二重国籍訴訟判決で否定 だが二重国籍を認めるべきではないか

 二重国籍問題を争点とした訴訟の判決が、今日(1月21日)東京地裁から言い渡された。gooニュースは「二重国籍を認めない国籍法は「合憲」 東京地裁が初判断」と報道している。
 普通の日本人は、国籍などは、普段考えることはないだろう。生まれたときから、当然のごとく日本国籍を取得し、日本人としての権利・義務を享受する。しかし、日本にいる外国人、外国にいる日本人、特に、外国で永住権を獲得したり、あるいは外国で仕事をしている、あるいは外国人と結婚している人にとっては、国籍は切実なこととして、様々な側面で意識せざるをえないことになる。特に、日本では、在日という、ほぼ日本人と同じ教育を受け、文化を共有し、生活している、大量の外国籍の人々がいる。日本の植民地政策から、敗戦を経て、敗戦処理としての間違ったやり方によって、残った人たちである。だから、日本にとって、国籍問題は、かなり複雑な問題をもっているのである。

 この訴訟は、二重国籍が争点だ。現在の国籍法では、自分の意志で他国の国籍を取得したとき、あるいは、属地主義によってふたつの国籍をもっていた者が、成人したときに、自分の意志で他国の国籍を選択したときには、日本国籍を喪失することになっている。もっとも、国籍離脱の手続をすることが必要だが、罰則付きではないし、自動的に喪失してしまうようなことにはなっていない。放置することも不可能ではないのだろうが、この訴訟の原告は、喪失することを望まないので、日本国籍があることを正式に認めるように、提訴したわけである。
 報道が示すところでは、こうしたことの判断は初めてであるということだが、実際には、過去にほぼ同様な訴訟はある。そして、2016年6月24日に東京地裁で、判決が言い渡されている。そして、2015年3月10日、日本国外で生まれた子で、日本国籍を有すると同時に外国籍も取得する場合は、両親が日本国籍を有するとの意思表示の届出をしなければ、日本国籍を失うという規定は、違憲ではないとの最高裁の判断も下されている。したがって、今日の判決内容は、十分に予想されていたといえる。
 とはいえ、私自身は、あまり賛同できないので、考察してみることにした。
 今回の判決文の詳細がわかるのは、まだ先だと思うので、2016年の判決をみておこう。争われている内容は、基本的に同じである。そして、最大の争点は、二重国籍を、政府は認めない、原告を認めるべきだということにある。
 では、政府側の見解を採用した判決は、二重国籍の弊害をどのように述べているのか。判決は、以下のように述べている。
 
(ア) 重国籍の弊害と国籍唯一の原則
国籍の積極的抵触(重国籍)及び消極的抵触(無国籍)は,個人の利益保護の見地及び国際協調主義の見地のいずれからみても避けるべき事
態である。
重国籍者についてみると,二以上の国家に所属するため,国家が国民に対して有する対人主権が重複して及ぶこととなり,外交保護権の衝突等により国際的摩擦が生じるおそれがある。また,国家は,自国民に対し,兵役・納税の義務等を課し得るが,重国籍者はその所属する各国からの義務の履行を要求され,その義務が抵触する事態も生じ得る。さらに,重国籍者は,関係国間の通報制度がない限り,その属する各国において別個の氏名により国民として登録されることも可能であり,場合によっては,適正な入国管理が侵害され,重婚を防止し得ないという事態も生じ得る。
他方,重国籍者は,その属する各国において国民としての権利を与えられ,複数の本国に自由に往来居住し,それぞれの国で社会保障の利益,経済活動の自由を享受し得ることになるが,それは単一の国籍のみを有する者には与えられていない利益であり,保護するに値する利益とはいえない。
このような見地から,人は必ず国籍を持ち,かつ,国籍は唯一であるべきであるということが国籍の得喪に関する理想と解されており,この「国籍唯一の原則」は,国籍の存在意義から当然導かれる原理ないし国籍立法のあるべき姿として,古くから今日に至るまで国際的に承認されている(乙7等参照)。
エ 小括
以上のとおり,原告ら父母は,本件手続1及び2に係る申請行為等が新たな国籍取得とは無関係の出生登録手続に係るものであると確定的に認識していたとは認められず,また,当該申請行為等に及んだことにつき無理からぬといえるような確実な根拠があったともいえないことからすると,当該申請行為等は,真にやむを得ない事情があるため実質上その国籍取得が本人の意思に基づくものと認めることができない場合には当たらない。
したがって,原告らの外国籍取得は,「自己の志望によつて」したものと認められ,原告らは,国籍法11条1項に基づき,ロシア国籍を取得したことにより,日本国籍を喪失したものというべきである。
 
 要するに、
・外交保護権の衝突が起きる可能性がある
・兵役・納税の義務を双方から要求され、義務が抵触することがある
・別の氏名で登録され、入国管理が侵害され、重婚などが起きる
・国の社会保障が重なって受けられることになり、単一国籍の者には与えられない
 以上から、「国籍唯一の原則」は広く今日まで承認されているとしている。しかし、報道でも触れられているように、現在の国際社会では二重国籍の容認のほうがかなり上回っており、単一国籍主義を厳守している国のほうが少数である。
 確かに、第二次世界大戦後あたりまでは、単一国籍主義が、厳密に守られていたと考えられる。そもそも国籍というのは、近代の国民国家の産物であるからは、先進国がまずつくった制度であり、先進国において、単一国籍の制度を厳格に運用していたということだ。しかし、戦後の高度成長の過程で、移民労働者の受け入れが拡大するにつれて、それでは不都合だという要求が強くなった。というのは、先進国では所有の自由が確立しているが、移民送り出し国では、外国人の財産所有を禁止するところが少なくない。例えば、ある国からの移民がドイツで定住するようになり、ドイツ国籍を取得する。すると、母国の国籍を放棄しなければならない。しかし、その国にもっていた不動産などを、外国人になった故に、取り上げられてしまうという事態が生じたわけである。そうした事態を回避するために、母国の国籍を放棄することなく、ドイツ国籍を取得できるように制度変更がなされた。そして、そうした制度変更を多くの国が採用していったということになる。だから、二重国籍は、単一国籍の欠点を克服するために、実現したものなのである。日本は、外国人の財産所有を認めているから、日本人が外国籍になったとしても、それまでもっていた日本の財産を放棄しなければならないということはない。だから、単一主義でいいのだという立場なのだろうか。
 項目ごとに考えてみよう。
 外交保護権・兵役・納税義務の衝突・抵触はどうか。
 納税義務は、国籍に関わりなく、外国人でも収入があれば、課せられるから、この抵触問題をあげるのは適切ではない。兵役の義務は、形式的には、確かにそういうことがある。敵対国であるふたつの国の国籍を取得して、しかも、双方が兵役義務を課していたら、大いに抵触するだろう。しかし、日本の政策として考えた場合には、兵役義務そのものがないから抵触はない。例えば、韓国には兵役義務があるから、韓国と敵対すれば、二重国籍はこまるかも知れない。しかし、現実には、韓国籍の日本在住、永住権をもっている人は、膨大な人数存在している。平和条約が結ばれていない北朝鮮国籍の人も同様である。こういう状態を特に、「抵触」とみないのだから、あまり説得力がない。日本ではないとして、敵国同士であり、かつ双方に兵役義務がある場合、それを自分が望んで、両国の国籍を取得するというのであれば、それは当人の問題としかいいようがないだろう。また、明確な敵国であれば、その時点での国籍取得制限をかければいいのではないだろうか。
 重婚の可能性というのも、妙な理屈のように思われる。他国の国籍を取得するきっかけの多くは、国際結婚だろう。つまり、結婚する相手の国籍を取得するという人が、更に別の人と結婚しやすいように、相手国の国籍を取得するというのだろうか。ありえない話とはいえないが、難癖に近いのではないだろうか。
 国の社会保障を受けられるというのも、実際にはそぐわないのではないだろうか。
 日本に住んでいる者は、国籍にかかわらず、年金に加入しなければならないし、健康保険も同様である。また、外国人でも、日本の学校教育を受けることができる。しかし、日本人でも、外国に住んでいれば、健康保険の適用は受けない。外国に住んでいれば、日本の医療を受けないのだから、当たり前である。つまり、社会保障は、あまり国籍とは関係なく運用されているのである。確かに、二重国籍をもっている人は、双方の社会保障を受けやすい環境にあると思うが、しかし、それは在住している間だけなのであって、同時に二重に保障を受けるわけではないはずである。したがって、この理屈も成立しない。
 
 このように考えてくると、やはり、世界の体勢にあわせて、二重国籍を日本も容認したほうがいいのではないかと思うのだが、どうだろうか。二重国籍を認めることは、少なくとも個人的には有益であり、国家としても、古い観念を捨てれば、それほど面倒になるわけではない。面倒が多発するなら、世界の多数が認めるはずがない。国籍をあえてもっていたいということは、自国が好きだからだろう。そういう気持ちを否定して、何かいいことがあるのだろうか。
 
 
 
 そういうなかで、この訴訟はどういう意味をもっているのだろうか。
 
 
 二重国籍だけではなく、国籍の属地主義の検討もなされるべきである。
 
 
 国籍とは何か。
 
 
 国籍の歴史 近代国民国家の枠組みとして成立した。
 
 近代以前では、征服王朝、征服国家などは珍しくない。
 
 
 植民地との関連
 
 
 
公務就任権
参政権 選挙権 国政・地方自治体
 
 
 
在日問題
 
 
 
国籍法12条が争われた事例  
 
 実質的な意味をもたない国籍をできるだけ回避することは、合理的
 
次に、国籍法の定めは、父母の国籍を留保する旨の意思表示の届け出があったことによって、日本国との密接な結びつきの徴表と見ることができ、3ヶ月以内にする出生の届け出とともにすることとされていることから、意思表示の方法、期間に配慮がなされており、意思表示がなされなかった場合にも、日本国に住所があれば20歳までに届け出をすると国籍を取得できるとされていることなどから、立法目的と関連において合理性がないとはいえないことから、立法府の裁量を逸脱するものではないと判示しました。
https://shigenaga.jp/?p=363
 
 → 最後の部分は、何故両親なのか、当人が選択するときに、そのような届出をすることではないのか。
 
 
 
 
 
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です