すっかりステイホームの生活が身についてしまったので、それではいけないと、ときどき妻とドライブに出かける。1月ほど前に、埼玉の観光案内で見て、忍城に行った。ところが、途中渋滞に巻き込まれ、着いたときには既に入館時間を過ぎていた。我が家からはかなり遠いのだ。しかし、コンクリート建てだが、なかなか素晴らしい三層の建物があってよかったので、ぜひもう一度と思っていた。それで昨日、再び忍城(埼玉県行田市)を訪れ、今回はじっくりと博物館を見学した。忍城はなんといっても、石田三成の水攻めで有名だが、江戸時代を通じて、親藩・譜代の代表的大名が居城としていたとたろで、特に戦国時代から、江戸初期には、名城のひとつだったそうだ。近くに、埼玉古墳群があり、そこも去年見に行ったので、なかなか歴史好きには魅力的なところだ。
これは、どうしても、この三成水攻めを描いた映画「のぼうの城」を見なければと思い、本当に久しぶりにレンタルビデオで借りてみた。
秀吉の有名な高松城水攻めの場面が、プロローグのように挿入され、そこで石田三成が、いつかこんな戦争をしてみたいものだと呟く。
秀吉の小田原北条攻めが始まり、三成は、北条方の忍城を攻撃する司令官に任命される。ここらは、史実だが、実際の話になると、史実と言われることとはかなり違うような展開になっていく。
まず、忍城の城主成田氏長が、小田原城で闘うように呼び出しがあるが、出かけるときに、秀吉と内通するから、闘うな、ただし内密にせよと家来たちに言い残していく。ところが、家臣の一部が城にはいってくる農民に、内通を話してしまい、一時混乱するが、城代になった成田長親が、降伏の勧めにやってきた長塚正家の態度に腹をたて、決戦を決意してしまう。ここらの事情は、史実というよりは、創作だろう。
闘いが始まると、地の利を活かした籠城組が優勢なので、三成が水攻めをするといいだし、堤防を築き、城が本丸を残して、水没する。敗北濃厚という感が濃くなって、長親は、あたらしくできた湖に舟で漕ぎだし、そこで、田楽踊りを舞う。敵も味方も、武士も農民もそれにすっかり魅了されるが、三成の命令で長親は鉄砲で討たれてしまう。敵についている農民に訴える長親の策略で、その効果か、農民の一部が堤防として摘んだ土嚢を外し、逆に堤防を決壊させて、水を退かせてしまう。
最後の決戦かというときに、小田原城の降伏を知らせる使者が到着して、闘いが終わる。その後、開城をめぐる話し合いがなされ、開城する。北条方で最後まで残ったのが忍城だけであることが、三成によって忍城側の武士に語られる。
映画の感想だが、正直、あまり面白くは感じなかった。以前みた「清洲城」に近い感じといえばよいか。大きな実話の歴史的場面を描きながら、かなり史実とはことなるコメディータッチの場面がたくさん挿入される、時代劇というよりは、エンターテイメント映画だ。そして、この手の映画では、必要な要素なのだろうが、あまりにリアルさと離れた映像が出てくるのが、かなり興ざめだ。例えば、堤防が完成し、水を流し入れると、津波のように、水が襲いかかり、建物が壊されていく。川の堤防を決壊させて、水を人工的なくぼみに流し込むわけだから、少しずつ水が溜まっていくというのが実際であり、それ以外はありえないのだが、まあ、映画をみている人に飽きさせないためだろう、ものすごい洪水が城を襲う。
また佐藤浩一演ずる正木丹波守と山田帯刀が一騎討ちをする場面があるが、源平合戦じゃあるまいし、馬に乗った二人が互いに名乗りあったあと、馬を進め、近づいて槍を一突きするような決闘、しかも、そこで山田帯刀の首が飛んでしまうという場面がある。なぜあんなどぎつい場面を、しかも、実際にはありえないような形を挿入したのか、と疑問に思ってしまうわけだ。
ただ、戦国時代の武蔵の国の風景なのだろう、と思わせる情景が、実写とCGでほんものらしさを出している。実写だけで、大きな農村風景などを撮影できる地域が、現在の日本には存在しないだろうし、とくに、そこに何万もの人が動く場面などは、CGでどれだけリアルなイメージを作れるかだろう。
文句なく素晴らしかったのは、野村萬斎演じる長親の田楽踊りだ。これは、プロ中のプロが演じるわけだし、この場面があるからのキャスティングだろう。
それから、感想などを読んでもあまり出てこないが、武士同士が、お互いにかなり率直に意見を言い合う場面が出てくる。下級武士が上級武士に対して、常に受け身で命令を受けるという関係ではない。戦国時代は、なんといっても実力主義の時代なので、こうしたことが実際だったのだろう。だからこそ、上にたってまとめるには、大変な力量と影響力、カリスマ性が必要だったわけで、それがないと、下克上になりかねない。また、下の者の意見も正しければ、受け入れる度量がなければ、ついてこない。そういう雰囲気がよく出ていて、現在の停滞した組織への痛烈な批判にもなっているように感じた。