菅政権は期待できるか

 菅現官房長官が、自民党の新総裁、つまり総理大臣にほぼ決まりなのだという。安倍首相が退陣表明したあと、それまで極めて低かった支持率が急上昇したというのも、日本人というか、あるいはマスコミの甘さを感じる。これは、普段は安倍内閣に批判的なコメントが多いヤフコメでも、退陣する安倍首相への批判的文章を書いた人に、非難が集まっていたことでわかる。しかし、私の見る限り、あるいは悲愴な決意で振る舞っていたということなのかも知れないが、一時は確かに悪化した症状も、新しい薬の投与でかなりおさまったのではないかという印象だ。だから、新総裁が決まるまでは仕事をすると表明していたし、1時間の記者会見中でも、不安な様子は見せなかった。だから、本当に病状の悪化によって退陣したのではなく、それは改善したが、タイミングがいいので、退陣した。あるいは政権を放り出したというのが、真相だろう。そういう意味では、安倍政権の検証は、厳しく行うべきである。

 安倍政権の特質はいろいろとあると思うが、そのひとつに「おまけで誘導」という手法が、目立っていると思う。消費税の引き上げに際して、ポイント還元を実施したり、マイナンバーカードもポイントで釣っている。ある特定の政策に関しては、一般的には適切な措置だが、それを「お友達」に優先的に回す。(森友・加計問題)しかし、あくまでも「おまけ」であるところがみそであり、公的にきちんと保障することはしない。コロナにおける保障などがそうだ。
 こうした政治手法を支えてきたのが、菅官房長官だろう。むしろ、もっと突出しているかも知れない。菅氏がテレビにでて、これまで自分がやってきたことを語っていたのをみたときには、ふるさと納税システムを自分が作って、発展させてきたと、自慢げに語っていた。だが、菅氏がつくったという「ふるさと納税」こそ、「おまけ」主義の最たるもの、そして、絶対にやってはいけない「おまけ」の形である。多少原則的だが、基本的には似たような政策が、携帯料金の値下げ指示などがそうだ。
 ふるさと納税というから、当然「税金」の納付である。納付先を選択できるというのが、斬新なわけだが、そのシステムを盛んにするために、お礼を可能にした。そして、あまりに酷いお礼の実態が生じてしまったので、極端なお礼をしている自治体を対象から外すなどしたが、裁判で敗れてしまった。お礼の割合の限度を下げるなどしているが、そもそも、お礼というシステムがおかしいと言わざるをえない。
 納税してくれた部分を、特産品などのお礼を出すというのは、納めた税金の一部を換金することだ。もちろん、税金は、社会のために使うものであって、社会に還元することは当然だが、納税者個人に「お礼」をするものではない。そんなことをすれば、お礼ほしさに、ふるさと納税する人が続出することは、必然的に生じるのであって、実際そうなった。せっかく納められた税金も、かなりの部分がお礼にして返され、そのための事務にかなりの資源が使われるはずである。そして、他方、本来納税されるべき自治体では、その分の税金が入ってこないことになる。こんな不合理なシステムがあるだろうか。もちろん、そういう批判が担当官庁でもあったが、総務省の担当者が、菅官房長官に、制度の問題を指摘したところ、その人は干されてしまったという。これでは、本来好ましい政策も、どんどん歪んでいく。
 これが、安倍政権の次の問題につながっていく。
 安倍氏にしても、菅氏にしても、首相になって何をしたいのか、よくわからない人だった。多くの人がそう指摘している。それは、政策について勉強しないということと裏腹である。安倍首相が、政策についてきちんと勉強しているとは、とうてい思えなかったが、そういう人は、誰かにまる投げする、批判を権力的に退ける。歴史が示していることである。そして、権力的な統制は、当然メディアにも向かうことになる。政策担当者だけ、批判を圧しても、メディアが声をあげたら、都合が悪いからである。
 自民党が昔から、メディアに対する圧力を、今のように強力にかけていたわけではない。それを細かくやりだしたのが、小泉首相と言われている。自民党に触れたテレビ番組を全部録画して、それをチェックし、批判している番組に圧力をかける。うわさの域をでないが、久米宏がニュースステーションの担当を下りたのは、そうした圧力があったと言われた。しかし、私の記憶するところでは、そうした人事にまで介入することはあまりなく、個別の番組への注文のような形だったと思う。そうしたメディア対策を強力に押し進めたのが、安倍内閣である。圧力で辞めた人は、かなりに昇るのではないか。私がけっこう楽しみに聞いていた荒川強啓のラジオ番組も、極めて不自然な形で終了になったが、多くの人は、政治的圧力であったと感じている。もちろん、安倍首相や菅官房長官が直接、あの番組の担当者を降ろせとか、あるいは番組をやめさせろなどとはいわないだろう。しかし、頻繁に大手メディアの幹部と食事をしているのだから、そこで匂わせるだけで十分である。
 そうしたメディア対策の中心にいたと考えられるのが、菅氏なのだから、菅首相になれば、メディアに対する圧力が強まることは、十分に予想される。菅氏の記者会見をみていると、(安倍首相もそうだが)ほとんどまともに回答していない。肯定的なことについては、それなりに話しても、批判されると、「それは当たらない」程度で済ませてしまう。まともにメディアに対応する気がないのだろう。
 要するに、ふたりの政治家は、かなり似た者なのである。
 まず、権力を握って、何か自分の理想とする社会を構築したいという政治家ではなく、権力を維持すること自体が目標となっている政治家である。だから、そういう裏技的な政治力は極めて長けている。しかし、それは忖度を生み、政治家や役人の劣化が生じる。大企業の劣化も見逃せない。ドコモ口座のセキュリティ問題は、明らかに経営者としての劣化の表れである。これはムチの側面で、これが安倍内閣、そして後継者菅氏の基本的な性質である。
 しかし、それだけでは、現代の国民を納得させることはできない。アメが必要だ。このアメが、「おまけ」的で矮小なのが特徴だ。基本的に自己責任の立場だから、お友達や特定の分野に限定したアメを用意する。それがある分野の「値下げ」であり、ふるさと納税の「礼品」の許可なのである。必要なのは、おまけではなく、格差の是正であり、そのための再分配政策である。
 日本社会全体の劣化が進んでしまったことは、後年厳しく検証されるだろうが、とにかく、来年もう一度総裁選があり、また今年なかったとしても、必ず総選挙がある。
 菅氏に特別な政治理念がないということは、国民の声が強ければ、それを実現するべく努力するということでもある。国民の責任も大きいのである。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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