海外メディアの拠点が、東京でなくソウルへ

 7月から8月にかけて、ニューヨークタイムズやCNNのアジアにおける報道拠点が、香港からソウルに移転すると発表されている。香港における規制が強化され、自由な報道が不可能になりつつある状況で、他の地域に移転することが検討され、東京も当然その候補であったが、ソウルになったという。私の記憶する限り、CNNのアジアの拠点は、当初東京だったと思う。私は、ごく初期からスカパーの視聴者であった。ディレクテレビとふたつにわかれていたときからだ。そして、その当時、CNNは、確かに東京スタジオから放送していた。おそらく、当時香港は、イギリスの統治下にあったためではないだろうか。やがて、自由がかなり保障された形で、中国に返還され、おそらく、人件費などの影響と、今回東京にしなかったのと同じ理由によって、香港に移動したのだろう。

 つまり、世界の代表的メディアが、拠点として東京を選択しないかったのであるが、それは何故か。理由ははっきりしている。コストの問題もあるが、東京における、というより、日本における「取材の自由」が、メディアによって規制されているという点だろう。以前から指摘されていることであるが、最近ますます記者クラブ主催の記者会見の「無内容さ」が目につく。安倍首相の記者会見を、テレビで見ていると、本当に「国民」として悲しくなる。説明は、原稿の棒読みであるし、質問への回答も、予め用意された原稿の棒読みである。視線は、常に準備された原稿の方にある。回答が予め用意されているということは、質問も予め用意されているわけだ。そして、記者クラブが、そのことに対して、異議を唱えておらず、従っているということだ。これは、小池都知事にしても、まったく同じである。
 一国の総理、そして最大自治体の首長が、自由な質問を受け付けず、予め用意された回答を読み上げて、さっさと終りにしてしまう記者会見。そして、メディアはそのままの内容で報道する。記者クラブの弊害は、散々指摘されている。メディアの自殺行為であると。しかし、大手メディアで構成されている記者クラブは、それをほとんど変えようとしない。
 黒川東京検事長(当時)の賭マージャン問題が起きたとき、相手をしていたのが、朝日新聞と産経新聞の記者だったということで、大手メディアと検察の癒着が批判され、新聞社も反省の意を表明したと思う。しかし、本当のところをいえば、これは大いに問題だが、もっと大きな権力との癒着がある。それは、大手メディアの会長・社長クラスと、安倍首相との会食が、定期的に開かれているという事実である。一検事長と新聞記者の麻雀が問題なら、一国の総理と新聞社のトップの定期的会食は、比較にならない大きな問題である。しかし、そういう「反省」は、私の知る限り、まったくなかった。
 メディアというのは、権力の批判的検証の報道をすることに、本当の意味がある。よく、政権批判をすると、「偏向報道だ」などというネトウヨの批判があるが、権力は、自身がもっとも大きな政策の広報能力をもっているのだ。だから、メディアは批判的であることによって、かろうじてバランスがとれるのである。もちろん、優れた政策は、そのように評価すればよい。しかし、「権力は腐敗する」という政治学の基本定理からすれば、国民のための「優れた政策」などは、すべてではないことはもちろん、あまり多くない。ごく一部の勢力のための政策が現実なのである。安倍首相の「お友達優先政策」をみれば、よくわかるだろう。だからこそ、それをメディアは常に監視していかなければならない。もし、メディアが「バランス」を重視したりすれば、それは悪政も含めて、肯定的な報道が多数を占めることになる。
 そのような観点からみれば、メディアのトップが首相と相通じる関係を築いているなどということは、メディアの堕落でしかない。
 ニューヨークタイムズとCNNが、東京ではなく、ソウルを選んだということは、まさしく、そうした日本の大手メディアの腐敗を嫌ったためだろう。実際、「報道の自由度」のランクが、どれだけ意味があるかは疑ってかかる部分もあるだろうが、日本は韓国よりも、けっこう前から下位に甘んじているのである。韓国より上位にあったのは、民主党政権の時代だ。安倍首相が、民主党時代を悪夢と読んでいるのは、民主党時代は、メディアが自由に報道し、安倍内閣になって、統制が行き届いたからだろう。
 日本の大手メディアは、いつ「ジャーナリズム」の担い手になるのか。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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