本論文は、教育科学研究会教育学部会11月例会での報告に基づくものである。当初、例会での報告表題は「教育社会学と教育実践の不幸な出会い」というものだったと記憶するが、当日になって変更になった。内容が全く変わったわけではないだろうが、多くの部分が削除されたと思われる。私自身は、本来の題目での報告を大いに期待したので、少々がっかりした。つまり、教育社会学が教育実践を扱う困難さについて、掘り下げた報告があるかと思ったのである。というのは、私自身が「教育行政学と教育社会学の不幸な出会い」とでもいうべきことを体験したことがあるからだ。『教育』の本文の検討前に、その点について予備的にまず書いておきたい。本論の検討は、すこし間をおくことになる。
私の理解では、教育社会学は、教育学全般のなかでは、多少特異な位置を占めていると思う。教育学は、教育価値を前提にした学問だが、教育社会学は、教育価値については、少なくとも科学的方法として、相対化すると、私は理解しているからである。私自身、教育社会学の熱心な学徒ではなかったということもあったかも知れないが、ある時点まで、教育学と教育社会学との相違について、あまり意識していなかった。それを強く意識せざるをえなくなったのは、学校選択問題が生じたときである。2000年前後に東京を中心として、学校選択制度を導入する政策動向があった。そのとき、教育学者にも、賛否両論あったのだが、そのときに、面白い対照に気づいたのである。私は教育行政学の専門で、教育行政学専攻を出たのだが、私の年齢の近い元同僚たちは、多くが学校選択制度の賛成派だった。黒崎勲、三上和夫、村山士郎氏らと私である。佐貫氏のような反対派ももちろんいたのだが。それに対して、教育社会学の人たちは、私の知る限り全員反対派だった。久冨氏もその代表的な論客だった。なぜこのような対立的「傾向」が生じたのだろうか。これが、先述した「不幸な出会い」である。
久冨氏が、当初「教育社会学と教育実践の不幸な出会い」という報告で、私が予想したのは、教育実践は、当然教育価値の実現を目指した行為であるのに対して、教育社会学は、分析においては価値自由になる。もちろん、社会学者が価値判断しないわけではないが、経験科学としての社会学の分析には、教育価値は所与のものとして、実践そのものが、教育価値の実現にどのように効果を発揮しているか、あるいはいないのかを、価値にとらわれずに行うものである。しかし、実際に、教育社会学は、実践があまりに教育価値にとらわれているので、その時点で教育実践の分析を放棄しがち、あるいは教育実践の記録そのものに否定的になっているということなのかと思っていた。
これは、学校選択をめぐる教育行政学と教育社会学の立場の相違でもあると、思っていたわけである。教育行政も当然一種の実践であるから、実現するべく価値を目的として、常にもっている。だから、学校選択で実現することを目指す教育価値がある。すると、その筋で、欠陥は生じるとしても、原則的には賛成の立場になるわけだ。もちろん、その教育価値そのものを否定する立場なら、反対になるだろうが。
他方、教育社会学は、学校選択という実践的行政が実施されると、どのような結果になるかを問題にする。学校選択を全面的に実施しているわけではないが、品川区とか、あるいはイギリスやアメリカでの実施についての「状況」が、教育的に好ましくない結果を生んでいるというその「事実認識」から、多くの教育社会学者は、学校選択に反対だったのだろう。
しかし、学校選択の賛否は、それだけではなかった。特に、教科研メンバーの反対は、多くが新自由主義の政策だからというものだったと、私は理解している。これも、実は歴史的にみれば、正しくない。西欧では、程度の差はあれ、学校選択は認められているのだが、その理由は、宗教的なものだ。ワイマール憲法には、教育権者の要求で宗派的な学校を設置することが規定されているのは有名だが、世界で最も徹底した学校選択が実施されているオランダでは、宗教団体の要求で、教育の自由が決まり、選択制度が発展したのである。だから、学校選択といっても、宗教的、あるいは教育観に基礎をおく選択と、新自由主義的な競争主義に基礎をおく選択というふたつの流れがあるのだが、一方のみが意識されたという事情があったといえる。
教育行政学者が、ではどういう教育価値を意識していたといえば、「教育を受ける権利」である。もし、選択することかできなければ、それは権利ではなく義務に過ぎなくなる。選ぶことも、拒否することもできなければ、それは権利ではなく義務である。堀尾氏の「教師の教育の自由」の基礎付けは、親の委託論だった。委託論が、選択を含まなければ、委託というよりは、親の教育権の剥奪というべきだろう。
それが教育行政学的な立場だとしても、私が、学校選択を意識するようになったのは、そうした原則論からではない。むしろ、日本の教育の「状況」に対する判断があった。1980年代から、いじめによる自殺が増加し、大きな教育問題になっていた。教育制度の専門家として、なんとか、教育制度論的に、いじめ問題を対処することはできないかと模索していて、あることに気づいたのだ。それは、自殺するほど追い詰められたいじめの被害者の前に、同じグループによっていじめを受けていた子どもがいることが多いという点だ。そして、前の被害者が転校して去ったあとに、いじめの対象となった子どもが、自殺に至る例が少なくないことである。中野富士見中の鹿川君などは、その典型である。そこから、もっと気軽に転校できる、あるいは、もともと学校を選ぶことができれば、いじめによる自殺はずっと減少するのではないかと考えたわけである。そして、いろいろと調べているうちに、オランダでは、全国的に完全に学校選択制度が実施されているだけではなく、実質的に選べるほどに学校が地域にあるようにすることが、自治体の義務となっていることがわかった。私がオランダの教育研究に入った動機は、そういうことだった。実際にオランダにいってみると、オランダの学校でもいじめはあるが、それを理由に自殺したなどということは、聞いたことがないと、誰もが答えていた。学校選択制度は、あきらかにいじめによる悲劇を防ぐ上で効果的なのだ。
ひとつには、学校側がいじめにきちんと対応しないと、地域の評価か低下してしまう。そして、生徒が集まらなくなる。そうすると、補助金が打ち切られて、閉校になり、教師は失業である。これは公立学校でも同様だ。だから、学校は、いじめ対策には真剣にならざるをえない。
もうひとつは、それでも対応してくれなければ、別の学校に転校してしまえばいいわけだ。学校選択の自由は、入学するときだけではなく、転校の自由も含まれているからである。また、いじめ対策に不熱心な学校は、最初から選択しなければいい。
1980年代末くらいから、私は、オランダ研究に集中するようになったのだが、2000年前後になると、日本でも学校選択論議が始まった。そのとき、教育社会学の反対論に、もっとも大きな疑問をもったのは、学校選択を実施すると、大きな弊害があると強調するのだが、学校選択がないことによる弊害には、一切触れないことである。私は、学校選択賛成派だったが、選択制度を実施すれば、弊害があることはもちろん理解している。実際に、オランダでは、格差問題(白い学校と黒い学校問題と言われている。白人の多い学校と移民の多い学校では、学力格差が生じている。)がずっと議論はされている。しかし、選択するメリットのほうが多いということで、ずっと維持されているわけだ。しかし、反対論の人たちは、選択による弊害を強調するが、選択できないことの弊害は無視している。もし、公平な立場であれば、双方の弊害を比較考量して、どちらをとるべきかと考えるのではないだろうか。私は、弊害という点では、命が失われる危険があることのほうが大きいと考えた。そして、そうした事実とはまた別に、教育価値という原則から、「教育権の実現」という点で、学校選択を導入すべきだと考えたし、今でも考えている。
久冨氏の論文そのものについては、清水義弘氏やバーンティン氏の著作を読み直してから書きたいので、少し日時をおいてから書くことにする。