中一の生徒の訴えがネットにのり、それに対して、多数のコメントが寄せられた。ところが圧倒的に、この願いに否定的で、わがまま、自由をはき違えている、制服のほうが安上がりでよい、等々、そして、制服のない学校にいけばよい、という公立学校の原則を理解しないコメントも多いというのが、実情である。現在の若いひとほど、ある意味権利意識が低いことを感じることがあるが、これなどは、まさしくその一例だろう。
 
 またまったく逆に、男がスカートで登校して、抗議の意志を表明したというニュースもある。ただしカナダの話だ。   https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f83a20fc5b6e5c32000327f
 
 差別や平等ということが、なかなか理解されにくい日本であるが、少しでも、人権意識が定着させたいものだ。強制された制服というのは、10代の若者が対象なので、権利概念の理解にとっては、とても重要なものなのだ。きちんとした人権の教育、人権を守る教育が必要である。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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