1月16日に、ニューヨーク・タイムズがオリンピック中止の可能性があることを報道してから、そのことを日本の主要新聞が報道するという、いかにも妙な現象が起きている。なぜ、日本の新聞自身が、オリンピック中止の可能性を報道しないのか。ネットなどでは、主要メディアがオリンピックのスポンサーになっているし、そのとりまとめが電通であるから、電通に反することはできない、というような分析をしているところが多々ある。確かに、主要新聞は、明確にオリンピック中止を示唆する記事を掲げていない。しかし、よく見ると、オリンピックの開催に懐疑的な記事は、いくつかある。
毎日新聞では、
2020.5.6 本当に東京五輪は開催できるのか 関係者がだんまり決め込む中でふくらむ経費
2020.9.23 IOCバッハ会長が東京五輪開催へ動き出した思惑 立ちはだかる「冬」とかさむ費用
2020.10.8 感染リスク、開催費膨張… 東京五輪開催へ綱渡り 「機運醸成」進まぬ理由
2020.12.4 森会長「互いに理解して」 東京オリンピック追加負担早期合意、3者の思惑は
2020.12.21 オリンピック予算、大幅膨張必至 コロナや延期…なお全体像不明
産経新聞はどうだろうか。さすがに、産経新聞は、オリンピック開催に前向きな記事が多い。
2020.11.17 経済界から五輪開催求める意見相次ぐ
この文章以外には、昨年でオリンピック開催に関する問題を指摘する記事は、見当たらない。もちろん、ニューヨーク・タイムズなどの否定的記事は紹介している。
毎日と産経の記事を読むと、少なくとも毎日新聞をきちんと読めば、オリンピックの開催がかなり難しいことが感じられてくる。
しかし、17日に、フジテレビに出演した加藤官房長官は、オリンピック開催に変更がないことを述べ、欧米の報道を否定した。
相も変わらずの、政府、オリンピック組織委員会と、ネット世論の完全な分離だが、事実は、どんどんオリンピック開催不可能に近づいている。なんとか開催したいと考えている人たちの繰り出す、様々な情報について、少し考えてみよう。
観客をどうするかは、国家として決めることが不可能ではない。入国を制限してしまえば、海外からオリンピックを見るために、来日することはできなくなる。ビジネス・トラックのみ入国可などと、一時は政府は行っていたから、オリンピック・トラック(選手・役員・メディア)のみ可というような方法も、絶対不可能とはいえない。しかし、7月の時点で、オリンピック・トラック以外の、海外からの入国を禁止することは、かなり深刻な事態が続いているということだから、オリンピック開催どころではなく、コロナ感染爆発が継続していることを意味する。つまり、無観客での開催というのは、ありえない事態なのだ。無観客試合をすることが困難なのではなく、無観客にせざるをえない状況で、なおかつオリンピックを開催することがありえないのだ。
とりあえず、観客はコントロール可能だとしよう。しかし、試合をするからには、選手だけが来るわけではない。まるで、選手を選手村に閉じ込めて管理すればいいような話がだされているが、選手だけではなく、役員やコーチも一緒に来る。つまり、選手団が来るのだ。選手と同数はいるに違いない。それから、かなりの審判がくる。審判だけではなく、計測や記録の管理をする、要するに事務方が多数いるだろう。そして、当然、メディアの人たちも多数くる。無観客で開催するためには、当然テレビ放映が重要な収入源になるが、その場合、テレビ放送のための人員、機材等々がやってくる。このような人たちをすべて、選手と同様に管理することができるのだろうか。もちろん、選手の管理は可能だと仮定しても、メディアの人を管理できるとはとうてい思えないのである。
youtubeなどの情報では、審判は、国際的な資格をもった人でなければ、オリンピックの試合での審判をすることはできないのだが、そういう人たちは、それほど数が多くない。しかし、少なからぬ国際資格をもった審判は、オリンピックのために来日することを拒んでいるという。選手でも、来日を拒む人はいるかも知れない。しかし、選手が一部来なくても、試合は成立するが、審判が来なければ、試合そのものが不可能になる。
更に大きな問題がある。オリンピックは7月に開催だから、それまでにコロナが落ち着けばいいというわけではない。オリンピックを実行するためには、その前に、様々な準備がある。プレ・オリンピックだけではなく、会場のチェック、計測機器の確認、関係者の移動の確認等々、その準備だけで、かなりの日数を要する。
以上でわかることは、オリンピックの開催は、不可能だということである。
しかし、不可能であっても、どんなに悲惨な結果になってもやるというのであれば、絶対に不可能ということではないだろう。オリンピックのあるべき姿とは、まったく異なることになるとしてもやる、というのなら、やるのかも知れない。(もちろん、私はどこかで、政府も東京都も諦めると思うが)
その場合、日本は、悲惨なコロナ蔓延によって、国家的危機になるかも知れないということだ。コロナは、基本的には外国からやってくる。外国との交流がなければ、コロナは入ってこない。国際化がすすめば、感染症が広がることは、古代社会から起きていることだ。日本のコロナ感染も、当然、最初は中国から、そして、ヨーロッパからやってきた。そうして、感染が広がったのである。GOTOは国内感染を広めた。
オリンピックを開催すれば、大量の人が海外からやってくる。結果は目にみえている。いまでも、いくつかの地域で医療崩壊が起きていて、受けられる治療が受けられない、あるいは自粛せざるをえない状況になっている。オリンピックを実施すれば、大量の医者が、各国からくる選手の医療的な世話をするために駆り出されるのである。そうすれば、コロナ拡大に加えて、医療従事者がオリンピックに割かれるという、二重の医療困難が生じる。
いま、オリンピックを開催すると執着している政治家をみていると、第二次大戦末期に、日本の各地が爆撃に曝されて、多くの民間人が死亡している状況を放置し続けた、当時の政治家を思わずにいられないのである。
オリンピック開催は、日本を、深刻で悲惨な状況に陥らせる。中止決定は、早ければ早いほどよいのだ。
オリンピックの開催主張者たちは、その莫大な経済効果を述べ立てる。観光立国の目玉としてのオリンピックということだろう。
しかし、日本の観光立国政策は、様々な催しものを行い、そこにインバウンドを期待するという構図になっているが、それは観光立国としての邪道ではないだろうか。オリンピックをやり、万博をやり、**大会を開催する。そうして、海外からの観光客を集めようというわけだ。しかし、そういうやり方は、持続性がないし、一時期利益をえても、長期的には、赤字の要素を背負いこむことになる。国際的な観光立国をみればわかるように、催しものではなく、そこにあるもの、見る価値があるものが、観光客を引き寄せている。ピラミッド、ルーブル博物館、タージマハル、万里の長城等々。これらは、年中観光客が訪れる。日本にも、そうした観光地は存在するはずだ。そうした、恒常的な観光施設を整備して、日常的に観光客が訪れるような状況を作り出すことが、観光立国であろう。オリンピックのような大規模イベントを観光立国の柱にするような政策は、それは利権がらみになるたけで、長期的な繁栄にはつながらない。