久しぶりに鬼平について書きたくなった。鬼平のドラマを見ることができるサイトの契約をとめてしまったので、あまり書かなくなったのだが、小説は、何度も繰り返し読んでいる。小説にしても、ドラマにしても、鬼平が大変な剣術使いで、ドラマでは必ず最後は平蔵が切り合いの先頭にたって、盗賊と闘う場面になる。実際にこのような切り合いは、ほとんどなかったそうである。町奉行や火付け盗賊改めが捕縛にやってきたら、ほとんどは抵抗もせず、大人しくお縄についたと、歴史書には書かれている。それでは時代劇として面白くないから、切り合いをいれるのだろう。
小説やドラマでは、更に、平蔵が襲われたり、あるいは騙されて、盗賊の集団に囲まれ、あやうく命を落とすという場面がいくつかでてくる。そのなかでも、もう一歩援軍が遅れたら、確実に死んでいたという場面もいくつかある。
「兇剣」「血闘」「兇賊」「鬼火(危急の夜)」などだろう。他に、剣客に襲われて危機になる場面もあるが、それは今回省こう。
「兇剣」では、休暇のような感じで職を免じられた平蔵が、亡夫の墓参りのために京都に赴くが、そこで盗賊の一味を捉えたあと、ゆっくり愛宕山参詣にいった帰りに、盗賊に追われているおよねを助ける。その後、およねを加えて、京都奉行の同心浦部彦太郎、江戸から供をさせてきた木村忠吾の4人で奈良見物にでかける。およねは、実は盗賊の首領である高津の玄丹が、大阪町奉行同心の稲垣鶴太郎を殺害する現場を、隠れていて見てしまう。そして逃れているところを平蔵と忠吾に助けられたのだ。やがて手下の報告によって、平蔵がおよねを匿って奈良にいくことを察知した玄丹は、刺客を十数名も送り込み、平蔵と浦部を襲う。平蔵は、およねの祖母を守らせるために、浦部に馬で突破させるが、一人で10人くらいを相手に、さすがに討たれそうになる。その危機一髪を、剣友の岸井左馬之助に救われる。いかにも小説的な場面だ。
この章では、平蔵はかなりの判断ミスをしている。だからこそ、小説として盛り上がるわけだが、普段の平蔵からすると、考えられないような甘さだ。およねを保護したあと、いろいろと尋ねるが、一向に自分のことを語らないおよねを、明らかに盗賊風の男に追われて、殺されそうになっているにもかかわらず、追求せずに奈良につれていくことになる。一時は、奉行所に預けることも考えるのだが、つれていってくれというおよねの言葉を、そのまま受け入れている。つれていってやるが、これまでのことを話せ、というぐらいのことは、当然いうべきだろう。しかも、それまでにもあとをつけられているのだから、かなりしつこく追われている異常を感じるはずである。また、木村忠吾に浦部を迎えにいかせる際にも、尾行に注意せよということすらいっていない。結果、二人が尾行されて、宿を突き止められ、奈良に出発するところを見られて、あとをつけられてしまうのである。そして、あとをつけてきた盗賊の一味を捉えたあとも、ちょっと目を離したすきに、舌をかみ切られて自殺されてしまう。そのあと、さすがにおよねが高津の玄丹のことを話しているのに、たいした警戒もせずに、浦部と二人で奈良に向かい、結局襲われてしまうのである。
「血闘」は、自ら密偵になりたいといってきたおまさが、以前知っていた盗賊に、火付け盗賊改めの密偵になっていることを見破られ、誘拐されてしまう。おまさの部屋に様子を見に行った平蔵が、おまさのかきつけを発見し、誘拐犯たちの隠れ家が書かれていたので、役宅に知らせを頼んで、みずからその隠れ家に急行する。いくら待っても応援がこないので、一人で乗り込み、おまさが凌辱されている場を突き止め、何人か切るがやがて勘づかれ、大勢に囲まれてしまう。そして、間一髪というときに、役宅から与力同心たちが馬で駆けつけ、九死に一生をえることになる。知らせを頼んだ由松が、途中で馬に蹴られて失神し、知らせがつくのが遅れてしまったのだ。
「兇賊」は、これらと違って、平蔵を葬り去るために、大がかりな仕掛けで、平蔵を追い詰めた話である。「霧の七郎」「あばたの新助」と連続的に平蔵の暗殺を企てた網切の甚五郎が、二度の失敗に懲りず、大村という高級料亭を乗っ取り(働く者をすべて殺害)、そこに大身旗本からの相談があるということで、平蔵を呼び出し、これも平蔵を追い詰めるわけである。ここで、甚五郎が、親を若き平蔵に殺されたことで、親の敵を討つという目的もあったことが知らされる。たまたま北陸で甚五郎たちの平蔵殺害計画を耳にした、ひとりで盗みしつつ、居酒屋をやっている九平が、たまたま客にきた平蔵を気にいり、甚五郎たちの動静を探っているうちに、大村に出入りしていることを発見し、伊三次に捕まって、逆に危急を知らせることで、救援隊が向かったわけである。ここでも、平蔵の判断の甘さが何カ所か出てくる。
九平の居酒屋で飲んだあと、あとをつけられていた平蔵が辻斬りにあい(これも甚五郎の手下)、平蔵に好感をもった九平が、役宅まであとをつけていく。「おやじご苦労」といって、なかに入るのだが、翌日直ぐに、九平を探してくるように命じるのだ。なら、何故あとをつけて役宅まで来た九平をその場で捉えなかったのか。まったく知らない旗本から、相談があるからと呼び出され、そのあと何の疑問ももたずに、のこのこ出かけていくというのも妙な話だ。まあ、そうした甘さがないと、ドラマチックな平蔵の危機がもたらされないわけだから、小説の技法だといえばそうなのだが。
「危急の夜」は、連続ものの「鬼火」の一章で、捜索に乗り出した平蔵を、籠に乗っていく途中に、数人で囲み、駕籠かきも殺害してしまう。籠のなかにいる平蔵は、絶体絶命の危機になるが、そのときたまたま、飲みに出かけた中間たちが、異変に気づいて大声をだしたので、その隙に素早く這い出した平蔵が、闘える体勢に持ち込むことができたという話である。この場合は、捜索の始めの段階だったので、ここまで組織的に襲ってくるとは思わなかったというのも不自然ではない。
さて、ここからが本題である。江戸町奉行は、現在の都知事にあたるだろう。従って、火付け盗賊改めは、警視総監のようなものだ。そういう立場にある人、しかも、旗本といえば、列記とした殿様が、ひとりで出歩くだろうか、という疑問だ。小説では、心配をする与力同心たちが、身辺警護をつけるべきと進言するが、平蔵は聞き入れない。それで頻繁に襲われる。さすがに10人以上に囲まれると危機的状況になるが、数名の場合には、相手を切り倒してしまう。しかし、実際には、どんなに剣の名手でも、武士と切り合いになれば、2人を相手にして勝つことはほとんどできないとされる。3人以上の相手なら、確実にきられるだろう。忠臣蔵で、赤穂浪士たちに死者が出なかったのは、かならず2人1組で行動したからである。長谷川平蔵は、常に自ら捕り物に出かけたわけではないが、ときには自分も出張ったという。しかし、夜もひとりででかけて、頻繁に襲われたが、剣の術で切り抜けていた、というのは、やはり、ドラマの世界だろう。