日本学術会議に関する情報は、毎日激しく動いている。
10月13日の毎日新聞の記事「首相決済文書に105名名簿添付 6人任命しない政府方針も説明 官房長官」は、非常に不思議なことを書いてある。既に周知のように、菅首相の学術会議会員の一部任命拒否問題に関する答弁が、ふらついているのだが、この官房長官の説明は、驚くべきことだ。菅首相が、6人を含む105人の名簿はみていない、と語ったのは、自分が6人を拒否したのではないという意味なのだろうが、それに対して、6名を拒否するという「政府方針を首相に説明してある」というわけだ。その場合の「政府」とは誰のことなのか。首相が知らない内に、政策が決まる「政府」なるものがあるらしい。つまり、首相を含まない「政府」があって、そこで6名の拒否を決めてあり、それは首相に説明したのだということだ。
いずれにせよ、いかなる意味においても、つまり、菅首相の熱い支持者にとっても、あってはならない事態が起きているというべきだ。
ただし、既に、誰が実際に6名を拒否するという判断をしたのかは、報道されている通りだろう。警察官僚だった杉田官房副長官だと報道されているが、納得できる報道だ。そして、警察官僚が、特定の学者を排除する、実にわかりやすい流れだ。
もし杉田氏が、6名を既に拒否した上で、99名の承認を、学術会議の推薦はこのひとたちですと、首相に説明したのであれば、杉田氏は、首相に嘘をついたことになる。また、杉田氏が、105名の推薦があったが、これこれの理由で、6名は拒否するのが妥当です、と首相に説明したのならば、首相が国民に嘘をついていることになる。杉田氏を「政府」と言い換えてもいいが、いずれにせよ、「嘘」の存在が100%確定したわけだ。
なんとも情けない政府だ。
そして、本日は、突然学術会議新会長梶田氏と菅首相の会談が決まったというので、ある程度の進展を期待したら、まったくがっかりで、梶田氏には、少々荷が重いのかと不安になった。任命拒否の撤回と理由を問いただす文書を渡したが、回答は求めなかったようで、これから回答がくるはずもないと思うのだが。完全にいなされた感じがするのは、私だけだろうか。未来志向で、今後の学術会議の在り方を少し話し合ったというが、韓国の例をみればわかるように、「未来志向」というのは、現在起きている問題をスルーするという意味に、最近は使われている。梶田会長側が使ってどうする、というところではないか。
では、いろいろと批判の対象にもなっている学術会議の活動を、資料に則して知ろうと思い、最後の答申を読んでみた。諮問は2006年6月に国土交通省からなされているので、諮問したのは、小泉内閣のときであり、答申を受けたのが、安倍第一次内閣である。災害対策に関する諮問だった。その諮問に対して、理系と文系の研究者が遣唐使、2007年5月に答申をだしている。そこでは、予想される地震津波、火山噴火、温暖化による気候変動が検討され、国土構造と社会構造の脆弱性と自然災害の影響を検討、そして、その脆弱性の克服と国際貢献に関して、答申をしている。印象的なのは、ハザードマップの整備と周知、津波対策などについてが強調され、地震に関しては、宮城沖地震についてもきちんと触れている。このあと、2011年に東日本大震災と津波が起きるわけだから、適格な答申をしていたことがわかる。私の専門ではないので、政府の自然災害対策の変化と、政府内の審議会、そして学術会議の提言や答申とが、どのように関連しているのかは、まだほとんどわかっていないが、少なくとも、最後の答申の内容を読んでみれば、頷ける内容が多い。たとえば、意外だったのが、携帯電話などに過度に頼ることは、災害時の情報管理に支障をてたす可能性があると指摘されているが、東日本大震災のときに、電話だけでなく、携帯電話も極めてつながりにくくなり、確かに、安否確認等が困難になって、国民の不安が増したという状況が思い出される。現在では、携帯電話だけではなくSNSやメールが普及しているので、5Gなどが本当に普及すれば、かなり改善されるのだろうが、こうした指摘があったことは、注目した。国と自治体の協力関係や防災教育にまで及んでいる。
政府がこの答申をどのように扱ったのかは、現在、私にはまだ把握できていない。しかし、諮問したのが、小泉内閣であり、答申を受け取ったのが安倍内閣で、しかも、このあと一切学術会議には諮問をしていないというのが、政府の学術会議への態度を暗示している。私は、安倍内閣は一貫して防災に対して冷淡で、対応も消極的だったと考えている。この答申を受け取ったときの中央防災会議のメンバーには、安倍首相と、防災担当大臣として溝手顕正、総務大臣の菅義偉が名前を連ねている。答申提出の2カ月後の2007年7月に新潟中越沖地震が発生し、溝手氏は、視察に訪れているが、9月の内閣改造では再任されなかった。こうした一連の動きと、学術会議の答申、そして実際の自然災害の関連は、そして、安倍第二次内閣になっての、学術会議の軽視から、末期における度重なる任命拒否の指向性は、相互に関連しているように思われる。