Law & Order 安楽死とキリスト教原理主義 シリーズ16第4話

正確には、ドラマで実行されようとしたのは、安楽死ではなく、尊厳死だ。身体につないでいる管を全部抜く手術をするという確認から始まる。夫ロバートは、妻カレンに、約束した通りにする、と呼びかけるが、カレンは答えない。かといって、植物状態ではなく、ロバートを見つめている。従って、彼女の意志の本当のところは、ドラマは明らかにしない。これが最後の場面につながっている。
 医師との確認をしたロバートは、車に乗って出ようとする。外には12団体の尊厳死反対の団体がデモと集会をして、激しくロバートを罵る。日本だったら、こんなに正々堂々と正面から出ないと思うし、アメリカでも多少の配慮をするのではないかと思うが、ここはドラマなので、乗車して少し走り出した途端に爆発して、当然ロバートは即死、まわりにいた人も4人が怪我をする。

 最初に刑事が向かうのは、ロバートのパートナーで子どもが二人いる。ここが、どうも不自然な筋立てになっていて、ドラマ制作者は、ロバートを批判する立場になっているのだろうか。彼女は、ロバートが誠心誠意、カレンに尽くしたし、医療ミスを告発もしていた。そして、300万ドルの和解金を獲得していたと話す。いかにも、300万ドル得たから、カレンはいなくてもよく、パートナーとの生活を望んでいたのではないかと、思わせぶりな展開である。
 カレンの両親を次に訪問すると、ドワイヤー牧師がいて、そこにカレンの兄のスティーブンが帰宅する。刑事は、兄のアリバイを確認するが、その説明があいまいなので、最終的には、スティーブンが実行者であることがわかり、当人も認めることになる。その後紆余曲折あるが、結局、過去にも爆弾事件を起こした男が、ドワイヤーに依頼されて爆弾を制作し、ドワイヤーがスティーブンにそれを渡して、当日リモートで爆破したことがわかる。結局、最終的には、ドワイヤー牧師とカレンの兄の実行犯スティーブンが被告となる。
 カレンの両親が、裁判所に、管を抜くのを差し止めるよう提訴し、それが認められることになる。最初予定されていた措置も、裁判所の許可によって実行されることになっていたのであるが、逆の判断になったわけである。
 裁判が始まると、ドワイヤーとスティーブン、検察とが、三様の主張を繰り広げる。検察は、ドワイヤー牧師が、首謀者で、スティーブンを唆して実行させたとみる。しかし、ドワイヤーは、牧師であるが、スティーブンに罪をなすりつけるような対応をとる。そして、スティーブンは、何故か証言中に仕切りにドワイヤーを見つめ、その顔色を伺いながら発言するが、結局、自分の意志で実行した、姉のカレンを救うためだと主張する。
 判決は、スティーブンは有罪、ドワイヤーは審理不能となる。検事のマッコーイは、再度ドワイヤーを起訴しようと意気込むが、無理だろうと言われる。そして、母親のインタビューが、検事室のテレビに流れ、そのなかで、カレンの母親が、カレンに会ったら、娘は、尊厳死を実行されなかったことを、感謝してくれたと述べ、となりでドワイヤー牧師が、満足そうな表情を見せて、ドラマが終わる。
 安楽死制度に、賛成である私としては、「いかにもアメリカだな」という感想が第一だ。とにかく、アメリカのキリスト教原理主義者たちは、中絶や尊厳死、安楽死に対して、反対する激しいデモをするだけではなく、近年は少なくなっていると思うが、かつては、中絶実行の医師を殺害することもあった。Law & Order のもっと前の話に、中絶する医院が爆破されるものがあった。
 アメリカの犯罪ドラマ、法廷ドラマをみると、頻繁に、「神が命を与えた」という信念に基づく人々が登場する。だから中絶はもちろん、安楽死は絶対的に否認するだけではなく、激しい抗議活動をする。
 先進国の中絶論議は、何カ月までは許されるという時期的なことに関して行われる。そして、いかなる理由を認めるかという点。しかし、キリスト教原理主義者からすれば、受精した瞬間から人間だから、一切中絶は否定されるし、更には避妊までが許されないと主張する者もいる。
 また、多少異なるが、精子や卵子の売買も否定する。尤も、この点では、キリスト教ではなくとも、否定的である人は多いかも知れない。
 Law & Order に戻ろう。単純に、安楽死、あるいは尊厳死が是か否かという、正面から問題を取り上げるのではなく、そこに金銭的な利害やある種の人間のコントロールを持ち込むことによって、こうした問題が、必ずしも、当事者の生命にかかわるだけのことではなく、もっと複雑な関係に置かれていることを、シニカルに訴える効果がある。
 今の意志を尊重して、尊厳死を選択している夫を、パートナーといっているが、愛人が待っている。しかも、夫は、妻の医療ミスを裁判に訴えて、巨額な和解金を得ているわけだ。尊厳死・安楽死を否定する団体の人たちが、自分たちは殺人(安楽死・尊厳死)を防ぐために活動しているのだ、と断言するのだが、刑事たちが、ではロバートを殺害するのは許されるのかと問い詰めると、それには答えない。カレンの尊厳死を防ごうと、たくさんの団体が支援し、それはまた資金として集められるので、ドワイヤーやスティーブンは、そうした資金で新しい仕事をしていくことも企てていた。
 このように、固い信仰心による行動に一見見えるが、実は利害が絡んでいるのだと、このドラマを解釈することもできる。
 結局、実際に、中絶する医者を殺害する事件が起きているから、決してドラマの中だけの話ではないのだが、私には、中絶や安楽死が個人の死をもたらすと考えることが絶対的に間違いではないとしても、何故、その実行者を殺害しなければならないのか、あるいは殺害することを正当化することができるのか、それを合理的、説得力ある形で示してくれたドラマはない。
 しかし、一種のキリスト教原理主義で、全く逆の行動、つまり助かる命を助けない行動をとる場合もある。エホバの証人が、手術を拒否することである。尤も、現在では、手術で、採血した血液をそのまま使うのではなく、人工的な要素を伴った血液を使うことによって、エホバの証人も手術を反対しないようになっているとも言われているが、一時は、ドラマにもよく登場した。例えば、子どもが交通事故にあって、緊急の手術にかかろうとすると、親が急いで駆けつけて、手術の中止を要求する。輸血は認められない、それがキリストの教えだというわけだ。ドラマだから、そこで葛藤がおき、なんとかして手術をして子どもを助けようとする医師と、それを阻止しようとする親が虚々実々の駆け引きをする。
 私のような信仰をもっていない人間からすると、聖書に書いてないことは許されないとする派がある一方、聖書で禁止していないこと(つまり書いていないことは許される)という派があることが、まことに理解しがたい。クローン人間の研究をイスラム圏では禁止していないところがあるが、それは、コーランが触れていないからだという解説を読んだことがある。
 だらだらと書いてしまったが、神は人間が作ったものだから、聖典に拘束されるのではなく、当人の確実な意志が決めるのだという原則が確立する必要があるということだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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