女性閣僚の少なさ 既得権保持だからだろう

 数がたくさんいれば良いか、という問題はさておき、数値で見る日本の「民主主義度」というのは、たいていが低い。今回は、とくに、女性の閣僚がわずか2名しかいない点に、とくに海外では批判が強まっているという。安倍内閣が、女性の活躍などを表面的なスローガンにしていたが、実際には、政治の世界で女性が活躍した印象はあまりない。私が、この3月まで所属していた学科は、教員の男女比が同じである。大学としては、かなり珍しいと思うが、問題など全くなかった。人口の約半分は女性なのだから、労働現場においても、また、管理的仕事においても、ほぼ同数存在していることが、自然であることはいうまでもない。かつては、女性は結婚・出産を機に家庭にもどり、子育てが一段落したら復帰するという、M字型就労が、押しつけられる感じだったが、さすがに、現在は、企業が露骨にそうするように圧力をかけることは、少なくなっているだろう。大学生も、以前は、女子学生は卒業後、就職せずに、結婚して家庭に入る者も少なくなかったが、最近ではそういう意識をもっている者は、ほとんどみかけない。

 そういうなかで、政治の世界、とくに国会や内閣の女性の割合の少なさは、際立っている。今回の菅内閣でも、結局、2名しか大臣として選出されなかったわけだが、ある新聞には、女性の国会議員が少ないのだから、仕方ないと書かれていた。しかし、これは、非常におかしな議論だろう。何故ならば、大臣は、数の制限はあるが、国会議員である必要はないからだ。国会議員に大臣として有能な人材がないのならば、民間から採用すればいいのだ。
 かつて、民間人閣僚がどのくらいいたのか。ウィキペディアによると、24人いた。そのうち女性は6人である。戦後平均でも、今回よりも女性の割合が多い。21世紀に限定すると、7人中3人が女性である。(川口順子・遠山敦子・大田弘子)戦後全体としても、女性の割合は、菅内閣よりもはるかに大きいし、21世紀では半数近くが女性なのだから、女性閣僚を選ぶプールが小さいから無理なのだ、という論理は成立しないのである。要は、女性の力を当たり前に活用する意識があるかどうかだ。国会議員という既得権の維持を当然視しているから、女性の登用が進まないのである。
 ではクオーター制を採用すればいいのだろうか。私の知る限り、議員でクオーター制を導入している国は、比例代表制がほとんどだ。比例代表制は、党としての一括の名簿になるから、当選順位を男女交互に決めることで、実質的なクオーター制を無理なく実現しやすい。しかし、小選挙区制の場合には、男女の割合を決めることは、難しいだろう。候補者レベルでは可能でも、当選はまったく別になる。ここでも、比例代表制のほうが、民主主義的であることがわかる。
 日本で、現在の制度でクオーター制を導入することは無理だろうし、それよりは、女性が政治参加しやすい環境を整えることだろう。閣僚は、本当にその分野で力を発揮できる人材が大臣を務めることが重要だから、クオーター制がなじむとは思えない。しかし、今回の組閣に関しては、菅首相がいうように、既得権等に縛られた人選ではないというのは、納得できないところだ。与党の国会議員から閣僚を選ぶことを徹底している。お友達政治と言われた安倍内閣では、第一次内閣の最終盤で一カ月だけの大臣として増田寛也氏が総務大臣になっているだけだ。増田大臣は、その後の福田内閣でも総務大臣を継続したが、その後は民主党内閣で民間人閣僚がいたが、第二次安倍内閣ではまったくいない。つまり、国会議員であるという「既得権」の護持として、国会議員からのみ閣僚を選んできたのが、安倍長期政権であって、菅内閣もそれを引き継いでいるといえる。本当に、適材適所で、改革を進めるならば、民間人の力を借りることは、大いに推奨されることだし、女性の活躍を促すことも、民間人を活用することで実現できる。本日政務三役が発表されたようだが、派閥をかなり考慮しているように見える。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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