コロナワクチン 過度の期待は禁物

 世界中で新型コロナウィルスのためのワクチンの開発競争が激しさを増している。いろいろな解説を読めば読むほど、開発スピードの速さに疑問が湧いてくる。通常4年くらいかかると、専門家たちは口を揃えて言っていたのに、年内実用化などという話も出ている。トランプのいうことだから、信ずるに値しないが、しかし、他の国でも早々と実用化できるとしているところもある。だが、常識的に考えてみて、効果や安全性の確認が、そんなに速くできるとは思えないのだ。とくに、日本の場合には、欧米に比較して感染者そのものが少ないので、治験もやりにくいだろうから、日本のメーカーは世界に先駆けてということは、そもそもめざしていないようだ。 

 素人だから、正確なところはわからないが、常識的に考えて、効果や安全性が、短期間に確認できるはずがない。最初は動物実験をしてから、人間に対して治験を行うのだろう。ワクチンだから、抗体を作って、それを人体にいれるわけだが、安全であることを確認するためには、当然十分な期間観察が必要だ。副作用が、数カ月経過してから現われるということもあるはずである。また、いろいろな体質にあうかどうかも確認するとしたら、様々な体質をもった被験者で治験をしなければならないはずだ。
 安全性の確認は、ワクチンを投与してしばらく観察をすればいいわけだが、効果があるということは、どうやって確認するのだろう。抗体が体内にできたからということで、それが自動的に効果があると結論していいとは到底思えない。その抗体が、新型コロナウィルスに対して、本当に抗体として機能するのかどうかは、実際に、感染させてみるのだろうか。実際に感染させてみなければ、本当に効果があるかどうかはわからないはずだが、本当に感染させるような治験をするためには、動物での実験をかなり丁寧に行う必要があるはずだ。専門家は多くが、安全で有効なワクチンを開発するには、4,5年はかかると言っているが、常識的に考えても納得できる。それを1年以内で実用化するというのは、どこかで省略があるに違いない。
 従って、完成したワクチンが現われ、高齢者だから、優先的に投与されうるという事態になったとしても、その気は起きない。数年たって、確実に安全で有効性があるというワクチンができたら、その気になるかも知れないが、もっとも効果的な防御法は、既に生活様式としてだいたい確立している。現時点で、確実にそれを守っているので、感染に不安はない。
 派鳥モーニングショーで、新型コロナウィルスが流行する前、つまり、インフルエンザ対策が話題になっていたときに、ワクチン接種を番組としては呼びかける趣旨で進行していたことがある。ただ、青木氏と玉川氏が対立して、青木氏は別にワクチン必要ない、うったこともないというのに対して、玉川氏は、絶対必要だ、自分は毎年うっていると、双方がけっこう確信的に言っていた。ところが、ワクチンをうったことがない青木氏は、インフルエンザにかかったことがなく、毎年うっている玉川氏は、何度もかかっていると言っていた。その事実からわかることは、インフルエンザワクチンは、あまり効果がないということではないか。にもかかわらず、番組としては、強く勧める内容だったのには、苦笑した。
 私自身は、うったことがない。職場では毎年、希望者全員に機会を与えていたが、私は申し込んだこともないし、近所の医院でも同様だ。ただし、ただ一度だけかかったことがある。そのときには、医者にいって検査して、インフルエンザですと言われて、薬を飲んだが、別にたいしたこともなく治った。医者にいかずに直してしまう人も、少なくない。とくに持病などもなく、一週間安静していれば、だいたいは治る病気なのである。
 ただし、新型コロナウィルスが、インフルエンザと違うのは、かなりきつい後遺症があるらしいということだ。だから、とにかくかからないように、気をつける必要はある。高齢者だから、かかったら大変だということもあるが、逆に、高齢者だから、ステイホームの割合を高められ、不要な外出は控えればいいのでから、気をつけさえすれば、感染する危険性はあまりない。副作用の不安もあるワクチンをうつよりは、3密、マスク、手洗いを厳格実行したほうが、よほど安全だろう。実際に高齢者の感染数は、以前よりはずっと減っている。
 むしろ、政府に望みたいのは、ワクチンよりは、治療薬の開発の推進助成だ。感染を防げるかなどという、かなり困難な課題よりは、治療薬は、かかっている人に投与することで治験できるのだから、効果の確認はより確実にできる。かかっても治療薬があれば、副作用の心配があるワクチンなどなくても、安心なわけだ。現在の方針では、開発が進んでいるイギリスのワクチンについては、免責まで与えて、莫大な費用をつぎ込むことになるのたろう。免責を与えてしまえば、深刻な副作用がでても、自己責任(自国責任?)になってしまう。そんな必要性があるのだろうかとも思うのだが、契約しておくことは、仕方ないのかも知れないが、国民に行き渡るほどの量は不要であると思う。私のように、その気がない人だったかなりいるはずなのだから。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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