勝田守一著『能力と発達と学習』は、私にとって、戦後最高の「教育学概論」「教育学入門」の書であり、いつかこれを越える『教育学』を書きたいと、ずっと思い続けて、なお果たせないできた高い峰である。しかし、若い世代にとって、勝田守一は、ほとんど過去の人であり、検討に値しない教育学者と考えられていると聞いたことがある。神代氏が「勝田の教育学は、「発達」や「子ども」を無謬の前提として、あらゆる社会的要請を無視するものであるかのように言われる」と書いていることからもわかる。そういう世代であるにもかかわらず、『教育』編集部の依頼に応えて、この決して読みやすいとはいえない本の「現代的意義」を論じるという、あまり気乗りのしない仕事を、果敢に引き受けられたことには、敬意を表すべきだろう。
しかし、やはり、勝田に共感していないせいか、私には、とうてい納得できない読み方をしているように感じる。
(1) 最初に、総括的結論が示される。「あまり面白い本じゃない。」「いま流行りの教育論を素朴にしたような感じで、はっきり言って新味がない。」
私には、この上なく「面白い本」だ。確かに、読みやすい本ではない。それは、当時勝田が格闘していた時代の課題に、ああでもない、こうでもない、と様々な議論をひとつとひつ吟味しながらは、ジグザグに論じているからだ。しかし、その姿勢は、真剣に問題に向きあう上で、絶対に必要なことであり、単純に結論をだせば、読みやすいかもしれないが、正しい命題を引き出すことなどできはしないのだ。読みながら、勝田が格闘している過程に合わせて、自分も同じ課題と対決する姿勢で読めば、非常に面白いのである。
「新味がない」と書いている。神代氏は、教育論の古典を誤解しているのではないだろうか。優れた教育論は、プラトンの昔から、ずっと「同じ課題」を追求してきたのである。「あるべき人間とは何か、そういう人間に育てるには、どうしたらいいのか」これである。プラトンにとっては、民主政を正しくリードできる哲人政治家を育てることであり、ロックは、ジェントルマンを、ルソーは、市民社会で自立的に生きていける人間を、そして、世阿弥は、優れた能役者を育てるために、その書物を書いた。異なるのは、社会的、政治的、経済的背景の下で、そして、所属する階級、階層、職業を前提として、どんな人間像なのか、どういう手段・方法で育てるのかが、違っているだけなのだ。だから、そうした時代的課題を抜きにして、教育論を読んでも、その真意を読み取ることはできない。「新味」などを、教育論の古典に求めることは筋違いである。
では、勝田は、どのような課題に取り組んだのか。
連載されたのは、1962年から3年であり、著作として出版されたのは、1964年だ。私は、1964年、オリンピックの年に高校に入学したので、勝田が取り組んだ課題を背負って、学校教育を受けた団塊の世代である。では、どういう時代だったのか。
1950年代の終りに、学習指導要領の「法的拘束力」が宣言され、特設道徳が始まった。そして、教科書検定が強化され、全国学力テストが実施された。1963年に、経済審議会から、「経済発展における人的能力開発の課題と対策」という答申がだされ、科学技術の発展に対応する教育が要請され、ハイタレントとそれ以外を選別して教育する「多様化政策」が、文部省によって押し進められていた。団塊の世代が受験をする時期となり、空前の受験地獄が現出した。そして、高校全入運動が提起され、進学熱が高まっていた。国際的にみれば、DNAが発見されて、遺伝学が進展し、知能テストの使用が盛んになって、人間の知能は遺伝的に決まっているかのような学説が唱えられていた。
そういうなかで、それぞれ提起される政策、親や子ども、教師の要求に、どのような理論で実践していけばよいのか、それが勝田が取り組んだ課題なのである。そうした課題は、具体的に書かれている。だから、単に、勝田の論を「形式的」に受け取っても意味がなく、「新味」があるかどうか、などということは、この著作の価値とはまったく関係がない。
(2) 神代氏が「新味がない」と結論づけたのは、それこそ今流行りの「コンピテンシー論」を素朴にしたのが、勝田の論だということだ。要するに、勝田の能力論と、OECDのコンピテンシー論は、よく似ているという。確かに、似ているだろう。そもそも、教育論は、いつの時代でも、根本的には同じことを論じているのだから。しかし、時代的課題が異なるだけではなく、コンピテンシー論と勝田の能力論は、論じる立場が異なっている。OECDは、先進国の経済を活性化させるための組織であって、ILOではない。もちろん、OECDはコンピテンシー論を構想するにあたって、労働者組織、被雇用者の立場を含んで検討しているが、しかし、基本は経営者の立場である。そういう意味で、経済審議会の答申こそが、コンピテンシー論と対応している。勝田は、将来資本家や支配的政治家になる子どもも中にいるとしても、基本は、労働者になる子どもを中心として、その能力や発達を考えている。だから、同じ労働現場を考えていても、考える視点は同じではない。それが端的に現われるのは、「科学を学ぶ」という点だろう。多様化政策では、ハイタレントは、高度な数学や科学を学ぶが、ロータレントには不要だという立場なのである。だから、それをわける選抜が大きな問題となるし、また、現実に入試をどう考えるのかは、勝田にとっても重要な立場になるが、その結論はまったく違うのである。コンピテンシー論といっても、実はOECDだけではなく、様々な国や組織が提起していて、同じではない。ただ、多くのコンピテンシー論が、選抜の問題をからめているわけではなく、ロータレントは、コンピテンシーが不要だといっているわけでもない。しかし、私が様々なコンピテンシー、リテラシー論を読む限り、すべての者に必要だという確固たる立場を表明しているものは、出会っていない。やはり、コンピテンシー論が出てきた背景として、先進国がその地位を保持するためには、高度な知識基盤社会を築く必要があり、そのための高度で幅広い、必要なコンピテンシーを育てる「エリートのための教育」が必要だという構成になっている。神代氏は、コンピテンシー論と勝田論の違いは、勝田のほうが「繊細」だという点にあるというが、それは違いの指摘になっていない。神代氏は、勝田が発達や子どもを無謬性で捉えられているという、勝田に対する皮相な見方を排し、勝田が「特定の社会像を念頭に、そこで要請される能力や人格を育てることを構想している」と的確に指摘していながら、勝田とコンピテンシー論の、社会像、時代的課題、立場性の相違には、あまり注目していないように感じる。
(3)次の問題は、勝田の発達論に対する見方である。神代氏は、勝田の発達論を、ヴィゴツキーの最近接領域論に集約して解釈しているようだ。もちろん、勝田はそうした立場にたっているが、勝田の発達論の最も重要な要素は、「発達という視点から見る」という概念である。この点については、『能力と発達と学習』において、詳細に論じられている。乱暴にいえば、本書全体が、「発達という視点で見る」とは、どういうことなのか、「発達という視点を欠いた」見方は、どういうもので、何故間違っているかを論じているのである。勝田は、原則的なことを4点にまとめている。
・進化論的な見方をとる
・発達は、主体と環境との相互作用の成果として捉えられる
・発達は連続的であると同時に非連続的である。・・行為は常に発達の可能性にもとづいて質的に変化する
・諸条件の複合の結果は、つねに全体状況を変様する
勝田が何故知能を問題にしたのか。それは、知能は遺伝的に決まっていて、生涯変わらないという「学説」が、当時まだ勢力をもっていたからである。何故、受験を問題にしたのか。それは、高度なことを学ぶのは、一部のハイタレントでよく、それを効率よく選ぶことが大事だという政策が押し進められていたからである。また、パブロフやスキナーのように、学習を固定的に捉える心理学の影響を克服する必要もあった。こうした「説」を乗り越えるためには、「発達という視点」で見る必要があり、また、その視点にたってこそ、すべての者が学ぶ条件とその必要性が明らかになってくる。単純に考えても、数学がよくできる生徒と苦手な生徒がいる。発達という視点にたたないと、その認定で終わってしまうが、「発達という視点」で見ると、もっとよくできるようにするには、どうすればよいか、この生徒が苦手なのは何故か、どうやったら克服できるか、今わかっていることはどこまでで、その先をどう理解させるか、等々の課題が出てきて、教育や学習を進める道筋が明らかになってくる。
神代氏は、勝田の能力が「労働」の能力であると解釈している。それはもちろん正しい。しかし、この「労働」する人は、国民全体という意味である。本当に、国民全体が難しい科学や数学を学ぶ必要があるのか、そもそも可能なのか。神代氏が指摘するように、「天井知らず」という空想的なことを勝田が考えているのではないにせよ、国民全体が学ぶ必要はないという見解をもつ人も、実際には少なくないなかで、それを可能にするための視点が、「発達という視点」が、必要条件となっていることを、見落とすべきではない。
勝田の発達論は、単なるヴィゴツキーの応用や焼き直しなのではなく、「発達という視点」に立たない理論との格闘だった。その点に神代氏が眼を向けていないようなのは、大変残念である。
まだまだ書くべきことはあるが、あまり長くなるので、またの機会にしたい。最初にも書いたように、読みやすくない本書の論評を引き受けたことには、おおいに敬意を表したい。しかし、「古典」(いってよいだろうと私は考えている)を読むということは、著者の格闘を追体験することであるが、その姿勢に欠けていると、私は感じざるをえなかった。勝田守一は、再建教科研の中心メンバーであり、その死まで、常に教科研の理論構築のために奮闘した偉大な教育学者である。きちんとした批判は、敬意の表現だと思うが、「新味がない」とか、「流行りのコンピテンシー論と似ているが、自分はコンピテンシー論に批判的なのが」問題なのだ、などという表現には、敬意とは反対の表出を感じてしまうのが、非常に残念である。