小学校5,6年の算数・理科・英語の専科教員か?

 8月20日の中教審の特別部会に、2022年度をめどに、小学校5,6年の専科科目を、現在広まっている理科に加えて、算数と英語を加えるという案を、提案したと報道されている。こうした専科化の動向は、ずっと問題となっているし、特に、現在理科の専科化は、報道されているように、進んでいる。しかし、これらは、非常に問題の多い施策と言わざるをえない。
 現在の制度では、小学校の教師は、全教科を教えるのが建前である。しかし、一人ですべてを教えるのは困難だから、学校の事情に応じて、専科の教師が配当されている。私が小学校のときですら、5,6年の音楽は専科の先生が担当していた。学校によってかなり事情が異なると思うが、その他に図工、家庭なども専科がいることがある。要するに、ばらばらなのである。もし、文科省のその構想が実現するとどうなるのか。

 理科と社会は、3年から始まるが、理科のみ、3,4年は担任が、5,6年は専科が教えることになる。算数は1年からあるので、5年で専科になる。英語は、3,4年は外国語活動で、5,6年が英語だ。外国語活動は担任が行って、教科としての英語は専科が授業をする。先述したように、学校によっては、図工、音楽、体育が専科となる。つまり、無秩序としかいいようがない。こうした無秩序の教育システムが、いい結果を生むというのは、なかなか考えにくいのではないだろうか。もちろん、小学校の教師は、1年から6年までの担任の可能性がある。また、理科専科といっても、今の制度の中で運用すれば、専科教師は固定ではなく、理科専科が次年度は、担任に戻ったり、担任だった教師が突然英語専科になったりするわけだ。理科専科だった教師が、5年生の担任になったら、理科は教えるのだろうか、しないのだろうか。柔軟に対応できるというなら、それはそれでメリットかも知れない。しかし、それが合理的かどうかは、別問題だ。担任としての担当学年も随時動くわけだ。
 誰が教えるのか、担任か、専科か、というのは、免許法の関係もあり、学校ごとに違ってよいというのは、おかしくないだろうか。もちろん、絶対に揃っていなければならないというのは、特別な事情もあるだろうから、柔軟な対応が必要な場合もあるだろうが、そもそも制度として、無秩序というのは、混乱の元で、やはり、きちんと整備すべきである。
 この案の最大の問題は、多くの小学校の教師には、英語や5,6年の算数や理科は教えられないだろう、という教師に対する極めて蔑視ともいうべき前提によっていることである。現在の教員養成、そして、採用試験は、担任が全学年の授業をすることを前提に行われているのだから、もし、本当に、担任が教えるのが難しいとしたら、システムそのものを変える必要がある。しかし、文科省の案は、そういう全体的な見通しをもったものとは、とうてい言い難い。
 
 まず、一般的に先進国では、こうした点はどうなっているのかを考慮するのも、大事だろう。私の理解では、大方が、「小学校の教師は、主要教科を教え、それ以外の体育、芸術科目、道徳(宗教)などは、専科の教師が教えている。つまり、小学校の担任教師が、全科目を教えるところなど、少なくとも先進国では、ほとんどないのだ。ここに、最大の無理がある。だから、小学校教育の重要な部分をきちんと遂行させるためには、担任教師の担当を主要科目に限るべきなのである。そして、それ以外の科目は、専科として、複数校担当の教師にする。このようにすれば、教材研究などもしっかりできるから、多少の苦手意識があったとしても、対応できるはずである。
 主要教科は、国民に必要な教養の基礎であって、しかも、小学校段階では、相互に関連している。一人の教師が教えることに合理的な理由がある。しかし、体育、音楽、図工(美術)は、人によって好みが異なるし、また指導の方法に、かなりの相違がある。だからこそ、外国では、担任といえども、教える義務から解放しているのである。
 では、個別に専科が増えている理科について考えてみよう。
 理科専科が増えているといっても、実際の現場の声を聞くと、理科が得意な教師が専科になっているわけでもない。要するに、学校の事情で、校長が適宜判断しているに過ぎないのである。そもそも、小学校の理科教育の免許があるわけではなく、小学校教師の免許をもっていれば、全科目を教える資格があるのだから、形式的には誰でもいいわけだ。私のゼミの卒業生で、年度の途中でいきなり理科の専科教師にされたという教師がいる。しかも、理科は一番の苦手科目だったそうだ。そんな実例もあるのだ。もし、本当に、文科省が、案を効果的に実施したいのならば、小中学校の区切りを制度的に、明確に区分しなおすべきだろう。
 小学校4年までを「小学校」として、今の5年からを中学に編成変えする。中学は、すべて教科担任なのだから、そのほうがずっと合理的だろうし、また、無秩序なことにもならない。移行はけっこう大変だろうが、現在は極端な少子化だから、学校施設はかなり余裕がある。算数や理科、英語教育の水準をあげたいということであれば、そうすることが有効であると思われる。
 
 しかし、それで問題が解決するかといえば、相変わらず、4年生までの教師は、全教科を教えなければならないのだから、大変さが変わらない。いずれにせよ、小学校の担任教師が教えるのは、主要教科に限定し、その他の科目はすべて専科にするのが、まず現在の小学校教育の過重労働と、それによって生じている授業水準の低下(があると私は確信している)を防ぐためには必要である。現在の科学技術の水準を十分に理解するように、教育していくために、とくに理数科目が専門家による教育が必要であるというならば、小学校と中学校の区切りを変えるのも、十分に合理的であるように思われる。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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