矢内原忠雄と丸山真男15 矢内原の信仰の一側面

 矢内原がいかに苦境にたっても、信念を貫き通すことができたのは、彼の強烈な信仰とそれに基づく使命感のためだったことは、間違いないところだ。「日本精神の懐古的と前進的」という天皇の神性否定の論文を書いたり、「神の国」という講演で、「ひとまずこの国を葬ってください」と述べたのは、キリスト教徒としての信念の発露だった。他方、研究者としての矢内原は、極めてマルクス主義的であり、当時の最も批判意識の強い社会科学者としての立場をとって、実証的な研究を貫いていた。これほど強烈なキリスト教信仰と、マルクス主義的な研究スタイルをあわせもっていた人は、世界にも稀なのではなかろうか。そして、この点には、矢内原自身が触れているが、他人からみれば、なかなか理解しにくいところだ。この点は、今後考察していくことにするが、キリスト教徒ではない私からすると、やりは、矢内原の信仰からくる解釈には、なかなか了解しにくいところがある。そのひとつが、満州旅行中の匪賊に襲われたときのことだ。

 矢内原は、満州問題研究の第一人者であり、実地調査もしている。明確には書かれていないが、おそらく調査のため、1932年8月に満州旅行に出かけた。ところが、その前に鉄道を「匪賊」が襲う事件が起きており、かなり心配された雰囲気であった。破壊された部分の線路の修復が済み、列車が動くということで、予定通り新京からハルピンに向かうことになった。そして、旅館の番頭に、乗車券と座席券を購入するように頼むのだが、「座席券は不要でございましょう。座席券のいらない車室もありまして、どちらも変わりありません」と番頭は言って聞かない。当日の朝、自分が早くいって、切符を購入するから大丈夫だという。そして、当日、駅についてみると、番頭が乗車券をとっており、そこで、同行予定の人とあうが、彼は座席券を入手している。そこで、再び、番頭に座席券を購入するようにいうのだが、動こうともしない。仕方なく、不満ながら、座席券の要らない客室に入る。その前に、見送りにきた友人が、万が一のときには、内側から鍵をかけておくがいいと忠告してくれた。
 そうして、走り出すと、100人くらいの匪賊に襲われ、かなりの客室で強盗行為や殺人が起きた。座席券の必要な、つまり裕福な人たちが乗っている車輌では、ほぼ全員が襲われたとされる。しかし、矢内原の乗っていた客室は、鍵のためもあるのか、ノックされた程度で、そのまま通りすぎ、まったく被害がなかったという。この事件は、日本国内で大きく報道され、その列車に矢内原が乗っていたことは、広く知られていたようで、矢内原が殺されたという噂も広まったという。帰国後問い合わせが殺到したので、『通信』という個人雑誌を月一回発行することで、伝達の役割を果たすようになったが、そのきっかけとなった事件である。ちなみに、矢内原辞職の原因のひとつとなった「神の国」という講演は、『通信』の最終号に掲載され、辞職をもって廃刊となり、あたらしい雑誌に模様替えした。
 さて、この事件について、当然『通信』の第一号に矢内原自身が、顛末を綴っている。事実は以上だが、何故自分が助かったのか。運がよかったとか、自分が道徳的に優れているとか、そんなことではないと否定し、以下のように書いている。
 
 「神様は私に見どころがあるとして、私自身の値打ちの為に私をお守り下すったとはどうしても思へません。只私は神様を信じ、キリストの救ひを信じてきました。そして神様は信ずる者をすてないと約束して居られます。只信仰の故に而も信仰の強い弱い大きい小さいといふことで無く、兎に角平生信仰を持ち続けるといふそれだけの事で、神様は信ずるものを守って下さる。」
 
 こうして自分は神によって守られたのだという。キリスト教徒なら、なるほどと思うだろうが、矢内原を尊敬している私ですらも、この内容には、納得しがたいものを感じる。この事実説明を聞けば、まず「番頭」はなぜ、座席券の購入をあれだけ拒んだのかと、考えを巡らせるだろう。結果をみれば、番頭の頑なな態度が、矢内原と友人の命を救ったわけである。にもかかわらず、矢内原自身は、この番頭のとった行動について、何らコメントしていないのだ。頑なに座席券を購入しないので腹をたてたとのみ書かれている。そして、この事件で、矢内原に起きたことは、矢内原自身のこの文章しかないと思われる。だから、想像するしかない。
 では想像してみよう。ふたつの可能性が考えられる。そもそもこの番頭が日本人なのか、満州人なのかよくわからない。どうやら事情に詳しそうなので、現地の人間であると仮定してみよう。
 第一は、日本は、満州に進出しようとしていることは明らかで、日本人に対して内心不満をもっており、わざわざ日本人のために、いい座席などとってあげたくなかった。粗末な客席でいけばいいと思っていたので、強情な態度をとった。
 第二は、この日本人は非常に紳士なので、共感した。しかし、匪賊の襲撃で大きな惨禍があったばかりで、今回もその危険性は去っていない。とすれば、金持ちの乗る車輌は危険だから、安全な車輌に乗るように守ってあげよう。その方が襲撃があっても、助かる可能性が高い。そういう配慮をした。
 前後の状況からみれば、私は後者の可能性が高いと思う。それにしては、矢内原はこの番頭の措置に感謝する気持ちをまったく表現していないのも妙だ。また、矢内原は、なぜチケットを入手するのに、自分の意思を無視する番頭に最後まで頼んだのだろう。矢内原は、民間企業に勤めて、極めて事務能力の高い人物であり、そういうことを厭うことはなかったはずだ。結局真相はわからないが、偶然の重なりと、おそらく番頭の機転で、匪賊に襲われたにもかかわらず、矢内原は無事だったわけだ。
 そして、これ以降、矢内原の生き方に根本的な変化が現われる。満州への日本の進出への批判を明らかにしていき、更に、軍国日本の政治に容赦のない批判を重ねていく。少し前に、内村鑑三が死去しているので、矢内原はおそらく預言者的生き方を引き継ぐ決意をしたのであろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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