アメリカの騒動は、日本でも大きな議論を巻き起こしている。そのひとつが、トランプ大統領のアカウントを、ツイッター社が永久停止したことに、否定的な議論が起きていることだ。そのひとつとして、DIAMOND online 2021.1.15の岸博幸氏「コロナとトランプ政権で明らかになったマスメディアとSNSの偏向」がある。
岸氏は、ツイッターなどの大手SNSは、内容について責任をとる必要がなく、訴訟から解放されているが故に、今回の措置は不当であると主張している。
「米国では、ネット企業やソーシャルメディアは、通信品位法第230条により大きな特権を享受しています。具体的には、それらの企業がネット上に築いたプラットフォームを通じて、ユーザーが提供する投稿などの情報について、それが違法なものであったとしても、掲載したことの責任を問われないのです。
かつ、ユーザーがわいせつ、扇情的、暴力的など好ましくないと考えられるコンテンツを投稿した場合に、それらへのアクセスを制限するためにネット企業の側が善意で行ったいかなる行為についても法的責任を問われないとされています。
米国では、この通信品位法第230条の特権により、ネット企業が大きく成長できた一方、ネット企業がそれを濫用するケースがあることから、第230条の修正が必要という議論が行われている最中です。しかし、その議論如何にかかわらず、アカウントの永久停止というツイッター社の措置は、明らかに意思決定としては偏向しているのではないでしょうか。
マスメディアは“publisher”として、提供した情報が間違っていた場合などは責任を問われるのに対して、ネット企業は“publisher”ではなくプラットフォームという“導管”を提供しているだけであり、またネット上には多くのプラットフォームやサイトがあることから、ユーザーは自由にネット上のほかの場で投稿できるといった点が、第230条の特権を定めた背後にあると思います。」
以上である。文章が短いという点もあるが、ここにはかなりの論理の飛躍がある。新聞、出版、テレビなどのマスメディアは、「編集行為」をしているから、その内容に責任を問われることがあり、ネットは、単に「投稿場所」を提供しているプラットフォームだから、その内容に責任を問われない、というのは、日本も同様であって、アメリカの特殊性ではない。だからといって、あらゆる訴訟から免れているというとしたら、間違いだろう。そして、ツイッターには、多くのポリシーとルールが規定されており、そうしたルールによって、削除やアカウントの停止が実施されている以上、それに不満をもつ者が訴訟をおこす可能性はある。逆に、あらゆる訴訟で、ツイッター社が訴訟で負けることはない、と主張するとしたら、それも合理的な判断とはいえない。
要するに、岸氏の論理は、どんな主張が投稿されても、法的責任を問われることはないのだから、どんなに酷い投稿をする者でも、アカウントの永久停止は「偏向だ」と、根拠なしに主張しているに過ぎないといわざるをえない。法的責任を問われることは、十分にありうるし、また、責任は法的責任だけではない。社的責任が問われることだってあるはずだ。
そして、もし岸氏の主張からすれば、ツイッター社が決めているポリシーやルール自体が、おかしいということにならざるをえない。ツイッター社は、投稿に際して、やってはならない表現を明記してあり、それに違反して、改めないときには、アカウントの停止をすることがあると、規定している。大統領は、このルールから免除される、というのであれば、ルールとして成立しないのではないか。
岸氏のように、トランプのアカウント停止は、発言する場を奪うことになって問題だという論は、ある意味自然のように受け取れるが、では、停止しない場合、ツイッター社が決めているガイドライン、ルールを無視してもいいことになってしまう。そういう点をどう考えるのだろうか。もし、停止しなければ、トランプはいくらでもフェイクニュースを流し続けることになる。トランプが大統領として、いかに害のあるフェイクニュースを流し続けたかは、コロナ関連を見ればわかる。専門家によって、コロナが現れた時期に危険なものだという提言を受け取っていたにもかかわらず、それを隠し、コロナは風邪で、インフルエンザより軽い、などといって、マスクをしないような呼びかけすらしていた。その結果が、現在のアメリカの死者数の悲惨な状況である。「選挙の不正」なども、根拠をしめさず、自らが任命した裁判官によってすら、否定されているにもかかわらず、その主張を改めず、そして、選挙結果を否定する主張の結果として、かつてなかった暴動が起きてしまった。
このようなでたらめな内容を垂れ流す権利、そして、それに対して民間企業が、それを保障しなければならない義務があるとは思えない。更に、トランプは発言機会を失われたわけではない。歴代の大統領がやりもしなかったツイッターでの発信ができなくなったに過ぎない。記者会見をいくらでも大統領としてできるし、また、広報官を使って政策を公表できるのである。
中国などの言論弾圧と同一視するような乱暴な意見もあるが、本当の意味での、そして中国か実際にやっている言論弾圧とは、身体を拘束して、文字通りなんら意見を述べることができなくすることである。もちろん、そこまでいかなけば言論抑圧してもいいということではないが、何よりも、言論抑圧をしてはならないのは、国家機関である。
「暴力を煽動する」などの言論の自由はないし、もしそれを放置していたら、ツイッター社がこんどは大きな批判を受けるだろう。
それから、岸氏は、ネットワークにおける言論について、ある側面を見落としていると思われる。トランプが、今後ツイッターで投稿不可能ということはないのだ。ただ、これまでの投稿主である「大統領トランプ」あるいは、「前大統領トランプ」としての投稿が不可能になるということに過ぎない。極端にいえば、だれか友人のアカウントをつかって、その名前で投稿することは、誰にも防ぎようがない。逆にいえば、そうしてこそ、本当に、トランプの情報発信力が試されるともいえるのだ。なぜなら、大統領のツイッターだから、世界中で注目されたのだが、今後は、大統領ではなくなるのだから、地位によって、情報を権威づけることはできなくなるからだ。
私は、かつてパソコン通信のある会議室の責任者をやっていたことがある。インターネットのそうしたやりとりには、トラブルがつきものである。そして、容認できない投稿をする会員が出てくる。そうしたときに、投稿を削除するか、あるいは、その会員の資格を停止するかは、常に議論の対象になっていた。個別の事例だけではなく、そもそも、資格停止や投稿削除の妥当性についての議論である。いろいろなことがあったが、結局私のえた結論は、投稿の削除は、スレッド表示がされている議論では、大きな意味があり、当事者(言われた者)の意志が重要になるが、あまりにルール無視をしている会員には、資格停止をするほうが効果的である一方、実は、停止された会員の発言の機会は、完全に奪われるわけではないということである。
かなりの議論の末、ある会員の資格を停止したのだが、その一月後くらいに、その会員は、別の会員名で入会し、特に躊躇することなく、発言をしていた。しかし、問題とされたような発言をすることはなくなった。
そのパソコン通信の会議室で、非常に大きな論争だったのが、実名か匿名(ハンドル名)かという議論だ。これは、いまだに続いている議論でもあると思う。
私たちの大方の受け取りは、ネットというのは、基本的に匿名空間であるということだ。(もっとも、匿名というと、誰が書いたかまったく突き止めることができない、という意味ではない。実はインターネットは、書いた本人を特定しやすいメディアである。葉書などのほうが、よほどインターネットよりも、書いた人が自分を隠しやすい。)もちろん、実名で投稿している会員もいたが、実名であっても、それはひとつのハンドルネームという受け取りであった。つまり、ネットで発言している者は、あくまでもネット上で、独立した人格として発言していると理解するということだ。もちろん、現実社会の人格と同じように振る舞う人もいるが、まったく違う人格として振る舞う人もいる。そうした相違にとらわれて、この発言をしている人は、現実社会ではどんな生活をしているのか、などということは切り離して、発言された内容それ自体を議論の素材として考えるということだ。
トランプが大統領としてツイッターをしていたが、それは確かにトランプのいいたいことが書かれていたのだろうし、また、新たな政治家としての発信形態であるが、それは、トランプが確かに大統領であり、ニュース等で絶えず、大統領の意志表明であると報道されており、その事実を多くの人が認めていたからである。しかし、実際に、本当にトランプ自身が書いていたかどうかは、本人以外は、わからないのである。実際に書いていたのは、ツイッター担当の報道官だったかも知れないのだ。しかし、それを世間では、トランプが書いた文章であると、認定していたというだけのことだ。つまり、トランプの場合は、ツイッター上の「トランプ」が、現実のトランプ大統領と結びついたネット人格であった。それは、トランプがアメリカの大統領だったから、特別な意味をもったのである。
大統領でなくなれば、一市民なのだから、その身分で発信せざるをえなくなる。そのときに、いかなる「名前」を採用するかどうかはわからないが、いずれにせよ、新しいネット上の人格として、再登場することになる。そういう機会まで奪われてはいないのである。